アマチュア無線とJARLと私JA3HXJ

新しい次代を迎えたJARL・・・
アマチュア無線の行方を映し出す鏡になるのでしょうか!

寝屋川臨時総会の舞台裏

2010年11月22日 | 日記
寝屋川市でのJARL臨時総会が終わりました。
私たち会員が求めた結論はご承知の通りです。
急転直下意外な展開がありました。
個人的な思いや言いたいことは山のようにありますが、会員の大半が大同につく選択をした事実を尊重したいと思っています。
今後のJARL運営にこの選択が正しかったといわれるような動きを示すのがこれからの務めだと思っています。

総会会場の模様が、参加者から逐一ライブ映像として公開されたようですが、この功罪については今後一定の約束事を含め考え直す機会が必要ではないかと思います。

私にとって寝屋川臨時総会は、多くの新しい事実を見つける機会でもありました。
会場が見つからず、大阪周辺での開催を断念しなければならない状況も考えられましたが、偶然というか唯一つ11月の日曜日に空いていたのが寝屋川市民会館でした。
この間に会場探しに労力を費やした水面下の個人の努力を忘れることはありません。

世代交代もあり、最近は大阪府支部とそう密接ではなかった地域だったようですが、この総会を機会に寝屋川市周辺の仲間が実に奉仕の精神そのもので結集してくださいました。
関西の恒例の集まりでは顔を合わすことが無かったたくさんの新しい出会いがありました。

臨時総会は無駄使いだと非難する声も多くありました。
損害賠償を私たちに求める乱暴なメールも届きました。
水面下で協力してくださる方々にこんな声が届いていたかは判りませんが、その献身的な動きをつぶさに見ればそんな言葉など出るはずがないというのが人情です。

寝屋川市民会館の大ホールもわずか10万円少しで借りることが出来ました。
看板代が高いという声を聞いたのか、地元のメンバーの一人が大きな手書きの立て看板を作成してくださいました。
暖かい手書きの文字に感動しながら、これを支える巨大な木枠もアマチュア精神そのものの自作品だと聞いて嬉しさを越えた感動を覚えました。
それだけではなく舞台上の巨大な一文字看板も届きました。
この力作は来年の総会で使えるようにと、終了後持ち帰っていただきましたが、「大きいからガレージにどうやってしまうか考えてますねん・・」という言葉にすべての思いが浮かびます。

「お金を出来るだけつかわないように・・・」

いつの間にか1円でも節約する心構えが暗黙の了解としてできあがったようです。
自慢する訳ではありませんがこの事実は、今回の臨時総会での定款案可決という成果よりある意味重要な精神を含んでいると思います。

大きな鍋を担いで世話役が通りかかりました・・・出来るだけ安く仕入れたペットボトルのお茶では寒い時期美味しくないだろうから、と持ち込んだものです。
理事が頂いた昼食は「お稲荷さんとお巻き」というもので、値段は聞くまでも無いことです。
JARL史上記録に値する質素なものでしたが、実行委員の皆さんと同じものをいただき、彼らの心意気と熱い現場を味わいながら私にとっては史上最高のお弁当でした。

短い準備期間ながら、しかもたった2回の打ち合わせ会で当日を迎えたのですが、これが出来たのはKANHAMやフィールドミーティングなど、県境を越えた活動を日ごろから多く実施している関西の特技ともいえるノウハウが上手く活かされたものではないかと思います。

今回の臨時総会の議題の争点にもなった支部や地方本部の不要論がいみじくも現状にかなっていないことへの無言の証明ともいえます。
これまで疎遠だった地域と私たちを結びつけた事実は、臨時総会から学んだ一つの組織の形をどう作るかの教訓ではないかという思が残りました。

今回数字的に見える賛成票の数字を圧倒的であると安堵するのではなく、ようやく混乱を回避してスタートラインについたという事実として謙虚に受け止めています。
勝ち負けを意図しているわけではありませんが、「勝って兜の緒を締めよ!」の戒めを顧みるとともに、これから始まる激動の時間を考えると手放しで喜ぶ気になれない心境でもあります。

何もお手伝いができなかった私自身ですが、お酒を一滴もいただかなった一日にも関わらずキーボードに向かいながら涙がこぼれる自分を冷静に見つめています。
ありがとうございました!!

JARL関西賞

2010年11月19日 | 日記
JARLが参画してる団体に「受信環境クリーン協議会」があります。
ここは、ご承知の通り、放送など無線通信の受信障害(電波障害)の防止を図り、電波利用面における公共の福祉を増進することを目的とした活動を行っています。

この活動の一環として、毎年全国の中学生を対象とした受信環境クリーン図案コンクールを実施しています。
中学生の目を通し、同時に学校関係者、一般家庭に対してテレビやラジオなどの良好な受信環境を守るための知識の普及を図ることを目的としていますが、毎年3000点以上の作品が寄せられます。
この中から厳正な審査によって総務大臣賞、文部科学大臣賞、日本放送協会会長賞及び日本民間放送連盟会長賞各1点と中央協議会会長賞及び中央協議会奨励賞各を選びます。

この団体の傘下に各地方の協議会があり、JARLの各地方本部もこの構成員となっています。
当然ながら私たちも例外ではなく、近畿受信クリーン協議会のメンバーですが、嬉しいことに今年は総務大臣賞を受賞しました。
近畿全体から多くの作品が寄せられますが、嬉しいながら気になるのは美術教育に熱心な学校に受賞者が集中するという現象です。
本音をいえば、もっと受賞校が分散して欲しいのですが、現実はそれぞれ得意分野があり思うようにはいきません。

そんな訳で今年も昨年同様受賞常連校である「兵庫県加古川市立神吉中学校」を訪ねました。
毎年熱心に素晴しい絵画を届けてくれるこの学校の生徒から念願の総務大臣賞者がでて、校長や顧問の先生の喜びもひとしおでした。
何より、年々力を付けていく生徒たちを観るのも嬉しいものです。
この学校は、総務大臣賞だけでなく中央クリーン協議会の賞も総なめの感がありますが、その賞の中で密かな人気が「JARL関西賞」です。

