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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

◇ イザベル・アジェンデ「エバ・ルーナのお話」

2025年06月23日 | ◇読んだ本の感想。
まず一言文句を言っておきたい。
まさか「エバ・ルーナ」と「エバ・ルーナのお話」が違う作品だとは思わないじゃないですか!
なので「エバ・ルーナ」を読む前に「お話」の方を読んでしまった!
……まあ特に支障というほどのことはないようですが。でも順番に読んだ方が
面白かったそうなんだよね。


シェヘラザードになぞらえた、短い話の連続。
白水Uブックスだから、これは新書と同じ大きさですか?
およそ350pだけど、各話10ページから長くても20ページくらいの連続なので、
読みやすかった。こういうの苦手な人はいるだろうけど。

「こういうの」とは何を指すかというと、マジックリアリズムってことですかね。
なんというか、呪術や精霊や魔法が当然のようにある世界で(しかしそれらを特に
取り上げることはなく)、展開される濃密な話。

わたしはこの人の「精霊たちの家」を何年も前に読んで、すごく面白いと思った。
……細かい内容は忘れてますけどね。でも世界文学で、名前も知らずに読んで
一番面白く思った作品じゃなかったかな。作家として好きになった。
なので今回はツブすことを目的にラインナップ。

ただ、短編が延々と続いていく(ごくたまに複数話に出て来る人もいるけど)だけなので、
特に話として取り上げたいものはなかったです。
こういう系の話は、読んでいる間の時間を楽しむ。読み終わった後に考えることは
あまりない。少なくともわたしは。

この本の表紙にルソーの「蛇使いの女」が使われているのが本当にぴったりだよね!
まさにこういう話だと思うよ。
――ちなみに余談だが、ルソーは非常にヘタクソな絵と、詩情漂う絵の乖離がものすごく
激しくて、一体なんなんだと。ヘタなのが上手くなっていくわけじゃないところが謎。
ルソーは実は2人いたんじゃないのか。


これからイザベル・アジェンデは全部読んでいくつもりだが、
わが自治体内の図書館には邦訳が全部揃っているわけではないようで……
そもそも邦訳されていないものもそこそこある。文学作品にしては(?)出版点数多いが
まだ3分の2くらいかねえ。いずれは全部訳されていくと思うんだが。

数少ない、友達付き合いが出来る世界文学。今後ともよろしくお願いします。

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◇ 宮部みゆき「小暮写真館」

2025年06月17日 | ◇読んだ本の感想。
かなり前からリストアップして、今回ようやく読んだ。評判良かったですからね。

わたしの中では、宮部みゆきと東野圭吾は好きな作家というよりも「上手い作家」。
読んで「上手いなー」と高度なレベルで感心はするけれども、親近感にはあまり結びつかない。
何冊かずつは読んでいて、ハズレはないんだけれどもね。

だが宮部みゆきは「すごく面白い!」と心から思った作品があって、
それは「ぼんくらシリーズ」。これは本当に好きだった。シリーズ3作あって、全部好き。
わたしはシリーズ4作目を待っていますよ!

本作はそれに次ぐ面白さの宮部作品。




なんでこの厚さで1冊にしたのかなあ、宮部みゆき。と読みながら思っていた。
単行本で700ページ超。全4話で、ちょうど上下巻に分けていい分量なのにね?
と思って最後まで読んだところ、……なるほど。と納得することになった。

これは1冊かもしれない。まあ上下分冊があり得ないわけではないけど、1冊にする意味は
理解できる気がする。1話から3話が果汁100%的な爽やか青春小説なのに対して、
4話でその青春小説が別の物に変わる。たまにやりますよね、宮部みゆきは。

ただ、わたしは全部青春小説の方が好きだったかもしれない。
4話が嫌いなわけではないけど。やはり重いから。




ネタバレあります。













花ちゃんの心の闇をこう設定してしまうと――今までの青春小説が、嘘とはいわないまでも、
非常に薄っぺらなことにならないかね?
たしかに匂わせてはいる。伏線の張り方は宮部らしく、非常に上手い。
でもそれまでの、見たままの花ちゃんの方が好きになれたかもなあ。
これが一点。


