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海月美紗のしょうかっこう

小確幸とは 小さいけれども確かな幸せ という意味
何気ない毎日の中で見つけた 小さな幸せを記録していきたいと思います

11月26日(火)相馬藩ゆかりの神社めぐり

2024年11月26日 | 神社仏閣

神社の大きな木を見上げたら気持ちがすっきりしそう、青空もこんなに広がってるし…

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相馬太田神社

1323年、陸奥相馬氏第六代当主・相馬重胤が鎮守・妙見を鎮座した

明治維新後、妙見菩薩を医徳寺に遷し、御祭神を天之御中主神とした

 

狛犬は社殿前と階段下に二対

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相馬小高神社

相馬氏の居城だった小高城跡にある神社

小高城は1336年に相馬重胤の子光胤によって築城されてから江戸時代の初めまで約280年間、奥州相馬氏の居城だった

江戸時代になって相馬氏が中村城に移ったあとも妙見が祀られ、明治時代に小高神社、戦後に相馬小高神社と改称

社殿前の狛犬、渦巻いて流れるようなたてがみと尾、凛々しい表情がすばらしい

吽形の足元にいる子獅子、真っ直ぐ上を向いて母獅子を見つめている姿がなんとも愛らしい

台座に「白河町 三國岩次郎 刻」とある、昭和初期の石工で白河ではよく見かける名前らしい、名工かも!

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貴船神社

御祭神は、雨を司る龍神タカオカミノカミ、五穀豊穣や出世・武芸を司る神クラオカミノカミのニ神

相馬重胤が行方郡に移る1323年以前からこの地域で信仰されていたという、屋根やお賽銭箱に九曜紋が見える…

ニシキギは季気の変容力を象徴する縁起の良い木、私たちの強さと熱意を高めてくれる

社殿前の狛犬、彫りは浅いが表情や動きはいい感じ!

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日鷲神社

相馬重胤が下総国から行方郡に移る際に一緒に移って太田に祀られ、そのあと小高に移された

御祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)、弓矢など武器を司る戦の神、代々の奥州相馬氏から戦場での守護神として信仰されていた

御祈祷殿には護摩壇が設けられ護摩木を焚いて祈祷が行われる

江戸時代の相馬中村藩主・相馬昌胤が藩内の寺社に吉田神道を広めたことに由縁

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太田から小高へ向かう途中の道ばたに咲いてるサザンカ、10数年前はもっと背が高かったような気がする

紅葉・黄葉したカエデやニシキギ、イチョウ、常に緑を保つスギやマツ、サカキ… 神社に植えられた樹木には精霊が宿る

狛犬たちは魔物から神社を守るためににらみをきかせてる、格好いいのから可愛いのまでいろいろいるけどね

 

 

 

 

 

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11月17日(日)岩子・清風荘に泊まる Ⅱ

2024年11月17日 | 空と海

相馬観光2日目

大洲海岸で日の出を待つが水平線の上には厚い雲、6時44分、雲の隙間からお日さまが顔を出した!

西の空には満月、もうすぐ鹿狼山に沈む

海から昇る太陽と松川浦の向こうに沈む満月、これを見て欲しかったんだ!

朝ご飯、シラスとメカブと玉子で丼にして食べる

大戸浜で貝殻やシーグラス拾いを小一時間

磯山展望緑地に向かうと、北の空に虹! 海から上る虹を初めて見た!

鹿狼山は紅葉してて、まぁるの庭では皇帝ダリアや秋バラ、十月桜が咲いていた

コーヒーを飲みながらのんびり、遠くの太平洋を眺める

お昼は、浜の駅松川浦の「浜の台所 くぁっせと」で地魚丼を

最初はそのまま醤油で、1/3食べたら漬け丼で、最後の1/3は出汁茶漬けで、3種の味が楽しめる!

本日の地魚は、ヒラメ、ホウボウ、サワラ、スズキ… 切り身が大きくて新鮮でこの上なく美味しいんだよ!

メヒカリの唐揚げもカリッと美味しい!

浜の駅でお土産に海鮮やご当地名物を買い込む

田村の見渡神社で見つけたよ!とメールが届いた、すっかり狛犬めぐりにハマった様子、これは野田平業さんの流れをくむ狛犬ではないかしら…?