せっかく毎年多くの作品が寄せられるのですからJARL関西も加えさせて欲しいとお願いし実現したものです。
クリーン協議会ではアマチュア無線としての貢献度もそれなりに評価していただいているようですが、実際に生徒たちと言葉を交わすことが出来る機会も大切だと思います。
NHK大阪放送局や、在阪テレビ各局の賞に加え、無線通信、受信障害といえば当然ながら私たちの存在を知ってもらう努力が必要で、アマチュア無線の賞もあっても良いのではないかと始めたものです。

受賞作品は、NHKテレビでも番組の間で放送され生徒たちの自慢ですが、その中に混じって「JARL関西賞」も結構評判です。
今年の「JARL関西賞」は、2年生の岸本祐子さんでしたが、賞状をお贈りするとき「JARLって知ってますか?」と聞いたのですが、「知りません!」の一言で場内は爆笑でした。
NHK、読売、毎日、関西・・・知らない人がいないテレビに混じって善戦している我らのJARLをPRする機会でもありました。

岸本さんには、「あなたの作品はQSLカードになって世界中を駆け巡りますよ!!」というお話をしました。毎年の力作をどう活かすかのアイデアがアマチュアのシンボルQSLカードになりました。
同様の取り組みを他の地方本部でもやっているようですが、何といってもささやかな活動ながらアマチュア無線の存在を子どもたちに知ってもらえる時間になりました。

喧騒の中にあるJARLですが、地方本部や支部はJARLの窓口であり要として地域や学校などとこのようなお付き合いをしていることも知っていただければと思います。

臨時総会前の雑感

2010年11月18日 | 日記
前回の「もっと自由な議論の場があれば・・・」にいただいた匿名のコメント「無責任体制 (JARL会員)」は、私個人として素直に拝見しました。同様な思いがあります!

反論ではありませんが、冒頭にある今回の定款改正案の承認が、移行期限内に間に合わせる絶対条件でないというご指摘に関しては、客観的な観察から否定するものではありません。
執行部側から確かにこのような説明がありましたが、今ひとつ説明が足らなかったのか、言葉不足であった感があります。

ご指摘の方は、これらの実務に精通しておられるようですから、余計な説明は不要だと思いますが、JARL側の思惑に余裕をもって移行できればという思いがあったのは事実であり私なりに理解できます。
その背景には2万数千ある該当団体の中で、JARLが抱える特殊性も無関係ではありませんでした。

これだけ大騒ぎになったのですから、もう一度仕切り直しをしてはどうかという声も聞きますが、その選択肢は今となってはありません。
仮に数年前にさかのぼる議論を今開始し根底から作り直す作業に着手すれば、それこそ期限内に間に合わせることは不可能な状況に入り込みます。
余談ながら、今でしか出来ない議論もあります。
何時の時代であってもこの類の議論は相当な抵抗が予想され、根底に触れる議論がすんなり受け入れられるとは思えず大きな改革は今より困難であったのではないかと思います。

私が始めて虎ノ門の公益認定委員会に出向き、直接審議補佐官と話す機会を得たのは、理事会において事務局主導の定款案に意図的な利益誘導や誤りがあるのではないかという疑念からです。
この事実を確認するために一般の理事として初めて委員会に出向いたものです。

名古屋総会で審議された定款案は、事務局長や専務理事が認定等委員会に出向き、過去から3人の担当官と協議を重ね、同時に別の部門の法律担当官の精査を経て理事会の承認後総会で諮られました。
私が特に注意を払ったことは、今回お預かりした委員会での結論が公益3法の基本から逸脱するものでないという確証を得たいという思いでした。
これは理事会で異論を唱える方からのもっとも強い要請であったとこともその要因ですが、これ以外にJARLの未来に得るものがないかという興味もありました。

ここで話を聞いた感想は、これを生業としている専門職には、にわか勉強の私ではとても太刀打ちできないという正直な思いがありました。
ここが法律の根拠やアドバイスを受ける窓口かと新たな感慨もありましたが、事実新法人への移行に際しJARL側の定款案に対し修正提案やアドバイスを多く受けていたのは事実です。
今回臨時総会でお諮りする改正案も、このような経緯を経て現在の結論を得たものです。決して内輪だけで決めたものではありません。
この経緯は理事会で正確に報告し、多くの質問を受け誠実に説明を加えました。
担当官から公益3法の精神に沿った運用を絶えず確認したのはもちろんですが、ガイダンスや定款の雛形に沿うようにという言葉が今も頭に残っています。

この時、今問題とされている一票の格差やガバナンスの問題についても積極的に質問しました。
この答えは、定款改正案に関し、法律に違反するものはいささかも存在しないという回答を得てそれなりに安堵しましたが、運用に当たっては過去からの歴史や慣習の中のJARL内できちんとその根拠と説明義務を果たす必要があるという言葉も添えられました。
私自身の戒めとして、法律に触れないから問題ないというのではなく、将来のJARL運営に障害となるものがあれば出来るだけこの時期に見つけ出し早い時期に修正すべきだと感じました。

これらの経緯については既報の通りですが、説明不足なのか興味を抱かせる努力が足りなかったのかわかりませんが、急いで何かを隠そうとしているのではないか・・などの印象をあたえ、これが「あせり」という言葉や疑念になったのであれば不本意です。
この問題も、当初から会員の声を聞く機会を日常的に設けていれば混乱を最小限に留めることが出来たのではないかと思います。
事実今回多くの厳しい意見に接し、耳を背けていたつもりはないのですが、どこかで流れが途切れていたパイプがあることがわかりました。これは早急に改善しなければならないことだと思っています。