もう一点は、そもそも垣本順子にもう少し魅力を添えてあげた方が良かったということ。
癖がある女なのはいいのよ。自殺願望があるのも仕方ないとしよう。
ここももう少しマイルドにしてくれてもいいのになーとは思ったが。

でも序盤、垣本順子は魅力のちょっともない人だったよね?
愛想がないだけならまだわかるが、態度が悪い人はわたしの基準では好意を持ちえない。

宮部みゆきが「ちょうどよく」書けないわけないんだから、
態度を悪い人にしたいんだったら、もう少し、もうほんのちょっと垣本順子の
可愛げを――見てすぐわかるところにぽんっと置いといてくれれば良かったのに。
そうでなければ花ちゃんが垣本を気にすることが納得できないのよ。

ピカちゃんがかわいいねえ。「youtuberのすしらーめん・りくの歳の離れた弟」の
イメージで読んでいた。いや、なかなかぴったりじゃない?もしかして宮部みゆきも
この子をモデルにしてたりしない?と、20分くらい考えていたら、
この本の出版が2010年だったことを知る。りくの弟は今6、7歳?
影も形もないころですね。

そしてコゲパンがすごくいい。このコゲパンが近くにいて、それでも垣本順子に
目が行くかなあというのも納得できない。けっこう年上――4、5歳?もうちょっと?
目を離せないとか、心配で気になる、というレベルならわかるけれども、
これはほんのり恋心だよね?それにしては特に前半の垣本順子は癖がありすぎる。


とはいえ、この2点以外は(重大な2点だけれども)だいたい満足。
やっぱうめえな、宮部みゆき。と思いながら読んでいた。

前述通りだがコゲパンの造型がいいわー。でもコゲパンは別な奴とくっつくのねー。
テンコも、最初思ったよりは出て来なかったけどいいですね。そのお父さんというか
ご実家もいいアクセント。
不動産社長もいい味。


これ、こないだ映画だかドラマになりましたよね?
先日テレビでやったのを録画したはずだから、そのうち見よう。
……と思ったが、テレビドラマ、2013年製作で愕然とした。
いや、つい3、4年前じゃなかったですか?

でもそうですね。神木隆之介が主役なら、さすがに4年前ってことはありませんよね。
高校生の役なんだもの。
不動産社長は笹野高史というのは年齢が上すぎじゃないだろうかと思ったのも、
12年前ならまあまあなんとか……。月日は飛ぶがごとし。


面白い作品でした。




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◇ 高橋秀実「おすもうさん」

2025年06月11日 | ◇読んだ本の感想。
わたしは特に相撲に興味はない。それでも若貴兄弟が活躍していた頃は
何人かの力士は知っていたかなー。今はほぼ知らない。
現役力士の名前を挙げろと言われても一人も出て来ない。

そんなわたしには、この本に書いてあることはほとんど全て、初めて知ることばかりだった。

といっても、著者は芸風としてハズシ技の人なので、
そもそも多少相撲を見る人・好きな人が読んでもこの本は聞いたことがないことばかり
なのではないだろうか。
たとえば。

力士たちは「気がついたらここにいた」。勉強が苦手なのでどうしようと思っていたら、
周囲に勧められるままなんとなく相撲部屋に入っていた。
相撲を取る時はとても怖い。稽古でさえとても怖く、遠慮してしまう。
厳しい稽古が想像されるが、実際に取り組みの練習をしている時間はとても短い。
朝から11時頃まで練習し、その後は食事をし、昼寝をし、起きて掃除などをし、
夜ご飯を食べ、そして寝る。
お相撲さんが太れるのは食べ続けられるから。食べ続けられるコツは、限界が来たら
一点を見つめ、体も動かさないようにしてひたすら機械的に物を口に運ぶこと。

