それから少々気になるのが、翻訳。
わたしは彩流社のマーク・トウェインコレクションでこれを読んでいるけど、
翻訳がもう少し違っていたら、ドライ感がユーモアに和らげられて、より楽しめる
ということはあるんじゃないかなー。
この翻訳、正直あんまり良くないような気がする。もちろん原文を読んだわけではないから、
英語→日本語の部分については何も言えないのだが。それ以外の些細な点が幾つかある。
一つは――これはささいな点とは言えないが、タイトル。
以前は「赤毛布(あかげっと)外遊記」というタイトルで訳されていたらしい。
原題はInnocents Abroad。wikiでは「無邪気な外遊記」として紹介されている。
これを味もそっけもない「地中海遊覧記」としてしまったのは、はっきり言って失敗ですね。
イノセント、はこの旅行記における重要なキーポイントだ。無邪気、無垢、無知、悪意のない。
つまりタイトルからして、トウェインは「罵詈雑言は吐くけれど、悪気はないんですよ」
と宣言していると言ってよい。
その辺りをとりあえずタイトルに入れとかないと。わたしのように怒りまくる人が出る。
それから多分訳注だと思うんだけど、
ブルートゥス【ローマの政治家。シーザーを暗殺した一人。】と書いたり、
ポンペイウス【ローマの将軍・政治家。シーザーの女婿になったが、のちに対立した。】
なんて書いてちゃだめだろう。前者の紹介には「裏切り」という単語が必須だろうし、
(「いやあれは裏切りじゃない」という場合でも、少なくとも近い立場だったことは言わなきゃ)
ポンペイウスは女婿という立場より三頭政治の一人という立場が大事でしょ。
あと、どうなんだろう、トウェインが、
ラファエロはカトリーヌ・ド・メディシス(フランス王のアンリ二世の后。1519-
1589年)や、マリー・ド・メディシス(フランス王のアンリ四世の皇后。1573-
1642年)のような極悪非道の人物を描いた。
と書いている部分。ここで説明文をつけるなら、ラファエロが彼女たちを描いたことはない、
というのにも触れておいた方がいいんじゃないかね?
ラファエロは1520年没。彼女たちをモデルには描けません、彼の天才をもってしても。
トウェインがわざと書いたのか、それとも間違ったのか、本文を読んでもどっちとも言えない気がする。
こういうのはいちいち訳注をつけていたらきりがないだろうか。しかしわたしは小心者なので、
これを信じてしまう読者がいるのではないかと気になってしょうがない。
嘘や誤りは、ちゃんとそれとわかるような形で読者に伝えなければ駄目なんじゃないかなあ。
だが、この後に、
ミケランジェロはサン・ピエトロ寺院を設計した。法王制度も立案した。パンテオンも、
法王の衛兵の制服も、テーベレ川も、バチカン宮殿も、コロセウムも、カピトリーノの丘も、
タルペーイアの岩も、バルベリーニ宮殿も、ラテラーノの聖ヨハネ大聖堂も、
カンパーニャの平原も、アッピア街道も、七つの丘も、カラカラ浴場も、
クラウディウス帝の水路橋も、大下水道も、みんなミケランジェロが設計したものなのだ――
と書いてあるのを見ると、さすがにこれを信じる人はいるまいという気になる。
そうすると、どこまでで線をひくかがすごく難しくなって来て……
やはり自助努力ということにするべきだろうか。
……このあたりは長年の個人的なテーマである「無知は罪なのか?」にも関わっていて、
うーん、なかなか難しい問題である。
日本語で書かれた作品なら、鼻から尻尾の先まで著者の責任だけど、
翻訳物は、落とし前をつけるべきなのは翻訳者、という可能性も常にあるからな。
ニュアンスや意味の取り違えという可能性。取り違えがない場合でも、
内容を十全に表現出来ていないという可能性。
元がどんなに素晴らしい作品でも、翻訳が良くなきゃそれまでだしね。
……いや、しかし最大の難関は読み手の読解だったりするかもかもかもかも……
※※※※※※※※※※※※
公平に言えば、上巻では腹を立ててばかりいたわたしも、下巻はそこそこ落ち着いて読めた。
面白いとまでは思わなかったけれども、下巻は「まとも」な感じ。
中東部分は悪ふざけも比較的少なく、まっとうな旅行記の印象。
もちろん毒舌は皆無にはならないけれどね。
トウェインはあと一作「アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー」を読んでみようかと
思っている。それで多分終わり。読んで好きでもなかったのに5作品もおつきあいしたんだから、
まあ、義理は果たせるというもんでしょ。