臨時総会を控え、それなりに慌しい時間の中にいますが、今一度私が経験した範囲内で短い歴史の検証をしてみたいと思います。
名古屋総会で定款案が承認されなかったという事実が、私が定款・規則等審議委員会の委員長を受けたきっかけとなりました。その時点で過去からの膨大な議論の重荷を引き継ぎました。
これまでの大工さんから、そっくり工事を受け継いだようなものですから工法の違いもあり、やりにくい作業であったのも事実です。

ここでまず、名古屋総会の議案に異議を唱えた方々を委員として迎え、その時点で問題だと指摘された定款・規則の課題をすべてを提出していただきました。
これもこれまでに何度もお話した通りですが、実は急きょ出された議案もテーブルに載せ議論を加えました。
細かい内容は議事録にある通りですがこの結論を理事会に出し、評議員会に諮り承認されたものが今回臨時総会でみなさんにお諮りするすべてです。

いま大きな異論が湧き起こっていますが、その具体的なものは委員会閉会後に出された提案です。
議事録で時系列的にご覧いただければお分かりになると思います。
その証拠は、すべての委員がここで得た結論に対し自筆の署名をしてその確認を致しました。

その後に浮かんだ異論について、私としては時間を戻すこともできず、手続きとしてもこれを採用する根拠も手段もありません。扱いは理事会の判断ですが、私の主張は述べたとおりです。
これは規則や手続きを口実に阻止しているのではなく、これが簡単に覆されるようでは理事会や評議員会の決議など何の意味もなさないことになります。
これがルールであり協議に加わった者の責任と義務だと思います。
ガバナンスを尊重しろという指摘を、提案する側がむしろ反故にするという矛盾が理解できない理由の一つです。

名古屋総会で皆さんにお諮りした定款案についても、読みにくい小さな文字であったかも知れませんが、機関紙を通じてすべて漏らさずお知らせしています。
これらに関し多くの会員が興味を示さず、読んでもらえない現実がありました。
その点今回の論争で多くの方が興味を示したことは結果的にマイナスではなかったと思っています。
私から申し上げるのは問題かもしれませんが、無関心というJARL内の大きな層が現実にあり、これらの方々に訴える力が組織内に不足していたということが考えられますが、それ以前に魅力を感じないJARLがあることも大きな反省点です。
情報が一方通行というイメージがいつの間にか出来上がった弊害でもあります。これこそすぐにでも変えなければならない課題です。

もう一つ痛切に感じたことはですが、私自身不勉強であったということです。
これはJARL内での理事という位置づけが、これらを求められていなかったのかもしれませんが、言い換えれば社会に適合できない体質になってしまった組織の弱点に気がつかなかったのではないかという思いです。
理事会の意識の変革も大切でしょうし、自己研鑽の場でもある理事会を再構築する必要に迫られます。もっと学習に挑む姿勢も必要となりました。
私は各地での集いで、バラの花をつけ壇上に上がる抵抗感があります。亡くなった後藤前監事もそうでしたが、主催者側ですから来賓ではありません・・と申しあげたことも度々ありました。

ご指摘にある今回のJARLの一般法人化における問題点が、移行作業を事務局に任せ過ぎているということですが、そのような一面があったかもしれません。
官僚が書いた文章を読む政治家への不信感は相当だと思いますが、JARLの中でもこのミニ版があることも残念ですが、そのご指摘を頂いたと思っています。

とにかく臨時総会という登竜門が待ち受けています。
異論を持ち寄る双方が、一時的な課題ではなく未来のJARLに何が寄与するかを大局的に議論できる機会にしたいものです。
寝屋川でお会いできることを楽しみにしております。また、委任状をお送りいただいた方々に実りある総会であったと報告できるよう最大限務めてまいります。
ご支援を心からお願い申し上げます。

もっと自由な議論の場があれば・・・

2010年11月15日 | 日記
昨日まで外出が多く、出先からこまめにPCに向かうこともままならず、故意に空白を作るのかとお叱りを受けるのは正直シンドイです!!
「当事者間の議論に!」というタイトルが生々しかったというか誤解を与えたようで、この時期何度目かの反省の思いがあるのも事実です。
また文章能力に限界を感じるのですが、真意が伝わりにくい状況にあることも悩みの一つです。

ここはもともと、私が実際に見て、体験し、感じたことを伝えたいというのが趣旨であり、オフィッシャルな発言としてはいささか反則気味の内容もあり、一方からも不評です。
本来誰に対しても不快感を与えるものであってはならないと思いますが、事実経緯の報告に加え、少しばかり個人的な思いがあっても寛容であって欲しいと思うこともあります。
実際に見聞きした以外の出来事について明確に答えることが出来ないという思いを「逃げ・・」といわれるのもこれまた辛いものです。

さて、神奈川での事務局長発言についての経緯はお話したとおりです。
これらの情報を寄せていただいた方からの声で、事実関係を確認するために本人から直接発言の意図を聞きました。
その結果、必要があれば説明の機会を持つ必要があると本人に告げたことをきちんと書いたものです。

そもそも傍観者という立場は無責任だと感じたことがきっかけですが、特定の人物を擁護するつもりは毛頭ありません。
意見を寄せていただいた方々の反感を買ったのなら余計な報告をしたのかな・・ということになりそうですが、そんな意識なら最初から意味のないことをしたことになります。
正直なところ、伝えようとそれなりに努力したいという思いを、削ぐような結果にならないことを内心期待しています。
他の理事が意見を言わなくなるのは、こんなやり取りを敬遠するからかもしれませんが、もっと自由な議論ができる環境つくりもJARL改革のポイントではないでしょうか。

前回の評議員会で、臨時総会の実行委員会の中での発言が取り上げられたことがありますが、あの場は私も参加しており、他の参加者から補足があり納得が得られました。
今回は寄せられた意見をつなぎ合わせながら、事実なら問題だという思いで経緯をお話したのですが、断定的な結論をお話できるものでないので、釈明は本人から・・となったことはご理解ください。

「当事者間の議論に!」というのも、私が間にはいって解説役が務まるものでもないという意図です。
ここでJARLの今の問題を議論いただくのは大いに求めることですが、より正確な情報を積極的に出して進みたいという思いを損なうことがないように少しの気配りは欲しいと思っています。

細い糸でしかつながっていないという現在のJARLに対するみなさんの思いが招いている現象だと感じますが、みんなが一堂に集まり顔を突き合わせて議論できる場がどうしても必要ではないかと思っています。
もっともっと太い議論の場を作りたいものです。

当事者間の議論に!

