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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

< 名探偵ピカチュウ >

2025年01月05日 | テレビで見た映画。
たしか映画館へ見に行こうか迷った記憶があるのだが……
見終わってから思えば、正直言って行かなくて良かったと思った。
面白くなったのは残り30分を切ってからでした。

まあその頃まで、子供向けの映画だとは気づかず見てたんだけどね。
わたしは潜在的に、良い創作物には子供用、大人用という区別はないと思っていて。
そりゃ子供には難しくて無理、という作品は実際にはあるだろうが、
基本はいいものはいい!だと思っている。

が、やっぱり子供向けは子供向けですな。子供向けと思ったら普通に見られる。
実はわたしはポケモンの設定はほとんど知らないので、
まあそのせいもあって面白どころがわからなかったという理由は大きいだろう。

大地が垂直に立ち上がるシーン以降は面白くなりましたね。
ミュウⅡってこういうキャラクターかー。かっこ良かったね。
ようやく話がスピーディに展開して、それ以降は普通にエンタメ。
このくらいのスピード感で最初から行っていたら面白かったかもなあ。

ポケモンファンのみなさんはどうなんですか、ピカチュウがシブオジになるのは。
ピカチュウはあの可愛らしい声が魅力の半分、いや6割。と思うのだが。
シブオジ声も当然嫌いじゃないけど、大谷育江さんの「ピカチュウ!」の方がやはり。
シブオジ声はどの洋画でも聞けますからね。

あの、名前がわからないけど、パントマイムをする落ち武者みたいな髪型の
ポケモンのシーンが面白かったな。
多分ポケモンに馴染みがあれば、多分5倍くらい楽しめたのだろう。
やはり事前知識は大事だね。




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< さかなのこ >

2024年09月19日 | テレビで見た映画。
さかなクンは――いい人そうだし、すごい人だと思うし、嫌いというわけではないが、
何しろあの騒がしい喋り方が受け付けなくて、少し苦手。
なので、劇場公開時はまったくスルーでした。今回テレビ放映を録画して見た。

最初はちょっと入り込めないかなと感じた。
やっぱりさかなクンの映画だと思ってみると、気が散ったんだよね。
いや、こんな豪華な家に住んでるの?ヨーロッパ風で素敵な家だと思うけど。
パジャマのデザインがこれだと、けっこうさかなクンのテイストは貴族志向?
とかとかとか。いろいろ雑念が入った。

子ども時代は、わたしはけっこうさかなクンを引きずったかなー。
本人がメタ的に出てくるしね。子役は可愛かったけど。
やっぱりのんに代わったあとから徐々に入り込めた。

今のさかなクンを見るに、昔から年齢性別不肖の人だったんだろうね。
それを女性ののんが演じることで、そのものの存在を大事に出来た気がした。
これが男性役者だと、女性っぽくて、でもあっけらかんとしたところが無理でしょう。
誰かすっごく探せば出来る人がいるかもしれないが。

ハートウォーミングとファンタジーとシュールが上手く混交された作品だったね。
けっこう絶妙なブレンドだったと思う。
これは最初に思っていた「さかなクンの映画」ではなかったですね。
いや、さかなクンの映画かもしれないが、それよりも好きなことを追い続けることの
大切さという普遍的なテーマを上手に描けたと思った。

人間も上手く書けてたなー。
不良たちでさえ心温まるキャラクターだった。総長は磯村勇斗が中学生の不良を。
小学校からの同級生(特に親友ではない)は柳楽優弥が。
お母さんですな、豪傑だったのは。井川遥。ここのところ何作か、いい役で見た気がする。

さかなクンとプライベートで仲のいいらしいドランクドラゴンの鈴木が出ていたのも、
そう聞いていると微笑ましいかも。特に好きではないが。

のんは――「あまちゃん」を見てなかったので、ちゃんと見たのは初かもしれない。
なかなか良かったんじゃないでしょうか。
不良たちにびびらないミー坊を描いた脚本も良かったし、その脚本で演じたのんも良かった。
女、男ということを意識させないつくりが良かったね。声高に「差別、差別!と
いう世界にうんざりしており、この程度の自然なあり様でまずはいいんじゃないかと思った。

やっぱり創作物はね。プロパガンダになりうるんだよね。簡単にね。
そこを下品にならないように、上品に、作品の良さをつぶすことにならないように
上手に作ったと感じた。

