この人の、こないだ読んだ本が面白かったんだよね。
なので、この本も期待を持って読んだ。
本論の武田氏に入る前に、前史として関東地方の公方状況を書いてくれてるのよね。
公方とは、時代によって変遷した言葉だけれど、とりあえず室町時代の公方は
関東圏内にあった武家政権の出先機関の長としての呼称。
関東公方、鎌倉公方、古賀公方とかは聞いたことがあったけど、
堀越公方、小弓公方という聞いたことない名前も出てくる。
Wikiを見ると他にも5つ6つの呼称があったらしい。なかには郡山市や須賀川市、
越中市、大阪府堺市で成立した泡沫公方もいたようだ。
しかしまあこの公方状況についての説明が冒頭の正味1ページ半くらいなんだけど。
ほんっとにややこしかった!たった1ページ半なのに内容が全く頭に入らない!
ゆっくり読んで、わけはわかったけど、それが記憶できる気が全くしない!
今後おそらくこんな機会もないので、武田氏前史である関東地方の公方状況について
理解できる限りにおいてメモっておく。
室町幕府は関東を直接統治せず、鎌倉公方を置いていた。
初代は足利尊氏の四男、基氏の血統。
しかし代々の鎌倉公方は京都の征夷大将軍の位(名実共のナンバー1)を狙い続ける。
それに歯止めをかけていたのが、鎌倉公方の補佐役である関東管領家である上杉氏。
補佐役というよりお目付け役というべきかもしれない。管領の任命権は幕府にある。
第4代鎌倉公方・足利持氏が室町幕府に反乱を起こした。(永享の乱)
その反乱は鎮圧され、持氏は死亡。その結果、鎌倉公方の権力は便宜的に上杉氏に与えられた。
それに関東の豪族たちが反発し、持氏の遺児・成氏が第5代鎌倉公方として任命される。
が、永享の乱で幕府側として戦い、持氏を死に至らしめた上杉氏は新公方にとっては親の仇。
公方と管領という立場で並び立つはずもない。
新公方は上杉氏の当代を謀殺し、上杉氏の勢力範囲であった鎌倉から、
支持豪族の多い下総古河(茨城県)へ移り、以降古河公方となった。
この混乱に対処するために、八代将軍・義政は自らの庶兄・政知を鎌倉公方として派遣する。
が、結果的にはこれが悪手。
義政と古河公方・成氏の間で最終的には和睦したために、政知が宙に浮いてしまった。
当然政知は不服で、しかし鎌倉に入ることは禁じられ、その手前の伊豆堀越で足止め。
その後は堀越公方(ほりごえくぼう。この語は初めて見た)として存在する。
しかし公方とは言っても実権はない。
堀越公方である政知は、実力行使で鎌倉入りし、正当な鎌倉公方となろうとしたらしい。
だが実際に動き出す前に本人が病死。
以上が、武田氏前史としての公方状況の第一段階。まあまあわかりました。
結果的には鎌倉公方が争いの結果として古河へ移り、本来必要のない堀越公方という
存在が出現し、権力争いがさらに複雑化した。
第二段階。
政知の死亡により、堀越公方家では末子と庶長子の跡目争い勃発。
結果的には庶長子側が勝ち、末子側は殺される。庶長子側には関東管領が味方したらしい。
第三段階。
武田氏は位置関係的にも堀越公方家と関係が深い。
それゆえ、堀越公方家のお家騒動の影響を受けた可能性がある。
信玄の曽祖父・信昌と祖父・信縄が末子と庶長子側に分かれがゆえに内紛が起こったのかも。
……というのが武田信玄以前の関東の状況らしいです。
武田氏については各論だから、まあ覚えられれば程度だけれど、
第一段階である古河公方と堀越公方の発生、その際の関東管領上杉氏の立場というのは
覚えておくべきかも。
しかし関東管領家も、(山内)上杉氏の他に扇谷上杉氏がいてその関係性は知らないし、
初耳だがさらに他に宅間と犬懸がいて、上杉四家というらしい。
これについては混乱するので、今後縁があったら後日……
まあこの点だけでも覚えられれば、1冊読んだ甲斐があるというものですよ。
最初の1ページ半の内容だけで満足されては著者はがっかりするだろうが。
その後、曽祖父、祖父、父と信玄、四代にわたっての武田氏と、
近隣大名の同盟・敵対・和睦・婚姻が永遠に繰り返される。
これが頭に入るとは全く思わん。いるんでしょうねえ、好きな人の中には覚えてる人も。
そして信玄の事績、勝頼の事績と武田氏の滅亡。ここまででおよそ4分の1くらい。
手際良くまとめましたね。ややこし~いところを。著者えらい。