2010年11月12日 | 日記
情報を正しく伝えることは言うまでもなく重要なことですが、その伝わり方について正確に予想することは難しいことです。
そこに意図が介在すればなお一層迷路に陥ることもあるので、発言者は公開での論争に耐えうる表現を最低限心がけるべきです。
とかく日本人のディベートに対する敬遠度は高いようで、反論、異論、批判・・イコール敵と意識する傾向が気になります。
議論が下手なアジアの一国なのか日本の外交政策をみてもそう感じるのですから国民のレベルを簡単に引き上げる事は困難なのかもしれません。

昨日、所要で神戸の波止場町にある合同庁舎に行きました。
ここは、第五管区海上保安本部があり、波止場にはテレビ局の中継車の列、海に直結する庁舎駐車場は報道陣で溢れていました。
ここはご承知の通り尖閣諸島での漁船衝突事件の映像漏洩の震源地となっている場所です。
隠せば見たい、出したい、見てもらいたい、また知らせなければならないという使命感や意識が混在しやがて行動に移るというのは当然の心理かもしれません。

五管には後輩や知人もいることから騒然とした現場が気がかりですが、情報の扱いについて今後日本国と国民がどのような審判を下すかに興味が湧いてきます。
個人的な思いですが、もともと隠すべきものではないものを異常な政治判断で不自然な形をつくったところに問題ありと思っています。
もし、あの現場に報道メディアがいたら、仮に私がいたら・・・ここで見た事実を政府の圧力で封じるつもりなら私は抵抗するでしょう・・これこそ恐ろしいことです。

指揮権の及ぶ範疇の人しか見ていない現場であるからという現実がこのような扱いを生んだのなら今後同じようなことが起こることが容易に想像されます。
これを密室での出来事として扱う思い上がりに猛省を促すのが妥当だと思います。
馴染みのテレビ各社の報道記者と、こんな神戸の波止場で会うのも予想外でしたが、正しい報道に期待を寄せ、激励したのは当然です。

こんな現実を観ながら、JARLに置き換えても同じことが言えるのではないかとふと思います。
もし今の混乱が、密室の決め事が日常化していると思われ、不信感につながる背景があるなら大きな問題としてその根底をきちんと見極め対処するべきだと思います。

先日、巣鴨事務局で大橋事務局長と会いました。神奈川県支部での発言についてその意図を聞きました。
私は査問が目的ではなく個人的にその真意を確かめたかっただけのことです。
この発言が話題となっているようですが、この現象について、ことさら大きく取り上げ過ぎだとも言いませんし、小さいとも申し上げません。
ただ発言の要旨にある、思いがあることは感じとることが出来ました。
私は擁護や弁護をする立場にはありませんが、些細なことだと黙殺するのではなく、必要であれば本人からしかるべき説明や釈明をすることを求めておきました。

神奈川県の支部の集いはさすが参加者が多く、冒頭からしっかりと発言を聞いた方も多いようです。
その方々のほとんどが、事務局長より支部長の発言の方が数段迫力があったよ!!と教えてくれました。
そんな話を聞きながら当事者間でなく、遠方のそれも多くの人を介在し、伝言ゲームのような伝わり方で各地を駆け巡り、私が目にする今風の現象は好ましいとは思えません。
多くの方々からしかも多方面から発言要旨が私宛に送られてくるのですが、発言のナマの声も耳にすることなく、一人の現地レポーターからの声だけでは声を荒げることはできません。
悔しいながらこれが今の日本の標準だとされているのではないでしょうか・・・むしろ感情論に映るほうが好ましくないと思われます。

尖閣諸島の映像が、神戸から発信されたことなど予想だにしていませんでしたこれこそネット社会の特性がまさに巨大な力として動いている事実です。
百聞は一見にしかず!!実際の映像には論評も不要です。

これからのJARLの議論も、発言の内容がつぶさに伝わるシステムによって成熟した議論から導かれる組織であるべきです。

これを機会に、場外乱闘気味の現状を超え、インターネットを最大限有効利用したJARLの標準を早急に作るべきだと思っています。
すべては正しい情報伝達のシステムでありこれを利用した情報公開であると信じています。

熱暴走

2010年11月10日 | 日記
JA1RRRさんのコメント「議論の場」は嬉しく感じました。
単純かもしれませんが、正直な思いです。

人間を長くやっているのですから、お迎えが来るまでに素直な自分を取り戻さないといけないと最近言い聞かせています。
いつまでも意固地に自分の主張ばかりを繰り返していてもそう楽しいものでもありませから・・・

学生時代は下宿の片隅が徹夜の議論の場であり、相手を打ち負かすことに快感をおぼえていた時期があります。
こんなアホな奴が社会で生きていけるなら俺は大丈夫!!そんな傲慢な青春時代の後半でもあり、大人への入り口だったと思います。
この思いはすべて間違いでした。

先日の日曜日、滋賀県支部のハムの集いがありました。
琵琶湖の湖東、東近江市という合併でできた新しい町で、我が家から名神高速を走り2時間少しの距離です。
ありがたいことに、今年もここでお話をさせていただきました。
お題は「近い将来のJARL」というタイトルでしたが、1時間20分の貴重な時間を与えられました。
私は人様の前でお話するときにいつも心がけていることがあります。