まあご都合主義ではあるとは思うが……いい人たちばかりの話を書くんだから、
ご都合主義は仕方ないわね。下手にリアリティを追求するよりも潔いといえる。

しかし結末がどんなんだっけ?というのはもう覚えていない。
マー坊の明日へ向けての笑顔、的な感じでしたっけ?
まあいいやね。見てて楽しかったから。

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< 沈黙 サイレンス >

2024年07月24日 | テレビで見た映画。
シリアスな映画は苦手なのよ。見た後に気分が下がるから。
明るい、コミカルな気軽に見られる作品が好きだ。

なので、まあとりあえず録画はしたけど、見ようかどうしようかはちょっと迷った。
見始めてからも最初の3分くらいは止めて消そうかどうしようかちょっと迷った。
――その後は最後まで見入ってました。

正確には、途中で中断して2日に分けようか迷った。
何しろ長いですからね。160分。2時間40分ですか。
このくらいの長さになるとさすがに途中で集中力が途切れます。
でも何とか一度で最後まで完走して。まあ一度で見た方はいいよね。
中断すると、その後は余生になるからね。


※※※※※※※※※


見ながら舌を巻いていた。
いやこれ、すっごいバランス。

そもそも原作からして難しい話だと思う。
10年くらい前に読んだのよね。
日本人として、日本人キリスト者の書いた信仰についての小説――しかも書き手は
自分の信仰に悩んだ過去がある――を読むのもバランスが大変だと思ったが、
それを映画にするということは、

そういう複雑な背景を持つ原作を、
(多分)もともとキリスト教の背景を持つ外国人の監督が翻訳を経て読解する。
その読解をどこの立場に立って見せるのか。
西洋のキリスト者、日本のキリスト者、一般の日本人。

しかも時間的にもそれなりに距離がある話ですからね。400年。
時間的な距離については個々人の感覚も相当違う。
そのバランスはほんとに微妙。違和感に収まる幅がほんとに狭い。

わたしはこの映画で違和感はほとんど感じなかったから、そのこと自体に驚いた。
まさかそんな見事なバランスで見せてくれることは期待していなかった。

翻って考えると、キリスト教の西洋はこの映画をどう見たんだろうと気になりました。
お手軽にamazon.ukでDVDの評価を見ると、★4でしたね。
もっと簡便に海外感想を知る手段としてyoutubeがあることに気づき、
予告編のコメントを見てみると、英文での感想でポジティブな意見が多かった。
わざわざトレイラーを見てコメントをする人はこの映画を好きであろうし、
ネガティブ意見が削除されている可能性もあるけれども。



構図がきれいでしたね。どんなシーンもかっちりと決まっていた。日本画みたい。
台湾でロケをしたなんて、言われるまで気づかなかった。
九州あたりの人なら植生に違和感があったりするのかもしれないが、
こちら東北からすると、みっしりした植生にも五島列島はこんな風かと納得するし。
セットもかなり上手に作っていると思った。
建築物で違和感はなかった。

唯一あるとしたら、お白洲と刑場は同じ場所にはならんだろうなということくらいで。
他は海外が作ったものとしては再現度はかなり高いと思ったなあ。
「ラスト・サムライ」のなんちゃって感を思い出すと余計。

まあ最大の相違――日本には当時あんなに英語を喋れる人はおらん、というのはあるが、
それをいえば主人公たちがポルトガル人なのに全部英語を喋るというのがあるしね。
本当は来日した外国人はまず意思の疎通に相当に苦労したはずだが、
それを描いていると、多分10時間経っても映画が終わらん。

それにしてもみんなちょうどいい英語を喋りましたね。
すごく流ちょうなカタカナ英語。ぎりぎり、理解できるかどうかわからないくらいの
ジャパニーズイングリッシュ。もう少しカタコトにする方法もあったかもしれないが、
言語については矛盾には目をつぶることにしたんだろうな。
それよりも内容、表現を深めることを採った。それは正しかったと思う。

海の処刑は、あれ本当に撮った?CGでは出来ないよね?
満潮に沈む十字架の磔。俳優が無事かどうかはらはらした。
(無事じゃなければ映画は公開されてないだろうが……)
半死半生のか細い体。しかも肉体労働者らしい、筋肉の名残りはある。
あれ体を作るのが大変だっただろうね。すごい……

拷問の描写が多すぎる、という批判はあるらしい。まあなあ……。
たしかにもっと減らせたとは思う。が、これでもか、と迫害のシーンを並べることで、
やっぱり主人公の追い詰められ感が違うもんね。必要な分量だったといえる。


日本側の描き方も絶妙。
悪役なのか。迫害側なのか。しかしイッセー尾形はごく微妙に人間味も見せる。
「形だけ見せとけばええやん」ともいう。
しかし本当に形だけ見せればいいのかというと……。
その部分も、人によって場合によって違う。そのばらつきは史実でもあったものだと思う。