などなど。


まあこういう細かいことならまだわかるが、

相撲が「国技」になった経緯は、明治初期に相撲常設館を「国技館」と名付けたことから
始まる。その名前のアイディアは江見水蔭という小説家から。
設立委員長であった板垣退助はのちにそのネーミングの選択を後悔し、
「武育館とつければ良かった」と書いている。
それまでは相撲は国技とされてはいなかった。

こうなると「え!?」というしかない。
この人はユルい視点で笑わせる芸風だが、いや、これほんと?と思うと、
今までわたしが知っているつもりだった「相撲」という存在が、まったく違うものである
可能性が出て来て愕然とする。

相撲好きの人に一度読んでみて欲しい本。これが事実だとすれば、おすもうって何?と
思いませんか。



そして愕然とするといえば、わたしはこの人の本をここんとこ10冊近く読んで来た
というのに、今回名前の読みが「たかはし・ひでみね」であることを知って一驚した。
「ひでみ」だと思っていた。せめて「ひでざね」までだろう。



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◇ 孫崎亨「アーネスト・サトウと倒幕の時代」

2025年06月01日 | ◇読んだ本の感想。
装丁がそれっぽかったので、てっきり学者本だと思っていたのだが、
経歴の終盤に防衛大学校教授というのがあるとはいえ、基本的には外交畑の人。大使経験者。

読み始めで文章に拒否感を抱いた。
一文改行。わたしコレ嫌いなのよねー。
日本語の書き方はそれなりに自由度が高いが、基本はひとまとまりの内容を
一段落で書くべきだと思う。
一文改行は、そのまとまりを考える力がないことの表明ではないか。

もう一つは、ところどころの文章がゴシック体で強調されていること。
これはねえ……文章としての品がすこぶる落ちますよ。
そのへんのビジネス書じゃないんだから!と思っていた。

で、最初の10ページ、20ページで読むのを止めようと思ったんだけど、
その日は長時間外出の日で(←免許更新に行った)、この本しか持っていかなかったので
仕方なく読み続けたところ、半分くらいまで来た辺りでわずかに面白みを感じ始めた。

面白かったのは幕末・明治維新の細々したところですね。
なにしろ幕末は、ま~~~~本当にめんどくさい!歴史的出来事としてめんどくさい!
歴史嫌いの人は、幕末・明治維新をばっさり切って他の時代に集中した方がいいと思う
くらいめんどくさい!

このめんどくささは、とにかく関係者が膨大なことと、時間的にも比較的長期にわたること、
その関係者が時間が経つにつれて、立場や意見をまったく変えていることに由来している!

そしてこの本は、概括はほぼないに等しいけれど、一つ一つの動きをただ羅列することは
出来ているので、その細かい動きを「なるほどなるほど」と読める。

ただしはっきりいってこの本の内容は、アーネスト・サトウをタイトルに持ってくるほど
サトウについて述べているわけではない。アーネスト・サトウは序盤はそこそこ、
中盤はほとんど出て来ず、最後に申し訳程度に出て来るくらい。
なのでタイトルは「倒幕の時代――人々の行動を追う」くらいが適当か。
……キャッチーさはまったくありませんがね。

内容の精度も決して高くはない。なので、まあ面白かった羅列の部分も
どこまで信頼していいのか……。なにしろ参考として小説家の言説まで採用しているから。
学者っぽい人の著作名もそれなりに出て来るけど、まあ本人も学者じゃないことだし、
ちょっと信頼性には欠けるかもね。

なんとか最後まで読んだので一応書いたが、よく考えてみれば読むまでではないかも……。
少なくともアーネスト・サトウについて総合的に読みたい人は、
あえて読む必要はない本です。

「遠い崖」を読む前に1冊のしっかりした概説書を読みたかったのだが。
ちなみに「遠い崖」は全14巻です……。

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◇ 石田洵「平泉をめぐる文学 芭蕉に至るロマン世界」

2025年05月23日 | ◇読んだ本の感想。
読み始めてから、書きぶりと出版社から自費出版かな……と思ってハードルを下げたが、
それでも内容はなかなか良くて満足。面白かった。
著者はたしか校長先生とかの経験者だったかな。

