宇和島東高校28期の部屋

宇和島のことや身近なことを書いていきます。
同級生の集う場になればいいな・・。

けんちより

2007年12月05日 | 同級生

26 こんばんは。
急に寒くなりました。お元気ですか?

南楽園コンサートのチラシができましたので送ります。
ちょっと遠いけど、たくさん誘って来てください。
コンサートは無料ですが、南楽園の入園料300円が必要だそうです。
この練習もしなければならないんだけど、12/9の愛響の定期演奏会が目前に迫りました。
なかなか落ち着きません。定期演奏会のチラシも送ります。

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南楽園での弦楽四重奏の演奏会です。ヴァイオリン演奏者がけんちです。
クリスマスムードに浸りにいきませんか?

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こちらは、愛饗の定期演奏会。

けんち、師走って、ほんと、忙しいのね・・。
頑張って!!


「地の星」巡り Ⅰ

2007年12月05日 | 同級生

12月2日 (日)

昨日の懇親会のアルコールも残ってなく。さわやかに・・。
家にお泊りしたよしみさんと、途中でかぁさん、花ちゃんを拾って颯爽と出発!!
愛南町役場には、作雄くん、一朗さん、BINさんが先に到着していた。


今回、作雄くんに誘われて、気軽に参加したわけだが・・・。
行ってみると、Dc120403 Dc120505

タイムスケジュール、さまざまな資料などが準備されていて。
愛南町役場商工観光課の田中さんはじめ、4人の方がご案内してくださるとのこと。
もう、しょっぱなから、驚き、恐縮し・・・。作雄くんの根回しと、愛南町役場維伯くんの
お口添えもあったことであろうけど・・。ほんとに、みんなに感謝。
こんなんなら、もっと大々的に参加募集したらよかった・・もったいない、もったいない。

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ということで、まずお休みにもかかわらずご案内をしていただいた4人の紹介をば。

左から、文化財保護審査議会委員 藤田さん。
宮本輝氏のご親戚 大西さん。
愛南町役場 裡田さん。
愛南町役場 田中さん。

この4人が、それぞれの得意分野(?)を担当して資料を作ってくださったよう。

ほんとうにありがとうございました。

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まず、訪れたのは。「地の星」の原稿の最初の数十ページを書き上げた場所。『玉水旅館』

宮本輝氏が、取材のため数十年ぶりに故郷を訪ねますが、まずビジネスホテルに泊まられたのだそう。しかし、父親のことを知っている人たちももう少なく、ご自分も南宇和に住んでいたのは、3歳頃の2,3年らしく、父親の昔の話などはもちろんのこと父親の故郷の風土や人の気質など知ることもできない。 そして、紹介されたのが、この旅館なのだそう。
古い旅館です。下の階からご主人と奥さんとの喧嘩の声やら、近所の人との日常会話が嫌でも聞こえてくる。これが気に入ったのだそう。

ここの奥さんに気持ちよく迎えてもらい、お話しを聞いたり、色紙や写真を見せてもらったり。
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これが、掛け軸の落書き。酔っ払って秘書の方と書いたそう。
翌日、平謝りされたそうで、弁償させてくれとまでいわれたそう。

私たちが着いたとき、NHKの取材陣が準備をすませたところでした。
NHK番組「知るを楽しむ」 の1月の4回が、宮本輝氏特集というか・・そう、宮本輝氏の番組だそう。(わかる?) そのための取材が愛南町周辺である。この日から輝氏はここに宿泊される。 ぜひ、番組もご覧ください。

次は、北裡地区。松坂熊吾が城辺町で営んだダンスホール跡。Dc1202109
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ダンスホールの建物のまま倉庫代わりにしてたようだが、17.8年前に取り壊し、現在では「お好み焼きやさん」になっていた。
城辺北裡・後地区は、どうやら裡田さんの縄張りらしい・・。
映画館「南座」跡、城辺土俵跡、などへ。Dc1202112
Dc1202111  房江が鮎を手づかみにして採っていたという「僧都川」駐車場からすぐ近くだったので、
見たい、見たい、と走って行ったら、みんなあとからやって来た。
冬の季節は水がなくなるそうだ。
今は、お散歩にランニングに、とてもいい感じの場所になっている。 熊吾さんの頃は、この川も鮎がそれはそれはたくさんいて、隅に追い込めば手つかみでも取れる、というほどだったんだそう。

このあたりからも、常盤城跡(城址の森)が見えた。その後、深浦隋道を超え、
小説中の「和田茂十」の家のモデルであろうという家が見えるところで車を止めた。
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庄屋さんのお家だそう。ここから深浦湾の海がきらきらと光って見えた。
あの、魚茂牛と中田牛との突き合いの話しから、ぱぁ~~っと展開する物語が始まる、魚茂の茂十の家である。

『南予には、古くから「角力(つきあい)」と呼ばれる、牛が角と角で争う動物の闘争本能を利用した習俗がある。
興行としては享和2年(1802)平城村と城辺村の牛をつき合わせたと記録にあり、安政3年(1856)の宇和島藩の禁止令は良く知られている。しかし、これらの記録よりは、当然はるかに古くから行われていたのであろう』
南宇和が闘牛発祥の地であるとか、闘牛が盛んだったということは、初めて知った。
上の文は、案内の藤田さん著のものらしい。藤田さんの資料には、ほかにも暴れ牛のものや、城辺町の民話などもあり。その民話は、地の星の「はさみ将棋の土地」・・・P388や、「スズメが13羽」・・・P330と、引用もされている。

さらに車を進め、「蘇家神社」へ。
ここでは、輝氏も写真をとっていたりして、@テルニストたちは、同じところで・・・と。

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いい感じでしょ~~!!

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蘇家神社の石段途中から、深浦湾を眺める・・・
という図。・・・・・
むりやりだわ。

時間の都合上、一番上まで行かなかった。
そのうち、また行ってみて報告しよう!!

と、いうわけで。 一行は一本松へと車を進めるのだが。
今日はこのへんで。
Ⅱに続く・・・・