この映画ではほぼ完全に信仰の部分だけにフォーカスしているのだけれども、
日本人としては政治的な理由も考えないわけにはいかないし。
(そこを考えると、主人公が英語を喋るのがもやもやするが)
実際の信仰も、もっと深浅というか、行き違い、変形、変容があって難しいものだったろう。

終盤でフェレイラが登場してからはっきり言及されるが、日本のキリスト教は
本当にキリスト教だったのか。そこをもっとわかりやすく描いてくれた方が良かった。
わたしはわかりやすい話の方が好きだから。
あの程度だと難しかった気がする。匂わせ程度というか。

あとはキチジローの描き方が難しい。現行はちょっと物足りない気もする。
もっと上手く使えたような立場の人。この人を軸にするんだろうと思っていたが、
思ったよりは出てこなかった。

最後の最後、あれは可能かなあ。
奥さんの心づくしだろうけど、葬式まで見張られていたと説明されたあとだと
リアリティというより、実現不可能だろうという気がした。

そういえば、終章に突然出てきたカピタン?がナレーター役になるのは違和感があった。
もう少し説明してくれないとうまく繋がらないように感じた。
それで最後まで行っちゃうから、少々不満が残る。



とはいえ。見事な作品であったと思う。
スコセッシの作品は「シャッターアイランド」と「ヒューゴの不思議な発明」しか見てないな。
どちらもそれほど感銘を受けた作品ではなかった。今回のこれは見事。
が、こういうシリアスな映画はそもそも見る気にならんという重大な問題が……。

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< 八つ墓村(映画・1996年版)>

2024年07月06日 | テレビで見た映画。
この1年くらいで横溝原作映像作品を何本か見た気がする。
ホラーは嫌いだから基本的に見ないんだけど。
「悪魔が来りて笛を吹く」「犬神家の一族」……以上か。
もう1、2本あったかと思ったが。

この他に小説「本陣殺人事件」を読んだことがあって、その上で思うことだが、
――ほんとーにこの人は旧家のドロドロが大好きだね!
こういう道具立てしか書かないの?マンネリとは言われないの?



まあこの映画は、人間関係のドロドロはそこまでではないけれど、
流血成分はけっこう多めだった。吹き出す血しぶき。毒殺の吐血。
が、ここまでされると若干ユーモラスに映る。むしろ怖くなくなるのでありがたいのか?
でもそこを狙ってるわけではないよね?
いいんだろうか、この血しぶき(と吐血)の配分は。

面白いとはほとんど思わなかったけど、最後までは見たなー。
いいも悪いも、特に思うことはなかった気がする。
28年前の作品ということで、出てくる役者がみんな若いなーと思って見ていた。

浅野ゆう子も萬田久子もきれいだった。
双子のおばあさんは岸田今日子でしたか!当時66歳だったようだから、
そこまで高齢ではなかった。長身のイメージだったが、この役はちっちゃかった。
156センチですか。大きくないんだな。
白石加代子はやはり怪演……。好きだ。ただ今回はそこまでオイシイ役ではなかったが。

そしてわたし、多分トヨエツ初だわ。若い頃はけっこうきれいな顔だったんだねー。
あ、違う、「漱石悶々」で見てた。
もっと癖の強い芝居をするイメージだったが、わりと柔らかい金田一耕助だった。
金田一耕助だったらもっと癖があってもいいような気がした。まあこれは演出の好み。
本作は金田一がかなり脇役だよね。重みがない。これを良しとするかどうか。

これを是とするなら、辰弥の方にもうちょっと重みがあった方が良かった気がする。
まあ特に不満はなかったが、主役というには軽いよね。
金田一が主役の作品の辰弥ならこれでもいいけど、金田一をあのくらいのあっさりさで
描いて、主役もこんな感じだと中心がない気が。


昭和24年の話ということを強調したかったのか、画面がざらざらしていて見にくかった。
わたしはもともとぱっきりした、わかりやすい色使いが好きだから。

金田一の登場と退場の画は(ほとんど同じ)きれいだったね。日本画的で。

まあでも淡々と進む淡々とした「八つ墓村」ということでアリなんじゃないでしょうか。
2019年のドラマの放送があったら見るかもしれないけど、横溝の映像作品は
これでいいかなあ。「悪魔の手毬歌」なんかも旧家の見立て殺人だから「またか」と
なりそうだしね。