わたしは20年以上前に平泉関連の書籍をけっこう漁った。
この頃の記憶は八割方消えているが、でも大どころはだいたい押さえている(いた)という
気はしている。

この本では稗史・説話集に潜んでいる平泉関連の話を拾ってくれていて、
小さい話が読めて面白かった。
話自体はちょこちょこ読んだものもあったが、さらにあちこちの言い伝えなども含まれていて、
これは史実とは違う部分の、庶民感情を表したものとして貴重。
義経の関連としての平泉も多いが、独立した平泉はさらに面白い。

後半の3分の1くらいだろうか、話が芭蕉に移ってからの話は深くて面白い。
この辺が一番得意な人なのかな。
……本をもう返してしまったし、読んでから一週間ほど経っているので、
細かい内容は忘れてしまったが、兼房について深く触れているのが独自性。

兼房は「卯の花に兼房みゆる白毛かな」の人。義経の奥さんの久我大臣の姫の守り役……
と言われるようだが、そもそも久我大臣の姫というのが架空で、この人も架空。
それを言ったら弁慶も架空らしいが。
まあでも義経と熊野水軍との繋がりはどこかであって欲しいと思うのよねー。

おやおや。「兼房みゆる」は曽良の作だったですか。
けっこう詩情があって好きな句だが。

わたしは平泉好きだが、なぜ好きになったかというと、それは「おくのほそ道」からといって
過言ではない。
とある夕暮れ――高館にのぼって、目の前に束稲山を見晴るかし、北上川の流れを見、
そして傍らにある石碑に彫り付けてある「平泉の段」を読んで、その美しさに震えた。
他に誰もいないところで、声に出してその文を読み上げた。
そこからの平泉LOVER。

そういうこともあって、この本の内容は共感できるものだった。
面白く読ませてもらった。


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◇ 柳広司「虎と月」

2025年05月17日 | ◇読んだ本の感想。
虎と月といえば「山月記」で、それは想像通りだったが、冒頭を読み始めた時には
「え、これ短編……?」というような薄さというか小ささで、これがまさか1冊分の
長編になるとは思わなかった。なりましたね、長編に。

久々に面白かったと思った。
柳広司は最初の3冊くらいすごく面白く、今まで10冊ちょっとくらい時系列で読んでいるが、
やっぱり数が増えるとそこまでではないものも出て来て……ここんとこ
ちょっと物足りなかったのよね。

この人は歴史や文学作品を基にして、そこから話を作っていくタイプ。
古代ギリシャが舞台とか、漱石の作品とか、楽しませてもらった。

この話はちょっと不思議な雰囲気の話でしたね。
異世界ファンタジーみたいな趣も少しある。14歳の少年が主人公で一人称の語り手なので、
ライトノベルくらいの感覚で読める気がする。
多分、最後の数行は「山月記」の引用じゃないかな。

中島敦は20年近く前に全集を読んだな。全集と言ってもたしか全4巻。
短い生涯の人だったから。
中島敦の文章は好きだった。水のように端正。名文章といってまず思い浮かぶのは
この人です、わたしの場合。おすすめ。

……柳広司の本の感想だったはずだが、中島敦の話になった。
まあ面白かったということで。

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◇ 池澤夏樹個人編集世界文学全集Ⅲー02 カプシチンスキ「黒檀」

2025年05月09日 | ◇読んだ本の感想。
最初は小説だと思って読み始めたが、実はルポでした。紀行文という側面もあるけど、
よりルポでしょうね。
こういうジャンルは自分では絶対に手に取らないので、全集を読んでいる功徳、
と思いながら読み進めた。

――が、わりと最初の方でつまづく。
まえがきで「公式のルートは避け通したし、宮殿とか、重要人物とか、
政治の大舞台なるものは、極力敬遠した」と書いてあり、なるほどと思ったのだが、
14ページではもうガーナの教育情報相、コフィ・バアコと会っているのよね。

