東嶽 H30-01-31 ㈬ 幸

2018-01-31 21:22:39 | アート・文化

   ミュージカル

 びっくり理一郎 わらび座資料から

 あらすじ 明治の世になり憲法や国会など国のありかたが議論

   されていたころ、東京で福沢諭吉の教えを受けた理一郎は、

   「新しい国作りに地方も遅れをとってはならない」と郷里に

   帰ってきた。新聞を発行し、若者に学問を教え、東奔西走。

   しかし、新妻のやすは怒り心頭だ。毎日のように議論だと

   言っては酒を飲み、遅く帰ってきては激しいイビキをたてて

   昼まで寐ている。二人が言い争っていると小作の佐吉が現れ、

   家が村八分にされていると訴える。貧しい農民たちが起こした

   暴動事件に父親が加わっていたためだ。世の中は暴力では変え

   られない。理一郎は誰もがしっかりと学べる場、学友会を作り

   さらに自ら政治の世界に飛び込んだ。10年後国会議員となり、

   お国のために論議を尽くそうと奮闘した時、陸羽地震が起き

   再び料理へ舞い戻り、秋田県長者番付12位の力で何とか復興の

   先頭に立とうと奔走する。ところが、村人の心がどうしても

   一つにならない。お金の力では解決できない壁があったのだ。

   八方ふさがりとなった時、やすが語った一言から、理一郎は

   ぴっくりするようなアイディアを生み出す。・・・。

   

   除雪

 終日 早朝2時間。午後3時間。普段手の届かない軒下他。

     疲労困憊。

   湯上りの一首

 短歌 短歌ならぬことば遊び

  ➀ 節分の 拾う豆数 多すぎて

            二桁のみで 腹七分目

    

   

 


東嶽 H30-01-30 ㈫ 大雪

2018-01-30 21:02:51 | アート・文化

   ミュージカル観賞

 演目 びっくり理一郎

 会場 あきた芸術村 わらび座 小劇場。10:30~12:00。

 こんな人 わらび座の資料から~秋田が生んだ最強夫婦の物語~

  ◎文久元年(1861)仙北郡千屋村(現美郷町)で誕生。

  〇10歳で六郷町の熊谷松陰に師事。儒学、和漢を学ぶ。

  〇12歳で上京し洋学を学ぶ。

  ◎明治23年(1890)29歳県議会議員。

  ◎明治27年(1894)衆議院。

  ◎明治29年(1896)陸羽大地震。秋田に帰り崩壊した千屋の再興。

     農業を経済の基本とた産業改革、教育の振興にも尽力。

  ◎明治37年(1904)貴族院議員。

  ◎大正4年(1915)体調を崩し公職を辞職。

  ◎大正6年(1917)57歳で逝去。

       

  9人の子どもがおり手紙のやりとりからは父母家族を大事にして

  いることが伝わってくる。私心のない高潔な人格、そして郷土を

  こよなく愛した理一郎の心は「東嶽精神」として人々の心に息づ

  いている。

     

 感動 サキチの妹がサキチと母を大地震で亡くした。

   理一郎から今欲しいものは何か。お金ではなくサキチと母を

   返して・・・。

 同郷 拙者と同郷。小学校の頃から郷土の偉人として尊敬。

   誤りを発見

 野菜 「寒詰め」野菜は「寒締め」である。

   予ねて何回か使用している。此処で訂正します。

   気づかない誤りも多々あると思う。

   容赦して呉れ。気付けてください。

 

 


休養日 H30-01-28 ㈰ 曇

2018-01-29 04:35:44 | 日記

   除雪

 温泉 3日振りの入浴。気分爽快。

   湯上りの一首

 短歌 短歌ならぬことば遊び

   ・屋根からの落雪を排雪をした。

  ➀ 寒波去り 軒の排雪 汗をかく

             村の風呂場で 疲れを癒す

    

    ・節分には地域の火まつりがある。(H29-20-12)

  ➁ 居座った 冬将軍が 遠のきて

                村の火まつり 夜空を焦がす

    

    ・H30-01-26 訪問宅で干し柿を頂いた。

  ➂ 渋柿を 天火で干して 甘柿に

             三時のお茶で 客をもてなす

         

 

 


雑感 H30-01-27 ㈯ 曇

2018-01-27 20:35:50 | 日記

   雑感

 支持率 韓国の大統領は最近支持率が下がった。

   ➀ 五輪の共同参加を勧めている。 ➁ その他。

     ・何故支持率が下げてまで共同参加なのか。融和。

     ・国際社会の動向は圧力と制裁?

 感想 ???。