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大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

八咫烏神社

2009年09月09日 | 宇陀市・宇陀郡
先週の土曜日、日本サッカー代表はオランダと国際親善試合を行った。
結果は、善戦およばず・・・
後半の中頃からは・・・力の差が歴然・・・
私は、庭仕事で疲れて眠いのを我慢して応援してたんやった。
日本サッカー協会(JFA)は、「ゴールに導く神の使い」として「八咫烏(やたがらす)」をシンボルマークやエンブレムとして採用している。
「八咫烏」がなかなかゴールに導いてくれへんからかなぁ ~ 
遠いよなぁ~日本のゴール・・・
日本に初めて近代サッカーを紹介したのは、中村覚之助(187 8-1906)という人物だそうだ。
その功績から彼は「日本サッカーの生みの親」とされてきた。
その彼の出身地は那智勝浦町。
日本サッカー協会は、中村覚之助が日本サッカー史で果たした役割を顕彰する意味で、彼の出身地の熊野三山の神鳥「八咫烏」をシンボルマークとして採用したという。
この夏、私は「八咫烏」を祀っている「八咫烏神社」(奈良 県宇陀市)へ行った。
八咫烏神社略縁起には、
「皇祖神武天皇熊野より賊軍を御東征の御砌り、道なき峻険の山々をかきわけ宮居を定めんと、たたなめて伊那佐の山にお登りされんとした時、この土地の豪族で偉丈夫の武角身命が全身真黒い衣をまとい高い木より木へと飛び移って宮居の方に天皇をご先導申し上げた。その姿が恰かも八尺もあるような大烏の様であったので、天皇はその勲功を賞でて八咫烏の称号をお与えになった。慶雲二年九月天武天皇が武角身命を祭神として、当社と指呼の間にある伊那佐山麓のここ高塚(鷹塚)に八咫烏神社を創建して祭る。三足の烏を当社の絵様としまた山城国下加茂神社の旧神宮は鴨の県主で祭神武角身命の苗裔である。従って葵を以て両社の神紋とされた由緒はここにある。」と書かれていた。
拝殿には清酒「八咫烏」の酒樽。
境内には、サッカーボールを頭に載せた「八咫烏」の像。
鳥居の向こう正面には、神武天皇東征に関係あるという伊那佐山(標高637m)が聳えていたよなぁ~
「写真;サッカーボールを頭に載せた「八咫烏」の像」

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