この人は重要人物では?――と思うと、もういけません。
「極力敬遠した」と書いてなければ全然気にならなかったはずの内容がひっかかる。
その後も何人かのお偉方には会っているようだしね。

それでも3分の1くらいまではそこまで疑問は持たなかった。
書き手の身分というか、職業が「ジャーナリスト」だと知る前は。
ジャーナリストにはね、……偏見があるのよねー。

ジャーナリストは基本的に「現在を見て文を書き、それを売って生計にする人」。
それを高精度で実現するには、現在を見る洞察力とともに現在の基盤である過去――
風土と文化を知る必要がある。
そして過去を高精度で知るためには、ものすごい蓄積が必要だと思うのだが、
ジャーナリストのあり方として、一つ所をじっくりと何年もかけて取材はしないだろうと思う。
なぜなら数をこなさないと生活が立たないから。そして同じ場所で地味な記事を書いても
その記事は売れないから。

このカプシチンスキという人はまえがきで、40年間の仕事のうちとびとびに8年
アフリカに滞在したと語っている。
8年は、一般的に考えればたしかに長い。しかしどのくらいのスパンのとびとびなのか。
その土地を深く知るためには、本当の意味で知るためには10年くらいかかるだろう。
半年程度ではその土地の表面を撫でることしか出来ないだろう。

そしてアフリカ大陸は広いのだ。国の単位で考えても10や20ではない。
その中に複数の部族があって、文化も気質も違う。とびとびに滞在するカプシチンスキは
一体いくつの言語に精通出来たのか。たとえアフリカの言語を日常会話程度なら
5種類覚えられたとしても、深い話、抽象的な話、独自な文化の話や考え方は
日常会話程度の言語力では高精度には伝わらない。


このことについて個人的な経験がある。二十年ほど前、イギリスから地元へ観光に来た友人を
観光名所である江戸時代初期の藩主の墓に案内した。安土桃山様式の豪華なお堂に眠る骨。
立札には殉死した家臣がいたことが書いてあった。
それをつたない英語で説明し、ま、いわゆるハラキリだね。と締める。
「Oh」と彼女は言った。「Terrible.So Sorry」と。

それを聞いた瞬間、頭がガンと殴られたような気がした。
カルチャーショック。

心底、亡君に忠義を尽くして死出の旅の供をしようと思った人々。
殉死をするだろうと周囲からプレッシャーをかけられ、嫌々ながら死んでいった人々。
殉死した人の家族にかけられただろう「立派なご最期だった」という声。
それを聞いて家族は何を思ったのか。
愚かであり、哀れであり、ほんのり輝く後世の我々からの目。
「武士道」という言葉の魔術。

フラッシュバックのように、説明したいことがさまざまに浮かんだ。
殉死にはいろいろな立場や思惑が含まれている。歴史的にも心情は移り変わっていったはず。
――しかし単なる観光客として来た友人には絶対に理解出来ない。
理解するためには膨大なインプットが要る。

それを説明するのは、難しくもあり不必要なこととも思える。
これが研究者などであるのなら別、ただの観光客に対して20分も30分もかけて
「殉死」に対する日本人の歴史的な背景、心情などを事細かに説明しようとは思わない。
その能力もない。

だがそういった情報を欠いた「殉死」は、「殉死」の内容としてあまりにも薄く、
TerribleでSo Sorryな出来事でしかない。
――こういうことは、ひたすら果てしなく、アフリカの諸民とカプシチンスキの間でも
起こっていたと思うのだ。

時間をかければその部分が多少なりとも改善された可能性はある。
しかしカプシチンスキは世界を股にかけた――それを誇るタイプの
ジャーナリストだったと思われる。実際世界のあらゆるところへ行っているらしい。
訳者の一人によるあとがきでは、訪れた国は100を超えるとある。