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< ロビンとマリアン >

2024年06月24日 | テレビで見た映画。
このロビンはロビン・フッド。マリアンは彼を愛した女性らしい。
1976年の映画。主役がショーン・コネリーと何とオードリー・ヘップバーン。

冒頭の3分くらいは視聴中止する気満々だったんだが。
でもまず、あの味も素っ気もない砦がね。あんな何にもないところに砦があるのも不思議だが。あの造型がちょっと気にいったしね。
リチャード獅子心王の首に投げた矢が刺さるなんて、オモシロイこともやってくれたしね。
3分で引き込まれたので、その後も大人しく見ました。

総じて――話はつまらないが、セットと役者が良かった。話はつまらないけど。

リチャード獅子心王とロビン・フッドの関係性がちょっとイイよね。
暴君と自由人の家来。でも忠誠心はある。暴君の方も家来への好意はある。
まあありがちだけれども。

リチャード獅子心王がリチャード・ハリス。なんか聞いたことがあるなーと思ったら、
「ハリポタ」の初代ダンブルドア先生でしたか!好きだったんだよねー。
今回の王様はすぐ死んでしまったが(ハリポタでは本人が死んでしまったが)、
序盤の見どころでした。

リトル・ジョン役が良かったですねえ。ニコル・ウィリアムソン。
いかにも英国俳優って感じで。ま、スコットランドだそうですが。

ショーン・コネリーはわたしこれで初めて見たよー。
007もいつかは見ようと思ってるのだが。こないだ初めて見た007シリーズの
「スカイフォール」が良かったもんだから、なんとなく上書きしたくない気持ちになって。
でもショーン・コネリーを何か1本見るとしたら、007の何かだろうなあ。
もしかしたら「小説家を見かけたら」は見たかもしれない。
飛行機の中かなんかで。小説を持っていたからそれを読んだだけの可能性もあるが。

そしてオードリー・ヘップバーンがこんな作品にも出てたんですねえ。こんなというか。
1976年の映画にこの年齢感で出ているのが違和感。もう一世代上のイメージ。
まだだってこの時点でかわいいですもの。
でも1993年までご存命だったわけだしね。享年63歳は若いね。

わたしはこの人の映画はかなり見ましたよ。でもまあ9作か。本作で10作目。
イングリッド・バーグマンの次に好きな女優。

今作ではあり得ないエンディングにしてしまう役なので、役柄的にはまったく納得できないが、
美しかったですね。あの美しい瞳で見つめられたらなんでも許せてしまうかな。
いや、許せないんですけど。

敵役だけど、代官役は魅力的だった。ロバート・ショウなる人。
だがおっさん2人の決闘シーンは編集でなんとかならなかったもんかね?
最終的には疲労困憊で体が動かなくなるというのはいいんだけど、
早々に「ふざけてるの?」と思うほど動きがにぶくなっているのがアカンかった。

話についてケチをつけるのは止めよう。
わざわざケチをつける必要もないほどの話だったもの。

わたしは中世イギリスのセットを楽しんで見ていた。
考証がどの程度されているのか(そしてセットにどの程度金をかけられたのか)不明だが、
町とか代官屋敷とか懐かしい気がした。ああいうの見せてくれるだけで
大人しく見ますよ。衣装とかもね。


話がダメダメなので、作品として評価は高くはならんが、セットと役者で楽しめた。
106分、飽きずには見ていた。しかし最後の10分は――というか、
森を出て戦う展開になるのが納得できなかった。
なのでそれ以降は「は?」と思っていた。そしてエンディングで再び「は?」という。
なんで突然毒殺。ヘップバーンにこんな謎な役はさせたくなかったなあ。

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< シン・ゴジラ >

2024年03月27日 | テレビで見た映画。
上映していた当時、かなり評価が高かった記憶がある。
見に行こうかと一瞬思ったが、特撮好きでもないし、ゴジラも見たことがないので
止めておいた。で、まあ今回テレビでやったので期待して見たんですけど。

ハードルを上げすぎたのかなあ。そこまで面白くはなかった。

最初でつまづいてしまったんですよね。主に2点。
なんだかわからない生物のキモチワルイ足が突然映像に映った時、
いくらオロカな政治家たちだってもうちょっと驚いたり心配したり動揺したりするでしょう。
政治家のオロカさを強調したい脚本はわかるが、あの反応では人間としてオカシイ鈍さだよね。
それはやりすぎ。ここで大いにリアリティを減じた。

もう一つは実に細かいところなんだけど、最初の方の一般人が動画を撮りながら逃げてる
ところで、人々の声の演技が実に……下手くそだったのよ。棒読み。
下手したらスタッフが動員されているんじゃないかと思うくらい棒読みだったからね。

