◎ 夢をあきらめない 全盲のマラソンランナー
・これまでのブログは匿名でした。この度は、実名で紹介します。朝 近くの学校で高橋勇市氏の講演会があるとTV放映があった。早速 問合せたら9:00スタータとのこと。
講演風景
・小学校の頃からの生い立ちかがを中心 その時々の出来事の紹介だった。小学校 1周1㌔のランニングコースで6年生のとき優勝した。5年生のときは最下位だったとか。これが走るキッカケらしい そして元来走ることが得意であったようです。
・中学校の頃は、音楽評論家になろうと思っていたとのこと。
・高校在学中 目が発病した。球が消える。(消える魔球???)黒板の字が見えない。教科書が読めない、二十歳には全盲になる。と言われた。
・高校卒業後 盲学校3年を卒業 職を探したが簡単には就職できなかった。自殺を決意して列車を待ったが来なかった あきらめた。デパートの屋上へ昇ったが金網で飛び降りることが出来なかった。家に帰ってカッターナイフを振り回した。母が騒ぎを聞いてとめてくれた。母はは泣きくずれていた。もっともっと苦労して生きている人かたくさんいると諭された。
・沖縄で就職した 日光が強いと良くないと医者に言われたが二十歳を過ぎても少しは見えるので無理をして就職した。どんどん病は進行してTVさえ見えなくなった。遂に仕事はあきらめた。
・30歳を過ぎた頃にバラリンピックで優勝したニュース見た。小学校6年生の時優勝したことを思い出した。短距離はダメだがマラソンならやれる。本格的にマラソンを始める決心をした。
・伴走 初めは高校生の自転車・バイクのアルバイトでした。自転車よりはバイクが良かった。経費のことなどで、知合いのタクシーを頼んだ。後ろを走ると急ブレーキ、前を走るとつまづいた時にひかれそうになる。横についたが対向車か危険だった。その後プロの伴走者と走っている。伴走者が着いてからは記録がどんどん伸びた。パラリンピックの話も出てきた。
・無理をして棄権。そのまま医者へ行ったこともある。つきのコースを走る5,000人ほどの選手に迎えられたこともあった。感動して泣いたらしい。こんなことがあってますますマラソンにハマッテいったらしい。
・アテネでは見事優勝。ペキンにも出場。今年のロンドンでは7位入賞。マラソンを走るようになってから 白い杖を使うことにためらいがなくなった。目が見えないことを隠さなくなった。
・金メダルは、何万人にも触ってもらった。持ってもらった。多くの人に感動してもらいたい。と言ってまとめた。
・質問に答えて 今の夢は、ソチで走ること。この後の東京でも走ること。でした。大きな大きな拍手はやみませんでした。(訂正 ソチ=冬季ではなく、2016のリオデジャネイロでした)