この日は100人程度の参加者でしたが、私がこの100人に80分のお話をするということは、皆さんから8000分の時間を頂いたことになります、また何より大事な時間を拘束することになります。
そんな計算はおかしいといわれても、これは計算ではなく私の思いですから、130時間をいただく責任を感じるのです。
私のラジオ番組など、気に入らなければスイッチを切るか他局に移ればいいのですが、顔を見渡せる会合ではしっかり聞いてもらえるように最大限務めています。

昨年も同様に貴重な時間を頂いたのですが、今年は昨年と全く異なる思いがありました。
会場は公民館ですから、壇上があります。
しかし今年は壇上に上がって一方的な話をするより広い会場の真ん中に座らせていただき、車座になって膝を交えてお話したいという心境でした。

なぜそうしたいと思ったのかと言うと、壇上からワンウェイのお話することだけでは真意が伝わらないのではないかという不安感があったからです。
手の届く距離で話し合いたいという願いでもありました。

登場した話の中にはかなり込み入った話題もあり、定款改正の道のりや、どこに問題点があるのかにも時間をかけました。当然ながら草野理事の話もでました。このblogの最大顧客?のKSOさんのお話もしました。
ただ、私は目の前にご本人が座っているという前提でお話しています。決して悪口が目的ではありません。

この前提を意識しない話は、いつの間にか前後の意図がカットされ、とんでもない一行が一人歩きすることがよくあるからです。
賛成があれば反対があるのも当然ですが、誤解を生む表現は避けなくてはなりません。
この会場にも当然ながら痛烈な現執行部に批判的な方もいらっしゃいました。
意見を素直に聞けばその意図はよく理解できます。さて、その意見を将来のJARL運営にどう活かすかは、私の力だけでは実現しません。
一緒に悩んでくれればいいのですが、一方通行の文句で終わればまたひとり苦悩のなかに入ることになります。

「あんたもエライ長いなー・・」と二文字のOMからいわれましたが、そう言われれば確かにそのようです。
ただ、これだけ長くやってもトンネルの出口が見えないばかりか、まさに混沌とした今を迎えてしまったのですから悲劇のJARLの中で、解けない難解な方程式と向かい合っている心境です。
今回それなりに嬉しかったことは反対派の方から激励をいただいたことです。これこそアマチュア無線の精神だと思い直した瞬間でもありました。

ちょうど同じ日、神奈川県支部の集いが開催されたようです!
高速道路の渋滞を潜り抜け帰りついたその夜、さっそく複数の方から神奈川県支部の集いで事務局長が発言した内容について確認や抗議めいたメールが届きました。

情報をトータル的につなぎ合わせるとご指摘の内容があったと推測されますが、私のところにいきなり問い合わせを頂いてもこれこそお答えすることができません。
ある親しい方から、こんな書き込みを鵜呑みにしたくないが、まんざら嘘でもなさそうだし問題だ!
さらに、尖閣列島のビデオ映像の公表のように本物の発言を流してもらわねば真相は判らない!というものまで反響は大きいようです。

よろず屋でもなく、私が答えるべきものではないとはいえ、誤解なら説明が必要ですし、その意図については本人に確認してみます。
自己反省になりますが、皆さんが熱くなっているこの時期、熱い議論は大いに結構かと思いますが、熱暴走気味の発言があったとしたら私も一緒にお詫びします。

場合によっては釈明の機会が必要かもしれませんが、書かれている言葉の前後を聞いてみたいと思っています。

議論の場を消さないために・・

2010年11月09日 | 日記
私がこのblogを始めようと思ったのは、とかく双方向の議論ができない今のJARLの現状を好ましくないと思ったからです。
以前からそう考えていました。
この場は自分自身への問いかけの機会でもあり、反省なのか?と言われればそのように理解していただいて結構です。

私は、この場に寄せられる批判の多くにある「問題あり」といわれる理事会の構成員です。
ここにそういう方が多く集まるからだ・・と居直るつもりはありませんが、ご指摘すべてにうなずいているものでもありません。
しかし、自らの意思で意見を言っているのですから、役目の範疇なら受けなければならない責任があります。
JARL理事会がここまで不透明だといわれ、事実議論を好まない体質になったのはそれなりの原因があります。
断定するとまたお叱りの対象になるようですが、お行儀の良い理事は、余計なことは外にださない・不用意にしゃべることはない!という長年の慣習があったようです。
これが、ともすれば重要なことも話さなかったいうことにつながったのなら今すぐ考え直す機会です。

末席の理事である私が出来るだけ理事会情報を出したらいい!と言っても簡単には実現せず今日に至っていると言うことかもしれませんが、このあたりが私がお行儀が悪く、イエローカードの対象とされる所以でしょうか・・・
ただこのような中でも、私自身は宗旨替えをせず、基本的な考えを変えずにここまで来ることができたのは、改革を掲げて自らの意思で理事会に参画したためです。志をまだ捨てなかったからだと思います。少しばかり自己主張しました!

これはどうでもいいことでしょうが、こんなことがありました・・・

私のところにはお会いしたことがない会員からメールが届くことが多くあります。
その中に、気になるものがありました
「私のエリアの本部長から理事会の報告を受けた・・本当にそんな話があったのか?」
というものがありました。
答える前に
「なんで私に聞いてくるの?」
となったのですが
「関西は理事会情報をすべて出しているようだからそれに期待して聞いた・・」
ということのようでした。

要するに、理事会の報告が正確に地元に伝えられていないのでは、という不信感のようですが組織として重大な問題でした。
特殊なケースだと片付けるかもしれませんが、こういう状況を作らないためには理事会の議事録を正確に出せばいいことですが、このあたりに閉塞感を与える背景があったのかもしれません。

JARLは細い一本のルートから全国に情報が送り出された経緯がありますが、この結果インターネット社会の膨大なトラフィックの中を行き来する環境からとっくに取り残されてしまったといえます。
会員が知る道がないのではないか・・一度こんな不信感を抱けば、その相手が何を言っても信じない図式になります。ついにその時が来てしまったというのが私の個人的な思いです。

