岡山県湯郷温泉に泊まった翌日、私は以前から訪ねてみたかった“閑谷学校”へ。
“閑谷学校”は、江戸時代前期に開設された日本最古の庶民学校。
学校への道は、えらい山越えの道。
なんでこんな不便な山の中に学校を???
どんな庶民の誰が通うというの???
そんな思いで散策したんやけど・・・
やっぱり学問というのは、俗世間を離れることが大事やって、頭の中では理解できた。
受付で貸してくれた解説のテープが入った小さなカセットデッキが印象的やったなぁ~
@閑谷学校(しずたにがっこう)
江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校。所在地は岡山県備前市閑谷。
岡山藩主池田光政によって開設された日本最古の庶民学校である。
藩士のための教育施設(藩校)「岡山学校」に続き、岡山藩立の学校として開かれた。
建築には32年の月日を費やしており(元禄14年(1701)に完成)、他に例をみない手間隙かけた質とスケールを誇り330余年の歴史をもっている。
地方の指導者を育成するために武士のみならず庶民の子弟も教育した。また、広く門戸を開き他藩の子弟も学ぶことができた。
就学年齢は8歳頃から20歳頃までであった。カリキュラムは1と6の付く日には講堂で儒教の講義があり、5と10の付く日は休日となっているなどであった。頼山陽などの著名人も来訪し、幕末には少年時代の大鳥圭介もここで学んだ。
岡山藩は学校領を設け藩財政より独立させ、学田や学林を運営させた。これにより、もし転封や改易により藩主が交替となった場合においても学校が存続するよう工夫した。ここに岡山藩がこの学校をいかに重要視していたか、その一端が窺える。
建造物のうち、講堂が国宝に指定され、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が国の重要文化財に指定されている。また、付近一帯は国の特別史跡に指定されている。
2本の巨大な楷(かい)の木や周辺のもみじが美しく、秋の紅葉名所でもある。
“閑谷学校”は、江戸時代前期に開設された日本最古の庶民学校。
学校への道は、えらい山越えの道。
なんでこんな不便な山の中に学校を???
どんな庶民の誰が通うというの???
そんな思いで散策したんやけど・・・
やっぱり学問というのは、俗世間を離れることが大事やって、頭の中では理解できた。
受付で貸してくれた解説のテープが入った小さなカセットデッキが印象的やったなぁ~
@閑谷学校(しずたにがっこう)
江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校。所在地は岡山県備前市閑谷。
岡山藩主池田光政によって開設された日本最古の庶民学校である。
藩士のための教育施設(藩校)「岡山学校」に続き、岡山藩立の学校として開かれた。
建築には32年の月日を費やしており(元禄14年(1701)に完成)、他に例をみない手間隙かけた質とスケールを誇り330余年の歴史をもっている。
地方の指導者を育成するために武士のみならず庶民の子弟も教育した。また、広く門戸を開き他藩の子弟も学ぶことができた。
就学年齢は8歳頃から20歳頃までであった。カリキュラムは1と6の付く日には講堂で儒教の講義があり、5と10の付く日は休日となっているなどであった。頼山陽などの著名人も来訪し、幕末には少年時代の大鳥圭介もここで学んだ。
岡山藩は学校領を設け藩財政より独立させ、学田や学林を運営させた。これにより、もし転封や改易により藩主が交替となった場合においても学校が存続するよう工夫した。ここに岡山藩がこの学校をいかに重要視していたか、その一端が窺える。
建造物のうち、講堂が国宝に指定され、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が国の重要文化財に指定されている。また、付近一帯は国の特別史跡に指定されている。
2本の巨大な楷(かい)の木や周辺のもみじが美しく、秋の紅葉名所でもある。
今は、耐震補強もアスベスト問題もお座成りの学校が多いと聞きます。
少子化対策といい乍、省庁を増やすわりには問題解決はとおく。
機嫌良く暮らすには、政治行政から目を逸らすのが一番か・・・
>藩主がご立派なのか、政治が良かったのか。。
きっとどちらもヨカッタんでしょう。
立派な環境・建物で、回り道しても来てよかったなぁ~
という思いで見学させてもらいました。
この岡山藩も幕末?、神戸の外国人居留地近くを通過する際に、外国人とのトラブルで歴史に登場してしまいます。
これも教育の効果の一つだったのかも知れませんね。
被災地では例年よりひと足早く2学期が始まったというニュースを耳にしました。
環境ねぇ・・・
いろいろ大変やろなぁ・・・