50年の活動期間、講演で訪れた国もあるらしいから、実働が数年はマイナスされるとして
まあ45年で100国以上となれば1年3カ国。……と単純に計算は出来ないとしても、
たまには自宅にも戻っただろうし、「じっくり」という言葉とは縁がなかっただろう。



まえがきでカプシチンスキは次のように語る。

   かくて、これはアフリカに関する書物ではなく、何人かのあちらの人々、
   そこで出遭い、共に時間を過ごした人たちを語る著作である。あの大陸は、
   描き出そうにも、あまりに大きい。あれこそは、真の大洋、別個の惑星、多種多様で、
   かつ優れて豊かな調和世界(コスモス)だ。アフリカ――とわれわれは呼び慣わす。
   だが、それは甚だしい単純化であり、便宜上の呼び名にすぎない。現実に即するなら、
   地理学上の呼称はそれとしても、アフリカは存在しないのである。

まえがきは短く、全部で12行。上記の引用は5行に当たる。後半の5行。

そうだろう。あんなに広いアフリカを「アフリカ」とだけ思うべきではない。
たしかに最大の大陸はユーラシア大陸で、アフリカ大陸はそのおよそ半分でしかないが、
ユーラシア大陸の半分を一つのかたまりとしてとらえることの乱暴さを考えれば、
まえがきでカプシチンスキが言っていることは、まさにその通り!

……なのだが、この「黒檀」で、それほど個々を大切に扱ってくれてる気がしない。
全体は冷静で公正な書きぶり。文章の上手さは感じるし、アフリカの風景に対しては
美しさを感じさせてくれる――詩情、文学性がある。
だが、アフリカの人々にもう少し美点を探して欲しかった。共感が欲しかった。

訪れた場所はのべ21カ所。ここを何年かけての文章かはわからないが、
唯一印象に残った個人がマダム・デュフだけというのが不満というか、納得しにくい。
まあ解説によれば、彼女は数十年をかけて変化した「アフリカ」の象徴だそうだから、
一人カラフルに表現されているのは必然なのかもしれない。

基本的には「アフリカの現在」(ただし数十年前)のルポなので、政治状況の分量も多い。
――だが政治状況の部分は外側から書けないものでもなかった気がする。
現地に行ったからこそ書けるという部分が比較的少ない印象。全部とは言わないが。

文学性のある文章は楽しめたけれども……全体的には結局疑問を感じつつ読んだ。



ああ、それから。
ここはひどいと思った、という部分があって。忘れもしない267ページ。

   
   つまり、ヨーロッパの文化が他の文化と違うところは、批判能力、なかでも
   自己を批判的に見る能力がある点だという話である。分析し掘り下げる技術、
   普段の探求心、安住しない姿勢。ヨーロッパの思考は、自身に限界があることを認め、
   自身の欠陥を否定しない。懐疑的で、安易に信じず、疑問符を付ける。

   概して、他の文化にはこの批判精神はない。
   それどころか、自己を美化し、自分たちのものはなにもかもすばらしいと考える
   傾向がある。つまり自己に対して無批判なのである。

   あらゆる悪いことは、自分たち以外のもの、他の勢力(陰謀、外国の手先、
   さまざまな形での外国による支配)のせいにする。自分たちへの苦言はすべて、
   悪意ある攻撃や偏見や人種差別だと見なす。
   
   こうした文化の代表者たちは、批判されると、それを個人への侮辱であり
   愚弄でありいたぶりでさえあるとして、憤激する。
   彼らに向かって町が汚いと言えば、彼らはまるで自分たちが不潔な人間と
   言われたかのように、耳や首や爪が汚れていると言われたかのように、受け取るのだ。

   自己を批判的に見る精神の代わりに、悪意、歪んだコンプレックス、妬みや苛立ち、
   不平不満や被害妄想でいっぱいだ。結果、彼らは、恒常的・構造的な文化上の
   特性として、進歩する能力に欠け、自らの内に変化と発展への意志を
   創り出す力を持たない。


(注・読みにくかったので適宜、行を分けました。原文は改行なし)