このblogの開設の機会にお断りしたことは、個々のコメントにはいちいち回答することは遠慮したいということでした。
これにはそれなりの理由がありますが、いちいち反論すれば本質から離れた感情論になって終結という事態を招いたケースを多く見てきたこともありこれを避けたいと願ったのも一つの理由です。
継続が力だとすれば、炎上させるblog環境から遠ざけるのも工夫の一つです。
ひとつクッションを置いてこれらの話題に触れてもいいのではないか・・・そんな思いもありました。

ここに書く内容はあくまで私の主観であって、JARL理事だろうと言われるなら、私が手を下したことに対する報告と、その範囲で責任の及ぶものには出来るだけ答えたいという意図はお伝えしています。

私を含めて失礼ながら理事の多くが論客とは言えない現状が見受けられます。そうではないかもしれませんが・・
論旨がしっかりした方々の記述は日本語をきちんと読むことが出来るなら十分理解できます。
悔しいながらも理路整然とした反対意見にもしっかりと耳を傾けています。
しかしこれを論破し、際限ない議論に入るにはさらに学習を重ね対応しなければなりません。
心情的には私自身「NO」に近いものがあります。不勉強さの言い訳でしょうが、正直なところ時々メゲそうな自分を感じます。

もともとJARL理事会は、ロジカルな議論が苦手で、ただ黙々と現場の仕事をしてきたのかもしれません。
書きながら、「ろくな仕事などしていないだろう・・」という声が聞こえる病的な心理状態の自嘲気味な思いを残しながら文字をしたためるのも辛いものです。

正論を言っても罵倒されることが多いので、誤解など恐れていては話が進まないのですが、要するにこのblogの意図は頂いたコメントが例え匿名であっても削除しない・・ただ私と書き込んだ人とのバトルで終わらせるつもりが毛頭ないということです。
私の能力では対応できないからと逃げるつもりもなく、このささやかなやり取りから少しばかりJARLの現状をお伝えし改革に近づいているという兆しを求めているからです。

事実今回の論争は、これまで全く関心のなかった人たちの間に定款を読み直したり、次回の臨時総会の議案やその背景をしっかり知ろうとする存在を浮かび上がらせました。
これこそ私が望んでいた姿です。
その証拠に事務局への問い合わせに、定款の文言に対する質問が多く届くようになりました。
これはこれまで見られなかった現象で、事務局は迷惑でも組織としては会員の意識の向上という観点からは歓迎すべきことではないかと思います。

これまで観られた行き先が見えない議論の答えが、このblogで見つかるという期待にはほど遠いかもしれませんが、多くの意見を掲示する場として現状を知る役割は果たせていると思います。
単純な現代版電子壁新聞のような思いです。

どこに真実があるのか、真贋の目利きはまさにこの議論をのぞき見る方々の力であることに変わりはありません。
私たちのどこが問題なのか、これからのJARLに何が最大のネックなのか・・・これをきちんと見極めて進むことが出来れば、その改革への手法は見つかるはずです。
くどいようですがその手法の議論に入らず臨時総会は不要だというだけの意見に賛同できないのです。むしろ解決の糸口を先延ばしすることになると強く訴えます。

臨時総会では、名古屋総会で問題だといわれた議事の進め方についての根拠を共通認識とするために出席者全員に「議事運営規定」をお配りします。
これが実現できたのも積極的に情報を出したいと願う私たちの仲間の努力から生まれたものです。どんな形であっても意見の交換の場から新たな取り組みが生まれる事実でもあります。

情報を出そうとする人たちが体制側であるということで必要以上に攻撃される現状は好ましいものではありません。
JARLが危機管理の希薄な団体とするならばここに論客が颯爽と登場すれば結構人気者になります。防戦ばかりの私などは取るに足らない存在でしかありません。

できればいつも言うように評論家として抜きん出る方々が、実際のJARL改革に参画していただければもっと大きな前進が見られるのではないかと思っています。

JARLって何を指すの?

2010年11月06日 | 日記
多くのご意見に接し複雑な思いがあるのは事実です。
お褒め頂くことなど毛頭期待はしておりませんが、ここまで徹底的に厳しい論調になるとかえって核心が逸れてしまうのではないかと案ずることがあります。

思うことは多くあるのですが、特定の人だけが持っている倍率の高い望遠鏡で見た景色が伝えられています。
汚いとか醜いと言われてもほとんどの人が見ることが出来ない環境にあり、この現実が今の論争の背景としてくすぶってきたのではないかと考えてしまいます。
これら耳にした多くの人が、見たことはないけれどそんなに醜い組織といわれればさもありなん・・、と、意気盛んになる人も出てくるのは当然でしょうか!
閉塞感のある現状がこれらの力を加速させるようです。

問題ある旧理事とか、余りにも醜い醜聞を続出させてきたJARLということが何を指すのか・・、とぼけるつもりはありませんが、実際のところ私自身そのような話を耳にしたことがありますが、具体的な内容や詳細について知る立場にはなく、現在も変わっていません。

情報というものは自ら得ようと積極的に行動するのと、じっと待つのとでは情報量に雲泥の差が生じるのも事実です。
ただ、醜聞と聞けばあまり食指は動かず積極的に知りたいとは思いませんでした。
もし事実であったなら、今後そのような話題を誘わない組織作りに最大限の努力をすることが私の勤めだと思ったからです。

正直に言えばJARL運営に関しすべてを満足することはありません。自分の意見が通らないから不満というのではありません。
本来なら問題がある部分の背景を精査し、その原因を除去するのか根治治療でしょうが、JARLは根本的な対応が嫌いで、その核心に手をつける対応に努力が及ばなかったという現実に不満を抱くのです。
これを改善することが次の議論に進む最低限の前提だと思っています。

頂いたご意見のなかに「単なる内輪喧嘩でしょう・・・」と言うものもあり、がっかりしたのは事実ですが、そうとしか見えない人が圧倒的に多いということも認めなければなりません。
最たるものは「主導権争いなどしている場合か!!」というものがあります。
これはよくよく考えるとそういう見方も起こりえるので、すべて違うとも言えず困惑の時間です。
今になってはこの言い訳に時間を費やすこともさしたる意味がないと思っています。

現在の論争の背景は「JARL活動に実際に参加しない連中に何がわかるか・・」という思いと、「不信感の漂う執行部が進めるものが信用できるか・・」このような図式でしょうか!

