楽しいアセンション・次元上昇 ~5次元への旅~

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軍神・建御名方の精神が健在だった諏訪大社

2012-09-11 16:51:47 | お勧めサイト
一厘の仕組み・探究道 ~神・世界秩序の始まり~さんから転載です。
軍神・建御名方の精神が健在だった諏訪大社
先日、地元・信州にある「諏訪大社」に行ってまいりました。この諏訪大社ですが、諏訪湖の南側に存在する上社と、北側に存在する下社とに分かれており、さらに、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮の計4つの宮から成る神社です。上社のご祭神が大国主命の次男「建御名方命(たけみなかたのみこと)」、一方、下社のご祭神が「八坂刀売命(やさかとめのみこと)」とされています。

かつて出雲朝廷から大和朝廷への国譲りが行われた際に、唯一、武をもって対抗したのが建御名方命です。その建御名方命の最終亡命地が、ここ諏訪の地であったと言われています。

一方、建御名方命の妻神である八坂刀売命の方は、記紀神話には登場してこない女神であり、一説には、綿津見命の娘であり穂高見命の妹とする伝承もあるそうです。すなわち、かつてここ諏訪の地において、出雲族である建御名方命と、縄文系先住民である海人族との婚姻に基づく平和的融合が成されたであろうことを物語っているということです。(「いよいよ「松の代」と成るのぞ」参照)

さて、まずは下社・秋宮の方に参拝に向かいました。





鳥居をくぐって階段を昇りますと、まず「神楽殿」が見えてまいります。



ちなみにこちら、以前の神楽殿。(Wikiより)



両者の違いがお分かり頂けましたでしょうか?なんと「注連縄(しめなわ)」が取れていたんですね。今までの出雲系の神社でしたらあり得ないことだったと思います。時期的なものだったのでしょうか?その真意は分かりません。しかし、以前のMyブログ「ニギハヤヒの封印が解ける「2012年」」でも言及してきた通り、出雲系の神社に見られる大きな注連縄は、出雲族(特にニギハヤヒ)を封印するためのものでもあったのです。

大和朝廷の強大な武力の前に、唯一対抗の意を示した建御名方直系の諏訪大社です。やはりこれは、ニギハヤヒへの封印が解けてきたことの証しではないでしょうか?

ここで一つ興味深いエピソードをご紹介しましょう。ここ諏訪の地は、かつて中央集権化を進める大和朝廷によって「大宝律令」が制定された20年後の721年、この律令制に反対の意を示すかのように大和朝廷からの独立を宣言し、「諏訪国」を打ち立てているのです。

『日月神示』にも「神界に戒律なし」(龍音之巻・第七帖)とある通り、この時の決断は間違っていなかったものと考えます。残念ながらその10年後には信濃国に吸収されることになってしまいます。しかしこの精神こそが、軍神・建御名方の霊統を受け継ぐ、誇り高き侍魂なのです。(「1300年間続く「大宝律令制度」」参照)

現在ではこのような気概ある侍魂を持った日本人は、ほぼ絶滅に近い状態に陥ってしまいましたが、ここ諏訪の地においては未だ健在だったことが分かり、希望の光を感じたのであります。(ちなみに「草食系男子」とは、マスコミを影で操る偽善権力者に魂を売ってしまった、集団で弱い者いじめしかできない、恐怖心の塊のような男子のことを言います。)

さて、話を戻しまして、ここ下社・秋宮には「天皇皇后両陛下・行幸啓(ぎょうこうけい)記念碑」が建てられていました。



日向族でもある現天皇家と出雲族との和解を象徴する記念碑です。時代は「分離」から「統合」へと、確実に移り変わってきているのです。

さて、神楽殿の裏手には「幣拝殿」が建てられていました。





皆さんも神社仏閣に参拝に訪れる際は、和服で行くようにしましょう(笑)

続いて、上社・本宮の方へと向かいました。





7年に一度の奇祭・御柱祭・・・





こちらが「幣拝殿」となります。



上社・本宮の昔の建物は極彩色が施されていたようですが、天正10年(1582年)、織田信長による兵火のため、山中に逃れた神輿の他はすべて焼失してしまったそうです。その後、順次再建されていくことになります。

この上社・本宮は、守屋山を御神体山としています。守屋山と言えば、かつてのイスラエル王国時、ソロモン王が神殿を建てたとされる丘「モリヤ山」を連想させる名前です。このモリヤ山で行なわれてきた過越祭では、75頭の羊が生贄にされたと言われています。

ちなみに、上社における最も重要な神事に「御頭祭(おんとうさい)」と呼ばれる祭りがあります。毎年4月15日に行われているそうです。実はこの祭りにおいても、75頭の鹿(現在ははく製)が生贄として奉納され、その中の一頭は必ず耳が裂けているそうです。過越祭の羊を御頭祭の鹿に見立てますと、両者は何とも似通ってくるわけですね。

この上社の御頭祭のルーツが、実は『旧約聖書』における故事「イサクの燔祭(はんさい)」から来ているとする説があるのです。その内容をここでご紹介しましょう。


「神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクをつれてモリヤも地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭として捧げなさい。」」 (創世記22章:第2節)

「彼らが神の示された場所に来たとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。

そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使いが天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」彼は答えた、「はい、ここにおります」御使いが言った、「わらべに手をかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子さえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を畏れる者であることをわたしは今知った。」

この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子の代わりに燔祭として捧げた。」 (創世記22章:第9~13節)




ちなみにこの逸話の後、正神からアブラハムに神権が授けられることになったそうです。

なお、上社の御頭祭においても、生け贄役の1人が殺されそうになる直前で、神官が登場してきて止めることになっているそうです。この祭りは3000年以上の歴史があるとも言われていますが、当時の日本には羊がいなかったため、故事に登場する「角をやぶに掛けている一頭の雄羊」を、「耳が裂けた鹿」に置き換えたのではないかとする説もあるそうです。

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転載以上
あれ??プレビューでは写真も表示されているんだけれど・・・???