これはエチオピア長期在住のイギリス人男性とカプシチンスキが話し合った内容だという。
(ちなみにカプシチンスキはポーランド人)
この「ヨーロッパ文化は素晴らしく、その他の文化は~」という文章は、
それだけで、筆者に対する信頼を失わせるものだった。

それは(常にわれわれが直面している)西欧世界の傲慢ではないのか。










公平にいえば、この部分以外はそこまでアフリカ世界に対する偏見は感じない。
というか、積極的に美点を見つけようとしない姿勢は気になるけれども、
まあ政治的アフリカであればこうなるのか……と、テーマに疎いわたしはそう思う。
民俗的アフリカは非常に豊かだろうけど。この人が書くのはそこではないしね。

とはいえ、アフリカの人が「黒檀」を読んで、どんなことを思うか、
それは聞いてみたいと思う。

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◇ 「夏目漱石全集6 門/彼岸過迄」(ちくま文庫)

2025年05月03日 | ◇読んだ本の感想。

「門」はたしか2度目だなあ。
雰囲気は覚えていたが、後半の流れは忘れていた。
特に最後、こんなにほの明るく(同じくらいほの暗く)終わるんだっけ?
破滅を暗示して終わるような気がしていた。「それから」に引きずられているか。

夫婦の精神的な結びつきを丁寧に書いているところがいいね。
明治~昭和くらいの日本文学って、恋愛話というより、単に男と女の話って感じで
じめッとしているイメージ。森鴎外でさえ「舞姫」あたりも男から見た女。

でも本作では御米も女というより人間。こんなに違う性をちゃんと書けるんだと意外。
もっと漱石は朴念仁な気がしていた。というより今でもしている。
奥さんにブツブツ言っているシーンが多いからだろう。
でも奥さんともそれなりに仲が良かったのかな。随筆を読むとそうは思えないのだが。
真実は藪の中。



「彼岸過迄」は初めてかもしれない。漱石作品の主なものは一度は読んだと思っていて、
「彼岸過迄」も読んだと思ってたが、内容に全く覚えがない。
あんまりつまらなさそうだったので止めたのかな。

正直、半分はつまらなかったですね。
とにかく前半はつまらなかった。敬太郎に焦点が当たっている部分はほぼつまらない。
あんなぼんやりな男のことを事細かに読んで何が面白かろう。

後半になって、須永の告白になってから、ようやく漱石の真骨頂。面白くなる。
まあストーリーとしては特にこれといったものはないんだけどね。
でも漱石の良さはしんねりむっつり書く心理描写だから。
須永も相当に面倒くさい奴だが、これが嫌いなら特に漱石を読む意味はないだろうし。

須永の告白の前と後で、松本叔父のキャラクターが変わったのが納得出来なかった。
だいぶつまらない人物になってしまいましたもんね。めっきが剥げたというか。

そして松本のうわごとのような、締めにならない締めで話が終わる。
正確には敬太郎パートで数ページあって最後なんだが、もうほんとこれは
いかにも苦し紛れにくっつけただけで、この部分は全然ダメだろう。


この作品は伊豆の大病の後、しばらく療養してのちの執筆第一作らしい。
前書きでわざわざいうほど面白い作品にしたいと気張ってたようだし、
むしろ気負いすぎたんじゃないのか。

おそらく漱石はプロットをしっかりと考えて小説を書くタイプではなく、
ふだんから自分の中にある哲学を取り出してみせるために小説という形をとる。
書きながら話を整えていくタイプ。
前半は書きたいことまでなかなか届かなかったのであんなにうだうだしてたんじゃないのねえ。

ようやく須永が語り始めたので興にのって書いたが、須永で話を終わらせることが出来ず、
だからといって松本が今さら内輪を語っても仕方なく、どうしようもなくなったんだと思うよ。
もし面白い漱石作品だけ読みたいと思うなら、「彼岸過迄」はやめといた方がええで。
もっと面白いものはあるから。