以上2つの点でノレなかった。冒頭でノレないとなー。


第一段階の時のゴジラの造型のいい加減さはどうしたことかと思った。
目が死んだ魚の眼でしかないよね。なんであんな造型にしたんだろう。
キモカワを狙ってどうする。
特撮ファンはああいうところが嬉しいのかな。昔の特撮にノスタルジーを感じるとかで。

それにしても荒唐無稽な話だったですけどね。
有識者委員会とか、呼び集めて「ここから検討してください」から始まるのが普通だろうに、
出現から2時間で結論を出せとかどんだけ馬鹿なの。
首相に連絡もなくアメリカ軍が出動するなんてあり得ない。
アメリカ軍の万能感が過ぎる。これが普通の認識なの?アメリカ軍がそんなになんでも
出来ると思ってるの?

そんな都心で自衛隊……決定するまでそんなに素早く出来るわけない。
対象について何もわからずに原爆なんて使うわけない。
わたしは馬鹿馬鹿しいフィクションが嫌いだ。登場人物が馬鹿なフィクションは嫌いだ。


第一段階、第二段階で十分大きくてコワイと思ってしまったから、
実際にゴジラになった後の怖さが減じたなー。
むしろ最初はもう少し小さくて、被害も少なくて、という方が良かった気がする。

しかしこの映画って子供が見に来たりはしなかったのかね?
ああいう作りだと子供は全く楽しめなかったよね。そこら辺の事前周知は
大丈夫だったんだろうか。がっかりした親子連れが多かったりしたらと心配になる。

ゴジラという映画で大人向けに振り切った作りにしたのは目新しかったが、
有名俳優たちのこれでもかという登場とか、役職の(テロップの)多用、
早口の台詞まわしは、小手先の面白さを追っているようで釈然としなかったなあ。
ストーリーがない、とは言わんけれども浅い。シンプルはありだけどこれは浅いと感じた。

ゴジラは、あれで良かったのか?かっこよかった?
実際映っていた時間は本当に短かった。ゴジラファンの人たちはこれで満足したのだろうか。
最初の死んだ魚の眼のツチノコのイメージが残って、かっこよくは思えなかった。

この映画はコロナ禍前の製作。コロナを経た今見ると、また別の感慨がある。
まさに「ゴジラ」を我々は体験した。


後半は飽きたし。あんなに字幕が重要な映画なのに、
背景が白いところに白の字幕を被せたりして読めなかったりするのよねー。

でもまあ総じて。
腹が立つほどではなかったけどね。(書いているうちに腹が立ってきたけど)
ながら見で見て文句ない程度。
ただがっかりはした。もう少しいいものを見たかった。
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< 新源氏物語 (1961年映画)>

2024年03月19日 | テレビで見た映画。
わけがわからない。

さすがに源氏物語の映像化は諦めてるのよ。
あんなに長い話で、時代も違って、基本設定の共通理解が進んでいない世界で、
映像化は不可能。無理。
ちゃんと作ろうと思ったら、多分100時間か150時間くらい必要。

今まで、TBS40周年記念の橋田寿賀子脚本「源氏物語 上の巻 下の巻」に怒り、
「千年の恋 ひかる源氏の物語」を録画で見て最初の20分くらいで怒髪天をつき、
そして今回。製作年代が古いから(1961年)ちっとはまともな脚本かと
淡い期待を抱いたのだが、わけがわからなかったですよ。

なんでこうなる?こうする?

朧月夜が淫乱女になるのも驚いたが(尻軽女ではあるが淫乱女ではない)、
末摘花を才気煥発の淫乱女にして何がしたいんだ!

いくら似ているという設定だからって、藤壺と紫の上を二役で寿美花代に演じさせるのは
無理があるだろう!紫の上は登場の時、10歳前後!

六条御息所は慎みも自省もない年上マダム。

藤壺が青海波の舞を終えた源氏に対して、衆人環視のなか被け物をお届けするなんて
あり得ないんや!

1時間45分の尺で、クライマックスは女院の剃髪、最後のシーンは須磨へ下る源氏を
紫の上が野原で立って見送る場面だよ!紫の上が、立って、野原で見送る!

須磨へ行く前で話が終わって、源氏物語の何を描こうというのか!!描いたといえるのか!
「桃太郎」で言えば、桃太郎が鬼ヶ島へ出発するあたりだよ!





