unknowned domain

デジタル&ニュー・ドメインに突入したオレの状況

Post sampling forth world muziq

2008-06-03 04:44:05 | Weblog
duchampは不可能性によって現実界の存在を示した。
cageは行為を通して常に現実界への漸近を試みた。
そして現代のPost sampling kinetic nonhierarchical
nonlinear nonequilibrium forth world muziq----①といわれる
ジョチョウ的な音楽ジャンルも複雑だが、シンプルにいえば
現実界への漸近を試みているといえるだろう。
そのことを説明する前にまずこのジャンルに使われている
用語からみていくことにする。
まず①のsamplingという用語だが、この語が使われれている以上
常にオリジナルの価値が問われているといえるだろう。
次に無調性の音楽ではまず音高の階層で解体され自律していくことになった。
やがて音高以外のパラメータに解体が適用されていくようになる。
①はこの音高の階層での解体と音高以外のパラメータでの解体
からヒントを得ている。nonhierarchicalとは当然、中心音の解体のことだ。
①ではこの解体を数学の微分のイメージ
をもちだすことで、常に差異を生み出すということを
kineticという語に託している。
また民族音楽の微分音からもヒントを得ている。
ここでの微分音は音がひとつに還元されず揺らいだ
不安定な状態で、音色という概念と同義である。
ここに科学のnonlinearとnonequilibriumの語が使われる理由である。
揺らいだ状態にある音が音色という秩序を産む。
この音色はあるときはインドの音楽かもしれないし、
アラブの音楽、あるいはケルトの音楽、チュルクの音楽にもなる。
まさにforth world muziq=現実界への漸近を試みるのだ!

もちろんここでは飛躍があり、現実とは全く関係のないオカルトや
ニューエイジのレヴェルであろう。
これが行われるマトリクスはデジタル環境下であろうが、
マーカスポップがデジタル環境は完璧に機能するというように、
余剰が入る余地がないように思える。
だがオートポイエーシスやアフォーダンスの理論をともなって
(ここでは詳しい説明は省きます)
デジタル環境下で上の考察に一番近い事をやっているのは
クリスチャンフェネスじゃないだろうかとおもう。

また中心の解体、脱構築ということでポストモダンの思想と
自然とちかしいようにおもえるが、
上での考察は全く現実にフィードバックする話ではないので、
ポストモダニズムの目指すところとは全くあいいれない。
勿論、現代の哲学者も上の考察と同じような事を考えていた
人はいたが、上の考察はどちらかといえばちゃちな
ニューエイジと現実逃避にいきつくといわれてもしかたない。
-------------------------------------
2002年での我々の考察より抜粋
追加;当時
現代物理の時空の重ね合わせ
も参考にし





Neue yapon kunst.

最新の画像もっと見る

コメントを投稿