これまで沈黙してきた人たちから沸きあがる力を無視することはできませんが、この図式から抜け出せない構図は相当深刻だといえます。
それぞれ正義を主張していますが、その根底に遺恨試合のような様相に見え隠れすることは残念なことです。
お互いが抱く不安感は相当なようですが、この背景の払拭はこれから多くの時間をかけた議論から始まるのではないかと思います。

度々例えとして挙げられる「バスに乗っている人の心情とバスを待っている客との深層心理の差・・」にあるような、永遠の課題のような説明で簡単に片付けられるものではありません。
私たちは基本的に争って居るのではなく、きちんとした議論になっているかその環境が整っているかを自らに問いかけ、皆さんに説明することに取り組まねばなりません。

これまで気になっていたことですが、みなさんが日常使うJARLという定義があまりにも曖昧ではないでしょうか?
ここで私が書いているJARLも同様です!

私は理事会で言ったことがあります。「あなたが使うJARLって何を指しているのですか?」
ある時は、総会を思い浮かべ、またあるときは会長を意味し、時には理事会の代名詞に使われる・・・この妙な現象も気になるのです。

JARLの定義が「総会」か「会長」か「理事会」か・・・いつも都合よく使われています。
綺麗ごとを言うつもりはありませんは、私にとってのJARLは紛れもなく「会員」でしかありません。
この意識を失ったとき、私が信じるJARLという定義の場から去ります。
今の組織の中で完璧など到底望めない環境にあることを知ってか知らないか定かではありませんが、すべて理想論で完成することは困難だと感じます。

私は役目がら相当な攻撃は甘んじて受けますが、私の力量で出来たことは「今ある材料を最大限生かし可能な限り美味しい料理を作った・・」これだけは伝えたいと思っています。
材料を持たずに上手い料理を作ると繰り返されても、にわかに信じられないと言えばまたお叱りを受けるでしょうか!

この判断はすべて皆さんの決することになりますが、現状の中で最大限の努力をしていることはわかってもらいたいとつぶやいています!!

義を見てせざるは勇なきなり

2010年11月04日 | 日記
義を見てせざるは勇なきなり
論語の一説にあるあまりにも有名な教えですが、私好みの言葉です。

「人としてなすべき正しいこととわかっていながら、それを実行に移さないのは、勇気がないからである」という意味です。
そうは言っても、道義から見てどうしてもしなければならない事を実行できるかと言われれば、出来ないことは出来ないと居直る自分がいます。
ただ孔子の格言を肯定的に解釈すると「勇気とは正しいことをすること!」につきるということは肝に銘じています。

多くの方々からご意見をいただき、冷静に拝聴するとある部分の真意がくっきりと見えることがあります。
こんな時、このblogから皆さんの意見が得られることに大きな意味があることがわかり、無視できない重さを感じます。

何しろ議論嫌いが伝統的に受け継がれているJARLのようですから、このような機会を理事が作ることはご法度だったのかもしれませんが、もうそんな時期ではないと思っています。
勇気を出して意見を出しても、反論を受ければ敵だと思う日本人の習慣があるのか、そこで議論が止まるというケースが多く、このような土壌がJARLに有ったのではあればまず手をつけるべきです。

私の思いは、匿名であっても悪口であっても削除せずに真贋の目利きのある方の判断に委ねます。
結果は時間の推移に従い求められると思っています。
議論は今の価値の議論ですし、正義も今を基本にしたものですから絶対に誤りがないとは言えず、さりとて今の時点で間違いだと断定することもできないところが俗人である生身の人間の悩みではないかと言い聞かせる自分がいます。

法律や組織論を得意とする方を多く要するJARLですから、当然ながらこれらの議論が噴出しています。
何より定款改正という現実の場面を間もなく迎えるのですから、避けることの出来ない議論です。
これらが今までなかったことが不思議なくらいです。
この習慣になかったJARLの苦悩は、いびつな形の議論形態を招き泥沼の様相を招いています。
本質的な解決論より先に、すぐに責任論に行き当たりますが、それより残念なことは、このところ全く噛み合わない議論となっていることを憂うことです。
そこには過去の議論の経緯が全く取り上げられずに、あたかもその時間が空白だったような意図的ともいえる論旨のすり替えを感じます。

名古屋総会で問題ありとされた定款・規則案は否決されました。
その結果、これらの改正審議を議論する委員会が開催され、否決側の当事者が委員として激論に加わりました。
問題だと指摘された修正案に加え、議題以外の緊急提案にも耳を傾け議論に加えました。
何度もお伝えしている通り、採決という結果を導かず激しい議論の中で意見を交わし導いた結果です。
賛否両論のなかで議論百出でしたが、委員すべてが議案に賛同したものは少数です。
双方に不満がある議題もありましたが、導いた結論はすべての委員が大同につき出したものです。
その証しが、すべての委員は自筆の署名を加え、誠実に議論を重ねこれらを理事会に諮ることを約束した書面です。

委員会からの答申を受け理事会でこれらが承認され、評議員会でも大多数の賛意を得たことはご報告の通りです。
本来理事会の決め事がすべて満場一致などであったという方が異常なことです。
民主主義を語りだすとまた妙な方向に議論が進むようですが、きちんとした手続きで導いた結論に対し、今になってその当事者が意見を言うのは認められるとして、公然と反対を表明することは異常なことであり、自らの存在すら否定することになります。

意見が通らないという不満は、私自身これまでの理事会の中で結構多くありました。
だからといって総会の議案に、壇上から反対票を投じることはありませんでした。
これが理事としての最低限の約束事だと言い聞かせていたからです。

義を見てせざるは勇なきなりという教えが「勇気とは正しいことをすること!」なら、自らが加わった結論を自ら否定することなどは感心されることではないと思います。
後から気がついて、発言したことに誤りがあるとしても適当ではないと感じます。
私は委員みなさんの意見を聞いて定款案を提出しました。
間違いがあったならその時主張すればきちんとした議論ができました!