……ほんとにまったく、一体何がしたいんですかね?
源氏物語を表現したいから源氏物語を作るんじゃないんですか?
根本的に腹が立つ。


とはいえ、話があまりにも変になるまでは(まあおまけして半分くらいまでは)
昔のドラマ作りを見られて面白みは感じましたけどね。
お年を召した後しか知らない、寿美花代、中村玉緒、若尾文子の若い頃も楽しかったし。
名のみ聞いてて見たことがなかった市川雷蔵も見られたし。
……市川雷蔵は美男でしたか?わたしはあんまりピンとこなかったんだけど。

なによりセットはありがたかったですね。
ちゃんと几帳や御簾が美しく映るように撮られていた。若干透けすぎだけど。
寝殿造りもけっこう大きなセット。
衣装は……ちょっと枚数が足りない気がしたけど、まあまあしょうがないか。

しかしいかにセットに凝っても、話がヘンチクリンなら作品もヘンチクリンに
ならざるを得ない。


もう源氏物語は映像化しなくていい。唯一可能性があるとしたらアニメだが、
平家物語を11話でオリジナルキャラを主役にして作る暴挙をしたことで、
もうアニメにも期待できない。

原作を表現したくないなら作品は作らないでください。
原作に真摯に向き合ってください。
創作者であるプライドがあるならば。
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< トゥームレイダー >

2023年12月14日 | テレビで見た映画。
こないだの初007シリーズに続いて、これも初「トゥームレイダー」。
結局アクション映画がそんなに好きじゃなかったから、見てないんですよね。
「レイダーズ」も「インディ・ジョーンズ」も「ダイ・ハード」も「ターミネーター」も。

でもこれも面白かったですよ。
セットのテイストが好きだったのが面白かった理由の半分。
大富豪のクラシックな邸宅じゃないですか。
邸宅というより、ロンドンの自然史博物館みたいだと思っていた。
邸宅にしてはちょっと空間として広すぎますよね。古典様式が好きだからいいんだけど。

そしてモチーフが古代の遺物というところが。
正直この2つが揃って、ある程度役者が動いてくれれば、けっこう見られるのよね。


しかしアンジェリーナ・ジョリーってこういう顔の人でしたっけ?
わたしの印象では口の大きいガッチリ美人というイメージだったんですけど。
わたしは「ツーリスト」で見たのかな。あ、この数年で「Mr.&Mrs.スミス」も観た。
全然顔が違いますよね?化粧で化けるのかな?それともこの作品で
ゲームのビジュアルに寄せたからなのかな?

まあでもスタイルはピカイチだし、アクションはどこまで本人がやっているのか不明だが、
相当にキレてますよね。たしかに適役だろうなあ。
美術デザインも美しかった。金も使っていた。そういう点で、ストーリーとしては
凡百だけれども目に愉しかった。


難をいえば男性陣の魅力がもう少し……。
まあわたしは海外俳優疎いからね。有名な俳優たちなのかもしれないが。
ああ、でもこないだ見たばっかりのダニエル・クレイグが出てたんですね。
「スカイ・フォール」の11年前。「スカイ・フォール」ではシブくてかっこよかったけど、
本作ではあまり存在感はなかったですね。
この役をわたしでも知っているような俳優を使って、もう少し恋愛要素を増やした方が
わたしは面白く見られたかな。



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< 007 スカイフォール >

2023年12月02日 | テレビで見た映画。
わたしは比較的映画を見ている方だと思うが――とはいえ配信の時代になってからは
映画を見る層はもっと増えてるだろうから、もしかしたら平均以下かもしれない――
007シリーズは今まで一度も見たことが見たことがなかった。
これが初めての007。

そして意外にも面白かった。これ多分出来のいい方の作品ですよね?
単にアクションメインの映画だと思っていたら、けっこう人間関係も描いている。
まあ擬似母としての執着というのはありふれているけど。
でも執着されるのがジュディ・デンチというところで、そこに面白みがある。

ダニエル・クレイグという人の渋さも良かったんだろう。
わたしのボンドのイメージは派手なチャラ男だったのだが、この人は渋かったもんね。
シブオジ。まあもうちょっと若くても良かったが……と思ったが、
11年前は44歳くらい?それにしては老けてるなあ。
「エリザベス」「ライラの冒険 黄金の羅針盤」では見てるらしいが、記憶にはない。

とはいうても、アクションだよね、売りは。
冒頭部分のアクションシーンは見ごたえがあった。わたしはあまりアクション映画を
見ないので、ジャッキー・チェンの映画と比較しながら見ていた。
当然ながらアクションとしては全然違うんだけど、見入るという意味では同質と感じた。
まあよく考えるよ。そして予算をけちらずよく撮るよ。貧乏性なわたしには無理。