それからが本題である武田家家臣団の各論。
まず個人個人の事績を主に描いて、職掌などが後半になってから説明されるので、
普通は書き方逆だろうと思ったが、読み終わってみれば、個人のキャラクターを
うっすら掴めた後に職掌の説明が読める方が頭には入るかもしれない。
わかりやすかったように思う。
しかしわかったことと、それを記憶し続けれらるかどうかは別問題だが。
武田家家臣団を説明するのは大変です。
御一門衆と親類衆、譜代家臣と外様国衆――とすっきり分かれていれば簡単だが、
その他にも別な区分も存在するし、職掌でも違うし、何代か経るうちに家の立場が変わったり、
親族と姻族で扱いが違ったり、まあ当然なんだけれども本当にややこしかった。
ほとんど個別状況なんだもの。
そこらへんをうまく書いていた著者えらい。
読んで良い本。内容を説明は出来ないので読んでください。
――武田氏家臣団は「信長の野望」で若干目に親しいところ。
多分かなり初期の「信長の野望」だな。プレイ方式からして戦国群雄伝だったか。
信長でプレイするより武田信玄でプレイする方が
有能な武将が目白押しで楽だったまであった。
武田信繁。山県昌景。馬場信春。戦闘力も高ければ内政力も高く、大好きだったなー。
数十年の時を隔てて、彼らを教養書で読む。なかなかにエモいことである。
歴史好きを標榜するわたしでも、室町時代のことはほんっとうによく知らない。
考えるに、室町時代には軸がない。大和時代・奈良時代は天皇を軸とし、
平安時代は藤原氏を軸とし、戦国時代は有力武将を軸とし、江戸時代は徳川将軍家を
軸と出来るのに対して、室町時代は室町幕府の影が薄すぎて軸に出来ない。
みんな各地でわちゃわちゃしすぎやねん。
まあそういえば鎌倉時代のことも全体的には知らないのだが、
源頼朝関連はまあまあ知っていることと、元寇についてうっすらと知っていることで
知っているつもりになっている。
武田氏関連書を数冊読んで来た気がするが、とにかく近隣大名のわちゃわちゃが
乗り越えられないなあ。覚えられない。
むしろ信玄の小説を読んでみた方がいいのか?そっちの方がとりあえずの線は
頭に残るのかもしれない。
なので、この本も期待を持って読んだ。
本論の武田氏に入る前に、前史として関東地方の公方状況を書いてくれてるのよね。
公方とは、時代によって変遷した言葉だけれど、とりあえず室町時代の公方は
関東圏内にあった武家政権の出先機関の長としての呼称。
関東公方、鎌倉公方、古賀公方とかは聞いたことがあったけど、
堀越公方、小弓公方という聞いたことない名前も出てくる。
Wikiを見ると他にも5つ6つの呼称があったらしい。なかには郡山市や須賀川市、
越中市、大阪府堺市で成立した泡沫公方もいたようだ。
しかしまあこの公方状況についての説明が冒頭の正味1ページ半くらいなんだけど。
ほんっとにややこしかった!たった1ページ半なのに内容が全く頭に入らない!
ゆっくり読んで、わけはわかったけど、それが記憶できる気が全くしない!
今後おそらくこんな機会もないので、武田氏前史である関東地方の公方状況について
理解できる限りにおいてメモっておく。
室町幕府は関東を直接統治せず、鎌倉公方を置いていた。
初代は足利尊氏の四男、基氏の血統。
しかし代々の鎌倉公方は京都の征夷大将軍の位(名実共のナンバー1)を狙い続ける。
それに歯止めをかけていたのが、鎌倉公方の補佐役である関東管領家である上杉氏。
補佐役というよりお目付け役というべきかもしれない。管領の任命権は幕府にある。
第4代鎌倉公方・足利持氏が室町幕府に反乱を起こした。(永享の乱)
その反乱は鎮圧され、持氏は死亡。その結果、鎌倉公方の権力は便宜的に上杉氏に与えられた。
それに関東の豪族たちが反発し、持氏の遺児・成氏が第5代鎌倉公方として任命される。
が、永享の乱で幕府側として戦い、持氏を死に至らしめた上杉氏は新公方にとっては親の仇。
公方と管領という立場で並び立つはずもない。
新公方は上杉氏の当代を謀殺し、上杉氏の勢力範囲であった鎌倉から、
支持豪族の多い下総古河(茨城県)へ移り、以降古河公方となった。
この混乱に対処するために、八代将軍・義政は自らの庶兄・政知を鎌倉公方として派遣する。
が、結果的にはこれが悪手。
