大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

石清水八幡宮へ

2011年01月13日 | 京都府
数年前,奈良にある大安寺を訪ねた。
その境内の南にある杜で見かけたのが八幡宮。
その神社の謂れを読むと現在京都にある石清水八幡宮は,もとはここにあったのだという。
それから,機会あれば京都の石清水八幡宮にお参りしようと思っていたんやった。
ナビの指示に従ったんやけど,男山?への住宅地内の道が複雑で・・・
しかも,道は幅狭く・・・
それに,工事中に事故があったのか救急車とパトカーが来て通行止め???
なかなかのお参りになってしもた。

@石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
京都府八幡市の男山山頂に鎮座する神社。京都の鬼門(北東)にある延暦寺と対峙して京都の裏鬼門(南西)を守護する神社である。
二十二社の上七社の一つであり、中世においては二所宗廟の一つとされ、近代社格制度においては官幣大社に格付された。また宇佐神宮、筥崎宮とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられる。本殿などの建造物16棟等が国の重要文化財に指定されている。
清和天皇が即位した翌年の貞観元年(859年)の夏、空海(弘法大師)の弟子であった南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折に「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託を受けた。これを受けて、その翌年の860年、清和天皇の命により社殿を建立したのを創建とする。「石清水」の社名は、もともと男山に鎮座していた石清水山寺(現在は石清水八幡宮の摂社)に由来する。
以来、京都の北東にある比叡山延暦寺と対峙して京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として皇室・朝廷より篤い信仰を受け、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。また、源氏をはじめ、足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏など、多くの清和源氏が氏神として信仰したことから武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬された。

@徒然草第52段「仁和寺にある法師」
仁和寺に居た老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」と思っていた。念願叶って石清水八幡宮へ行ったのだが、麓にある高良社や極楽寺などだけを参拝して満足し、他の人が石清水に行こうとして山を登っていたのに、今いる寺社が石清水だと思い込んで山に登らなかったという話。「どんな小さなことにも案内する人が必要である」という話であり、中学校で教えられることの多い文である。この話は、石清水八幡宮の本殿が男山の山頂にあることや、麓の摂末社も相当に壮大な造りであることを知っていて、初めて理解できる逸話である。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (幽黙)
2011-01-13 21:11:23
男山石清水八幡
まだ行ったことないんですよ(笑)
仁和寺の坊さん以下ですね…
これは偶然!!! (山口ももり)
2011-01-14 08:37:48
私も行こうと思っていたのです。息子達とお正月「徒然草」の話をして、息子夫婦がお参りしてきましたから、これは私も・・って思っていました。何しろ、好奇心旺盛でしょう???は・は・は・・・今年もシャカシャカ出掛けたいものです。
Unknown (瓜亀仙人)
2011-01-14 17:50:01
幽黙さんへ
なにも分からないままにナビに従って,
山頂の駐車場まで上ってしまいました。
麓から散策したほうが雰囲気があったかも知れません。
Unknown (瓜亀仙人)
2011-01-14 17:51:52
ももりさんへ
これは偶然ですねぇ~
ももりさんは何回も参られてるんでしょうか?
奈良・大安寺の南にある杜とは,かなり違いました。

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