だがあの状態で狙撃して失敗するのは笑いましたけどね。
しかもゴーサインを出すのは全然別なところにいる人だっていうね。
あれではマインドコントロールである。まさにマインドコントロールを描いたんだろうが。

11年前の映画なので、当時の未来感で作っている分、古めかしさが漂う。
だがそこがいい。年代にあった未来感。安心する。

世界のあちこちをあり得ないほど飛びあるくのもゴージャスで良い。
マカオのカジノのセットは豪華でしたね。結局は殺されてしまうあの人も、
化粧も含めてコッテリした造型で、それはそれで良かった。
あの人をもう少し見たかった。


ジュディ・デンチは見ると得する女優。
撮影時点で77歳ですか。全然老いが見えないね。
初めて見たのは多分「恋に落ちたシェイクスピア」か。「眺めのいい部屋」は
だいぶ経ってからテレビで見たと思う。ジュディ・デンチのことは覚えていない。

が、やはり「ショコラ」でしょうね。がっつり見たのは。
あれはジュリエット・ビノシュも良かったし、何よりデップを発見した映画だった。
出演作は10作くらいは見ている。がっつり出る役でないものも多いが、
ちょっとでも出るとその映画の価値が上がる。

Qのベン・ウィショーも良かった。この人何かでけっこうしっかり見た気が……
ああ、「メアリー・ポピンズ・リターンズ」だ。イメージの違う役柄。
まあこの時は若いしね。若者の少ない本作ではちょっとしたアクセント。

あとはスコットランドの風景がうれしかったねー。
さすがにこの荒野にこのお屋敷ポツンは無理があるだろうとは思ったが。
だがいかにもスコットランドって邸宅で愉しい。
「嵐が丘」、あるいは「ジェイン・エア」ですわー。
まあ結局派手に破壊されてしまうわけだが……

派手に破壊といえば、あんな美しいボンドカーが完膚なきまでに破壊されるのは胸が痛む。
007シリーズを初めて見て、ボンドカーに思い入れも何もないわたしが見ても。


しかし大声で文句をつけたい部分が1つあって、それはMが死ぬところ。
あまりにもあっさりしすぎじゃないかい?
平気な顔して実は致命傷を負ってました、という展開はよくあるが、
死ぬときすらもあっさりしていた。暗いしね。
ご病気により役者の交代は仕方のないことだとはいえ、せっかくこういう話まで
作ったんだから、死ぬ時の演出はあれではもったいなかったね。

次に007の映画をテレビでやっていたらまた見てもいいかもなー。
でも1作ごとにそれなりに違うんだろうね。ボンド役の役者によっても違うだろうし。
評判の高いショーン・コネリーのボンドも見たい気がするが……




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< コクリコ坂から >

2023年11月13日 | テレビで見た映画。
残念ながら面白くなかった。

まあわたしはジブリは「千と千尋の神隠し」で嫌になり始め、「ハウルの動く城」で
見限り、「ジブリ作品は見ない!」と決め、以降の作品は見ていない。
その意地が多少溶け、何年か前に「風立ちぬ」を録画で見、
「アーヤと魔女」のテレビ版を見たが、基本は批判的に見る立場なんだよなー。

宮崎吾郎作品だから……という偏見もあるのかもしれないけど、
この作品は話がダメダメじゃないだろうか。

開始から相当時間が経っても背景がわからない。まあうっすらとわかりはするが、
高校生が下宿屋を切り盛りする、おばあさんは左団扇なのに何も手を出さない、
という状況は不自然で、これがずーっともやもやする。

高校生が家を切り盛りするのにはよっぽどの事情があるんだろう。
おばあちゃんと呼んではいるけど、実のおばあちゃんじゃないのか?
お母さんが出てこないということは当然死んでるんだよね?
単なる下宿ということすらしばらく経ってからしかわからないから
あそこは置屋で、あの人たちは芸者か何か?とかいろいろ考えるわけです。

そういう余計なことを考えさせるのは下(げ)の脚本だと思う。
まずさー、説明しなきゃいけないことは先に説明しとかないと。
そうしないと落ち着いて見られないでしょー。


カルチェラタンはいいよ。魅力的な場所だと思うよ。
でも描きすぎだよね。そんなにカルチェラタンを描きたいなら、
話を「カルチェラタンを守る話」だけで完結させるべきだった。
そうした方がすっきりとした、高校生という身の丈にも合った、さわやかな話になったのに。