義政と古河公方・成氏の間で最終的には和睦したために、政知が宙に浮いてしまった。
当然政知は不服で、しかし鎌倉に入ることは禁じられ、その手前の伊豆堀越で足止め。
その後は堀越公方(ほりごえくぼう。この語は初めて見た)として存在する。
しかし公方とは言っても実権はない。
堀越公方である政知は、実力行使で鎌倉入りし、正当な鎌倉公方となろうとしたらしい。
だが実際に動き出す前に本人が病死。
以上が、武田氏前史としての公方状況の第一段階。まあまあわかりました。
結果的には鎌倉公方が争いの結果として古河へ移り、本来必要のない堀越公方という
存在が出現し、権力争いがさらに複雑化した。
第二段階。
政知の死亡により、堀越公方家では末子と庶長子の跡目争い勃発。
結果的には庶長子側が勝ち、末子側は殺される。庶長子側には関東管領が味方したらしい。
第三段階。
武田氏は位置関係的にも堀越公方家と関係が深い。
それゆえ、堀越公方家のお家騒動の影響を受けた可能性がある。
信玄の曽祖父・信昌と祖父・信縄が末子と庶長子側に分かれがゆえに内紛が起こったのかも。
……というのが武田信玄以前の関東の状況らしいです。
武田氏については各論だから、まあ覚えられれば程度だけれど、
第一段階である古河公方と堀越公方の発生、その際の関東管領上杉氏の立場というのは
覚えておくべきかも。
しかし関東管領家も、(山内)上杉氏の他に扇谷上杉氏がいてその関係性は知らないし、
初耳だがさらに他に宅間と犬懸がいて、上杉四家というらしい。
これについては混乱するので、今後縁があったら後日……
まあこの点だけでも覚えられれば、1冊読んだ甲斐があるというものですよ。
最初の1ページ半の内容だけで満足されては著者はがっかりするだろうが。
その後、曽祖父、祖父、父と信玄、四代にわたっての武田氏と、
近隣大名の同盟・敵対・和睦・婚姻が永遠に繰り返される。
これが頭に入るとは全く思わん。いるんでしょうねえ、好きな人の中には覚えてる人も。
そして信玄の事績、勝頼の事績と武田氏の滅亡。ここまででおよそ4分の1くらい。
手際良くまとめましたね。ややこし~いところを。著者えらい。
それからが本題である武田家家臣団の各論。
まず個人個人の事績を主に描いて、職掌などが後半になってから説明されるので、
普通は書き方逆だろうと思ったが、読み終わってみれば、個人のキャラクターを
うっすら掴めた後に職掌の説明が読める方が頭には入るかもしれない。
わかりやすかったように思う。
しかしわかったことと、それを記憶し続けれらるかどうかは別問題だが。
武田家家臣団を説明するのは大変です。
御一門衆と親類衆、譜代家臣と外様国衆――とすっきり分かれていれば簡単だが、
その他にも別な区分も存在するし、職掌でも違うし、何代か経るうちに家の立場が変わったり、
親族と姻族で扱いが違ったり、まあ当然なんだけれども本当にややこしかった。
ほとんど個別状況なんだもの。
そこらへんをうまく書いていた著者えらい。
読んで良い本。内容を説明は出来ないので読んでください。
――武田氏家臣団は「信長の野望」で若干目に親しいところ。
多分かなり初期の「信長の野望」だな。プレイ方式からして戦国群雄伝だったか。
信長でプレイするより武田信玄でプレイする方が
有能な武将が目白押しで楽だったまであった。
武田信繁。山県昌景。馬場信春。戦闘力も高ければ内政力も高く、大好きだったなー。
数十年の時を隔てて、彼らを教養書で読む。なかなかにエモいことである。
歴史好きを標榜するわたしでも、室町時代のことはほんっとうによく知らない。
考えるに、室町時代には軸がない。大和時代・奈良時代は天皇を軸とし、
平安時代は藤原氏を軸とし、戦国時代は有力武将を軸とし、江戸時代は徳川将軍家を
軸と出来るのに対して、室町時代は室町幕府の影が薄すぎて軸に出来ない。
みんな各地でわちゃわちゃしすぎやねん。
まあそういえば鎌倉時代のことも全体的には知らないのだが、
源頼朝関連はまあまあ知っていることと、元寇についてうっすらと知っていることで
知っているつもりになっている。
武田氏関連書を数冊読んで来た気がするが、とにかく近隣大名のわちゃわちゃが
乗り越えられないなあ。覚えられない。
むしろ信玄の小説を読んでみた方がいいのか?そっちの方がとりあえずの線は
頭に残るのかもしれない。