次の巻からは随筆が多いようなので楽しみにしている。
随筆は数冊蔵書があるけどそこまで読んでない気がする。
漱石は随筆を書いていればよかったんじゃないですかね。
本当にいいたいことがあって、それを書きたい場合、小説という形式じゃなくて、
随筆でストレートに書いた方がはかが行くだろうと思うのよ。


漱石で好きなのは「倫敦塔」。「夢十夜」。「猫」。「三四郎」。
おっさんがロマンティックなのが好きなら、特にこの4つで十分。
「それから」「虞美人草」は読んでもいいかな。

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89ers、4月23日の試合。

2025年04月24日 | ◇読んだ本の感想。
勝たせてもらいたかった……(泣)。

なんか動きも良かったし、上手なプレイも多々あって、前半はリードしていた。
けっこう良かったと思ったんです。もしかして来たか!?と思った。

……が、やっぱり負けちゃったんですよー。
相手もだいぶミスしてくれてたしチャンスだったのになあ。
とにかく4Qの終盤の3ポイントが決定打。
惜しかった。惜しかった惜しかった。勝ちたかったなあ。

ナベショー!がんばってる!
キッドもなかなか!
今日は青木だったね!勝ってたら文句なくMVP!

最後のホームゲーム、土日の北海道戦は両方勝て!
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◇ 稲見一良「男は旗」

2025年04月21日 | ◇読んだ本の感想。
わたしは男臭い話は好きではない。つまりハードボイルドはあんまり好きではない。
しかし稲見作品はなんとか読める。ものによるけれども。
これは柔らかい方のノリなので読めた。

いや、これはハードボイルドというより、大人向けの皮を被った少年冒険小説ですね。
特に後半。前半は首を傾げつつも、かろうじて普通の話ではあるんだけど、
後半は何しろ宝島を探す話ですから。
全体的にリアリティがない。これはなあ……と思うところ多々あり。


――でも、書きたかったんだろうなあ。
多分。わたしは稲見一良の詳細を知らないけれども、多分。
この本の発行は1994年2月15日。そして稲見一良の命日は1994年2月24日。
死因は10年闘病を続けた癌だそうだから、多分発行日には相当に弱った状態だろうと。
そのせいか、この作品の版権はEmiko Inami。奥さんか、娘さんか。

これは前半部を1991年の小説新潮に連載し、後半は書き下ろしというイレギュラーな
作品らしい。書き下ろしだからこそ形を成したということはあるかも。
よく言えばファンタジー色強め、悪く言うと子供っぽい。

ただその子供っぽさが悪い一方かというと、そこまでではない。
リアリティが!とはいいたくなるけど、爽快ではある話。キャラクターがみんな可愛いし。
少年の夢の話を書きたかったんだろうと思う。その気持ちはわかる気がする。


そして、この話をこのわずかな残りのページ数でどうまとめるのか……?と
思いながら読んだが、なかなかの力技だが、ほー!こう来たか!という意外性があった。
これなら短いページ数でまとめられるし。絵面も派手だし。なかなかいい。
子供っぽいが。

この話は主人公の飼っているコクマルガラスの一人称の視点なんだよね。
一人称のわりには露出が控えめだが、鳴き声の違いの部分は気分が盛り上がった。
作者の烏に対する愛情を感じる。さらに登場人物全員に対する愛情も感じるので――
大人が書いた「ワンピース」的な話、と例えるのはありかな。
もちろんワンピースのボリュームには遠く及ばないわけだが。

欠点はあるが、可愛らしさも感じる作品。
おそらく最晩年に書いた作品だろうと思うので、そこを含めると温かく見たくなる。
稲見一良は、好きだとはいえないけど、きれいな文章を書く人だった。
かっこつけたいところがたくさんありすぎたきらいはあるが繊細で誠実な書きぶりだった。

わたしが稲見一良を読んだのは最近なので、すでに亡くなっていたんだけど、
こういう人が(比較的)若く亡くなるのは惜しい。

コメント
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