わたしは彩流社のマーク・トウェインコレクションでこれを読んでいるけど、
翻訳がもう少し違っていたら、ドライ感がユーモアに和らげられて、より楽しめる
ということはあるんじゃないかなー。
この翻訳、正直あんまり良くないような気がする。もちろん原文を読んだわけではないから、
英語→日本語の部分については何も言えないのだが。それ以外の些細な点が幾つかある。
一つは――これはささいな点とは言えないが、タイトル。
以前は「赤毛布(あかげっと)外遊記」というタイトルで訳されていたらしい。
原題はInnocents Abroad。wikiでは「無邪気な外遊記」として紹介されている。
これを味もそっけもない「地中海遊覧記」としてしまったのは、はっきり言って失敗ですね。
イノセント、はこの旅行記における重要なキーポイントだ。無邪気、無垢、無知、悪意のない。
つまりタイトルからして、トウェインは「罵詈雑言は吐くけれど、悪気はないんですよ」
と宣言していると言ってよい。
その辺りをとりあえずタイトルに入れとかないと。わたしのように怒りまくる人が出る。
それから多分訳注だと思うんだけど、
ブルートゥス【ローマの政治家。シーザーを暗殺した一人。】と書いたり、
ポンペイウス【ローマの将軍・政治家。シーザーの女婿になったが、のちに対立した。】
なんて書いてちゃだめだろう。前者の紹介には「裏切り」という単語が必須だろうし、
(「いやあれは裏切りじゃない」という場合でも、少なくとも近い立場だったことは言わなきゃ)
ポンペイウスは女婿という立場より三頭政治の一人という立場が大事でしょ。
あと、どうなんだろう、トウェインが、
ラファエロはカトリーヌ・ド・メディシス(フランス王のアンリ二世の后。1519-
1589年)や、マリー・ド・メディシス(フランス王のアンリ四世の皇后。1573-
1642年)のような極悪非道の人物を描いた。
と書いている部分。ここで説明文をつけるなら、ラファエロが彼女たちを描いたことはない、
というのにも触れておいた方がいいんじゃないかね?
ラファエロは1520年没。彼女たちをモデルには描けません、彼の天才をもってしても。
トウェインがわざと書いたのか、それとも間違ったのか、本文を読んでもどっちとも言えない気がする。
こういうのはいちいち訳注をつけていたらきりがないだろうか。しかしわたしは小心者なので、
これを信じてしまう読者がいるのではないかと気になってしょうがない。
嘘や誤りは、ちゃんとそれとわかるような形で読者に伝えなければ駄目なんじゃないかなあ。
だが、この後に、
ミケランジェロはサン・ピエトロ寺院を設計した。法王制度も立案した。パンテオンも、
法王の衛兵の制服も、テーベレ川も、バチカン宮殿も、コロセウムも、カピトリーノの丘も、
タルペーイアの岩も、バルベリーニ宮殿も、ラテラーノの聖ヨハネ大聖堂も、
カンパーニャの平原も、アッピア街道も、七つの丘も、カラカラ浴場も、
クラウディウス帝の水路橋も、大下水道も、みんなミケランジェロが設計したものなのだ――
と書いてあるのを見ると、さすがにこれを信じる人はいるまいという気になる。
そうすると、どこまでで線をひくかがすごく難しくなって来て……
やはり自助努力ということにするべきだろうか。
……このあたりは長年の個人的なテーマである「無知は罪なのか?」にも関わっていて、
うーん、なかなか難しい問題である。
日本語で書かれた作品なら、鼻から尻尾の先まで著者の責任だけど、
翻訳物は、落とし前をつけるべきなのは翻訳者、という可能性も常にあるからな。
ニュアンスや意味の取り違えという可能性。取り違えがない場合でも、
内容を十全に表現出来ていないという可能性。
元がどんなに素晴らしい作品でも、翻訳が良くなきゃそれまでだしね。
……いや、しかし最大の難関は読み手の読解だったりするかもかもかもかも……
※※※※※※※※※※※※
公平に言えば、上巻では腹を立ててばかりいたわたしも、下巻はそこそこ落ち着いて読めた。
面白いとまでは思わなかったけれども、下巻は「まとも」な感じ。
中東部分は悪ふざけも比較的少なく、まっとうな旅行記の印象。
もちろん毒舌は皆無にはならないけれどね。
トウェインはあと一作「アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー」を読んでみようかと
思っている。それで多分終わり。読んで好きでもなかったのに5作品もおつきあいしたんだから、
まあ、義理は果たせるというもんでしょ。
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