主人公たちの恋愛もその範囲内で納めておけば全然まとまったと思うんだよ。
それなのに、背後関係を無理に作るからメタメタになって面白くなくなる。
背後関係を描くなら、むしろカルチェラタンの部分はない方が良かった。
その尺で登場人物や関係性をもっと深く書き込むべきだった。
全然描けてませんやん。

とにかくおばあちゃんが左団扇で、長女一人が家を切り盛りするのが納得出来ない。
おばあちゃんは遅く起きて来て、お茶まで淹れてもらう立場で優雅。
これは普通の家族ではあり得ない。
それに対して、妹、弟が全然遊んでいるのも変。妹なんて1歳違いくらいでしょ?
時代が昭和30年代で、たとえ弟は家事に免責があったとしたって妹の放任は変。

下宿人たちもいろいろ出てきたわりには「単にいるだけ」なんだよなあ。
名前も定着しないくらいの薄さ。わたしなんか下宿人が何人いたのかすら覚えてないもんね。
美大生?らしき人が描いた絵は話のちょっとしたキーポイントだけど、
それだけのことで、キャラクターの方は全然確立出来てない。
この人だけがお勝手を手伝うのも違和感があったし。
親戚なのか?とか思うわけじゃん。でもそういうわけでもない。

ヒーローがヒロインを好きになるのも「後で説明するから」的に放っておかれたまま
話が進んでいくけど、この「後で説明するから」を使う創作者はたいていヘボです。
その場で表現する能力がない人が使う手法。
そして後で説明したところで、何しろ時期を逸しているもんだから全然納得できない。

朝いつも旗を揚げていた、その姿を見て、と相当後で明かされるが、
下手に最初に詩なんぞを載せてるから「ああ、なるほど!」とはならないし、
ごちゃごちゃするだけでかえってマイナス。

そして、話が展開し始めるのがほぼ全体の半分経ってからっていうのはどうなの。
お父さんの写真を見てからようやくでしょう。
作品の日常風景は、見ていて決して不快なものではないけれど、それを漫然と見せる前に
やらなきゃいけないこと(ストーリーを展開させる)があるなら、
それをまずやらなきゃだめでしょう。

「お・と・こ・ど・も」が本当に理解不能だった。
わたしはあの下宿人がどんな立場かも知らないし、そもそもなんで下宿を出ていくのかも
よくわからなかったが、どういった関係性で外部から5人も6人も男性を呼ぶのか
さっぱり納得できなかったよ。
家主の厚意で盛大な送別会を開いてもらえるとしても、それにほとんど関係のない人を
大勢呼ぶ権利はないと思わないか。

学区が同じなくらい近くで暮らしているのに、行き来がないのは不自然だ。
人生でまったく関りがないくらい遠くに養子にやったなら別だが、近所じゃないか。
気にかかるのが人情。たとえお父さんが亡くなっても、お母さんも。
近所の噂にもなるだろうし。

本当のお父さんの名前を間違えて把握しているって、
養子先の人もヒロインのお父さんもやべえ人だなって思わない?
いくら状況が混乱していたからって、誰が父かというのは子供のために最重要な
情報だと思わない?

カルチェラタンがチープな展開の末に存続になったのはまあアニメだから良しとする。
だが映画会社の社長にしても、学校を一つ持つほどの金持ちに見えなかったのはマイナス。
そういう「妥当性」というものがグダグダになっていたのがこの作品ですな。


とにかく描き手が描きたかったのは昭和30年代の世相と、美しい風景と、
カルチェラタンの建築的面白さと秘密基地感、ノスタルジー。
描きたいのはわかる。描くのは別にいいと思う。
でも描きたいものを描くためには、それに見合った話にする責任があるよ。
これは描きたいものに偏りすぎて、話がおざなりになった(あるいは描こうとして
能力が足りなかった)作品。


最後にちょこっとだけ良い方の話。
冒頭のコクリコ坂の風景は美しかった。すごく懐かしい気がした。既視感。
横浜?神戸?長崎?どこかで見た風景に見えた。

わたしは「アーヤと魔女」も見て、宮崎吾郎の色のテイストは少し好みから外れるんだけど、
まあ好みの問題だから。色彩の世界感は確立しているようだね。
イバラードの人の色彩に影響を受けている気がする。紫みの強い。

ノスタルジーはこれでもかというほど味わわせてくれた。
この部分だけを求めるなら98点くらいだな。細部を描く能力は高い。


が、描きたいものだけを描いていては作品は成立しない。
つくづくそう思いながら見ていた。
宮崎吾郎が今後も作品を作っていくのなら、強力な脚本家を見つけるのが近道では。
まあわたしは後半の宮崎駿の話も嫌いだから、お父さんにもそういいたいけど。


コメント
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