吉野山中・吉野神宮から車で少し上ったところに“村上義光”の墓があった。
なんと、その墓前には兜武者の人形が飾られていた。
解説板を読むと信州更科の人であったという。
毎週見ているNHK大河ドラマ“風林火山”でも、
信玄のライバルとして“村上義清”が登場する。
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吉野山中・桜本坊の筋向かいに、大きな門構えの宿坊、竹林院があります。
この寺の縁起は古く、その開山は、黒駒に乗って吉野山へ 来られた聖徳太子が、一宇の精舎を建てて椿山寺と号したのにはじまるとされています。
また空海が金峯山修行の折、ここに参籠して大峯登拝を行ったので、当寺の第一世住職を弘法大師空海としています。
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7月7日は“七夕”だが、吉野・蔵王堂の“蛙飛び”の日でもある。
延久年間、一人のへそ曲がり男がいて、蔵王権現の悪口を言い、修験者の修行をあざけった。
ある日、男はいつものように悪口を言い始めたところ、晴れて いた空が急にかき曇って真っ暗になり、 . . . 本文を読む
昨日は吉野山中を彷徨・・・
上千本近くの“御幸の芝”と呼ばれる処で、1つの歌碑を見つけました。
ここにある“五月雨”とは“梅雨”のことでよいのでしょうか?
近くにあった解説板にはこう書かれていました。
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昨夜も“梅の宿”を飲んで、ぼんやりTVを見ていた。
これと言った番組もなく、チャンネルをかえていると
“みのもんたの歴史ミステリー”という番組で奈良・吉野が映っていた。
その内容は、夢のような話・・・
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中学校の社会の授業で“中央構造線”って聞いたことがありませんか?
“中央構造線”は、延長1000kmにもおよぶ日本列島最長の谷だそうです。
この前の高見山登山の時、登山口の前に川が流れていました。
この川は“吉野川(和歌山では紀ノ川)”の上流にあたるのですが、
ここが“中央構造線”の近くに位置するとのことです。
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高見登山口の看板には“旧高見越え伊勢街道”の表示があった。この登山道は山頂との中間地点の小峠までの間は、旧伊勢南街道又の名を紀州街道と呼ばれ、紀州、大和、伊勢を結ぶ塩・ 米・魚の交易路で、かつては伊勢参宮の道であり又紀州徳川家が参勤交代に利用した。特に夏季は大峰山、年末には年末参りで栄えたという。
3月中旬、小峠まで登ったところで、“本居宣長”の歌に出会った。
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高見山の山頂まであとわずかという所に“国見岩”(写真)がある。
その岩の解説板には次のようにあった。
「神代の昔、神武天皇は熊野伊勢を経て高見山を踏破し、この峻岩を天皇自らよじ登り西方展望、兄猾(えうかし)の根拠地、宇陀を眼下に見下し又遠く男坂(おさか)女坂(めさか)墨坂(すみさか)方面の長髓彦(ながすねひこ)等の敵情視察なし第一回の軍議評定せし処なり。」
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高見山の山頂まであとわずかという場所に、“揺岩(ゆるぎいわ)”という大きな岩があった。その解説板には“「多武峰 大職冠 藤原鎌足公」と 三度唱えれば揺るぎだしたと言う。”と書かれていた。
私はよく似た岩を談山神社への道で見たことがある。その岩は“不動の滝”の近くに“破(われ)不動尊”と云う大石が横たわり、側面には不動明王が彫られて祭られていた。その大石は中央から刀で切ったように割れており、1608 . . . 本文を読む