後から見つけ出した課題をすでに決まった結論から外せという手法についてはNOといわざるを得ません。
議論のテーブルに載せるなら、今の過ちがあることをきちんと立証して次の正式な場に移すのがルールだと思います。
それが新しいJARLが果たさねばならない課題だと思っています。

この場を作る以前に、自らが加わった議論をないがしろにする人たちの存在の方が気になります。
これまで、決して排除の論理などを行使したことがなく誠実なお付き合いの中で進んできた時間が無駄になるようではJARLにとって最大の「負」の結果を招くと思っています。

個人情報保護法とアマチュア無線

2010年11月02日 | 日記
法律に関することは専門家に任せばいいと言う声も多くありますが、そもそも法律というものが、先にあったわけでもなく私たちの営みの中で起こる不都合から我々に不動の位置を与えるためにあるものです。

また物議をかもし出すテーマですから書くのは止めようかとも思ったのですが・・・
それと出張中の身ですが、都内の片隅とはいえ年寄りは早く目が覚めるでついつい書き始めました。

アマチュア無線を通じて多くの友人を得ましたが、いまだにその人の生業を知らないということはよくあります。
以前私が所属していた地域クラブに新入会員が訪ねてきました。
若くて温厚で誠実な方でしたが入会申込書の職業欄が空欄でした。

それまでは局名録と称した分厚い本が書店に並び、その人の趣味までが掲載されていた時代もあり、それ自体がアマチュア無線に参入する決意であり、ある意味ステータスのように信じられていたものです。

お付き合いを重ねてしばらくした頃この方が「私はあまり積極的に自分の職業をいえないことがあります・・」確かそのような意味のことを話されました。
クラブの世話役という立場にいましたが、特に詮索するつもりもなく耳を傾けたのですが、その方が言うには○○裁判所の判事であるという話になりました。
裁判官という職業が隣人とのお付き合いについて、その意味する背景を始めて感じ取った瞬間でしたが、失礼ながら世の中には不便な仕事もあるのだな・・・と思ったのも確かです。

その頃はアマチュア無線をやる人はみんな仲間で、隠し事などないという単純な発想が標準だった時代でしたが、不用意に職業を明らかにすることで何らかの支障がおこる恐れを抱く仲間がいるという現実を知りました。
やがてアマチュア局の情報も制約を受ける時代がくるのだろうか・・・そんな漠然とした思いが浮かびました。

個人情報保護法については皆さんの方が詳しいかもしれませんが、5000件を超える個人情報を個人情報データベース等として所持し事業に用いている事業者は個人情報取扱事業者と位置づけられます。
同時に適切な取り扱いは求められています。JARLもその対象です。

よく「お前の仕事は何だ?」と聞かれることがあります。簡単に言えば自由業のジャンルですが、実は個人情報の取り扱いについては非常に敏感な立場にいます。
現在関東圏のラジオ局のパーソナリティーという仕事に就いているので、この個人情報の取り扱いには非常に神経を使っています。
毎日のように届くリスナーからのお便りやリクエストに最大限お応えするのが勤めですが、それだけでは済みません。実に様々な問題も発生します。

これらの情報は最終的に私の責任下で処分するのですが、リスナーの意思で投稿されたものだからといって安易に扱うことができない性質のものです。
他局にいる友人に聞くとそこでは「放送終了時点で届いた情報はすべてシュレッダーにかける・・・」ということでした。
そこで「それで支障が出ることはないの・・?」と聞くのですが、支障がでてもそうしている!ということでした。

恐るべし個人情報に対する保護意識ですが、個人情報は、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきものですから我々の仕事から率先して適正な取扱いに取り組む使命であるともいえます。

さて、アマチュア無線の局情報に関してはどれが個人情報になるのかなどの結論はすでに得られていますが、個人情報保護法の定義と照らし合わせると、アマチュア無線が過去から受け継いできた慣習や考えが一瞬に否定される解釈も成り立ちます。

個々の問題をあげるとまた大きな論争になりそうですが、そもそも存在を明らかにしなければならないと定められた電波法にもとづくアマチュア無線の性質と、特定の個人を識別できる情報を第三者が提供できないという法律の狭間で、アマチュア無線のよき慣習であったコミュニケーションまでも壊れていくような印象を受けるのは私だけではないと思いいます。

先日亡くなった前監事の後藤さんがこんな話をしていました。彼は町長として活躍していましたが個人情報の運用が始まった頃「個人情報がどんどん拡大解釈され色々なトラブルが発生している・・笑えない事実だけれど、ある小学校に校長先生の名前を尋ねる電話が入った・・・応対した職員は個人情報ですから答えられません・・」こんな話をしながら苦笑していました。

これを機会に個人情報保護法の条文を読み直してみました。大いに勉強になりました。
その中でこの法律の精神を犯すことなく、またアマチュア無線がもっとも大切にしてきたコミュニケーションを損なうことのないお付き合いだできないものか・・と思いながらそれは可能だと思いなおしたりしています。
このヒントは私たちが先人から学んだアマチュア無線の中に今も生きているように思います。

どさくさに紛れて言い訳をするつもりは無いのですが、私が命じたわけではないものの自然波及的に湧き上がった声が今回皆さんにお願いした委任状獲得の手法になったのは事実です。
こもちろんれらに対するご指摘は肝に銘じています。

ただ、これらはJARLの現体制を維持するためのものではなく、アマチュア無線の受け皿として活力ある時代をJARLの中に移植するためのものだという思いは信じて欲しいと願っています。