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海月美紗のしょうかっこう

小確幸とは 小さいけれども確かな幸せ という意味
何気ない毎日の中で見つけた 小さな幸せを記録していきたいと思います

小林和平の狛犬に会いたくて

2025年06月30日 | 神社仏閣

小林和平は、昭和初期から戦後にかけて福島県内で活躍した石工です。

師匠である小松寅吉の技術を受け継ぎ、狛犬彫刻を芸術として開花させた名工として知られています。

去年の秋に和平の狛犬に魅せられ、何度か福島県南の狛犬めぐりをしました。今回は、まだ出会っていない和平の狛犬に会いたくて。

【沢井八幡神社の石社】石川町

石川町沢井で生まれた和平は、10代のときに寅吉の工房で石工修行を始めました。

和平が21歳の時、工房は小さな石社の発注を受けましたが、師匠の寅吉は長期出張で留守でした。

和平は一人で社を彫り上げ、「石工 小林和平」と記銘して、沢井八幡神社に奉納しました。

後でそれを知った寅吉は、修行中の身で銘を刻むなんてとんでもないと激怒したそうです。

和平は、その後修行を終え独立してからも、師匠の寅吉が生きているうちは決して自分の名前を作品に刻むことはしませんでした。

【根宿八幡神社の飛翔獅子】矢吹町

明治41年に建立された飛翔獅子の阿像です。石工名がありませんが、その技術のすばらしさから和平作だろうと推定されています。

この狛犬の吽像は、後に台座から落ちて破損してしまいました。頭しか残っていませんが、それでも凄まじい迫力が伝わってきます。

落ちた吽像は、今は「先代狛犬」として新しい吽像の隣りに置かれています。

【近津神社の飛翔獅子】白河市東

昭和12年、和平56歳の時の狛犬。「石工 小林和平」の記銘があります。

寅吉は大正4年に亡くなりました。和平の全盛期もそろそろ終盤を迎えようとしています。

吽像にじゃれている3頭の子獅子。

子獅子たちの可愛らしい表情、いきいきとした動き。和平の最高傑作と言われる、石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)の親子獅子と共通するものがあります。

後ろ脚を高く跳ね上げ、華やかに力強く、まさしく飛翔獅子です。

和平の技術もプライドもまだまだ健在ではありませんか!

【角折神社の飛翔獅子】白河市東

昭和15年、和平58歳の時の狛犬です。記銘はありません。

この頃、和平には目をかけて育てていた弟子がいました。弟子と一緒に制作した狛犬には、和平は自分の名前を入れなかったのだろうという説があります。

【川辺八幡神社の飛翔獅子】玉川村

ここには、もともと味原勇という石工が昭和30年に彫った狛犬がいました。

でも、阿像が台座から落ちて壊れ、和平に代替を作ってほしいという依頼があったのです。

和平はこの依頼を受け、阿像だけを彫り上げました。完成したのは昭和36年、和平は満80歳でした。

和平が石工人生の集大成として臨み、完成させた飛翔獅子。この阿像が和平の最後の作品となりました。

地震が原因でしょうか、台座が割れています。でも、ひび割れが走っているのは名前のすぐ横、「石工 小林和平」の名前は無事に残りました。

【沢井八幡神社の尾珠狐】石川町

まだ若かった和平が石社を納めた沢井八幡神社は、小高い山の上にあります。

故郷の沢井の集落が見下ろせる境内の一角に、和平が彫った1対の尾珠狐がいます。

3人の子どもを幼くして次々と亡くした和平の人生は、親として幸せだったとは決して言えないものでした。

厳しい修行時代、寅吉の後継者問題、そして戦争…、石工としてのプライドだけが和平を支えてきたのかもしれません。

でも、だからこそ、小林和平が彫る狛犬たちはこんなにも繊細で優しく、私たちの心を静かに揺さぶるのだと思います。


2025.6.28

コメント (4)
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