相馬に住んでるから、相馬の旅館に泊まるなんていう体験はしたことがない

海と海鮮、太陽と満月、神社と狛犬、そして桜、楽しかったし美味しかった

このハリネズミ、まぁるの庭へ行くたびに「あら、こんなとこにいたの?」って感じであちこちに出没するんだ

また今度、姉妹旅行ができたらいいね

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11月16日(土)岩子・清風荘に泊まる

2024年11月17日 | 空と海

姉妹2人で泊まるのは初めて!

海が見たい!おいしい海鮮が食べたい!と言うし、私は月の出や日の出を見て欲しかったから、相馬観光の計画をいろいろ考えて今日の日を楽しみにしてた

 

スタートは齋春、海鮮好きにお勧めの「齋春海鮮丼」、新鮮だからウニやホッキが甘い! ちゃんと菊が付いてるとこが本物だと思う

腹ごしらえがすんで、午後は相馬のお殿さま由縁の神社巡り、今日は雲が多いけど風がなくて暖かい

相馬中村神社、二ノ鳥居の前の狛犬、足が太くて胸が厚い、馬がいなないてるみたいに上を向いてる

二ノ鳥居と御神木の親子杉

社殿へ上る階段下の狛犬、小さくて可愛い、愛嬌のある表情につい頭をなでてしまいたくなる。安政6年(1859)、江戸時代に建立された狛犬。

相馬神社、社殿前の狛犬、頭が大きくてアニメに出てくるキャラクターみたい、苔みたいなのがいっぱい付いてて表情がよく分からない

涼ヶ岡八幡神社、社殿前の狛犬、たてがみや眉が力強く渦巻いてる、尾がピンと立ち表情が凜々しくてなかなか立派!

八幡神社の夫婦杉、推定樹齢は800年、平成14年10月の台風で片方が倒れてしまった

この後は国玉神社へ、狛犬はいないけど、享保3年(1718年)に奉納されたという対の石灯籠は一見の価値あり

今日の日の入は16時24分、月の出は16時33分、雲が多くて夕陽や満月を見るのは難しい、残念…

案内されたのは5階の西の角部屋、目の前に松川浦が広がる、向こう岸には漁港や民宿・旅館の灯り、右側の奥には松川浦大橋のライトも見える

お刺身は新鮮! 生のホッキとホタテが甘くて美味しい! カレイの煮付けも! ホッキもカレイも地元産、アサリとあおさのおにぎり付き

明け方に西の窓から満月がきれいに見えた、浦の水面に映ってキラキラ輝いてる

今日の天気予報は「晴れ」で気温24℃、よいお天気でありますように…

 

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11月11日(月)浪江・双葉の被災した狛犬たち

2024年11月11日 | 神社仏閣

予報通り今日は晴天。2週続けて県南の狛犬巡りをしたので、相馬の近くにも狛犬がいないかと思って出かけてみることに…

 

初發神社(浪江町北幾世橋)

御祭神:天之御中主神

相馬中村藩第二十一代藩主昌胤に由縁のある神社。神社の復興資金をクラウドファンディングで募り、2018年12月に改修工事完了。相馬藩の家紋・九曜紋が社殿の屋根や狛犬の新しくなった台座に付いていた。

昭和時代に奉納された狛犬

大正時代に奉納された狛犬

クサ野神社(浪江町請戸)

東日本大震災の津波で流出した社殿が、今年2月に再建された。社号標はもとの境内にあったもの。もとの4体の狛犬のうち2体が見つかり境内の一角に奉納された。

大小2体のうち、大きい方の狛犬は野田平業が彫った狛犬。台座に「彫刻師 野田平業作」と刻まれている。昭和17年(1942)2月28日建立。被災した狛犬は津波で流されて、発見後しばらくの間は墓地に仮置きされていたという。

小さい方の狛犬も無事に奉納された。石工は大和田吉治、昭和3年2月28日建立。2体ともそのまま廃棄されても仕方がないくらいのダメージを受けている。

真新しい社殿の前には真新しい狛犬が奉納されていた。被災した神社の歴史を何百年も先の後生に伝えるために、今までの狛犬とこれからの狛犬が一緒にここにいる。

 

標葉神社(浪江町苅宿)

第13代成務天皇の頃(縄文時代の頃?)染羽国造(しめはのくにのみやつこ)に任じられた足彦命(たらしひこのみこと)が白幡天王を祀ったのが始まり。「染羽」は8世紀頃に「標葉」に変更された。御祭神は須佐之男命。境内には御神酒殿があり、春の祭りで奉納される「どぶろく」が仕込まれている。

震災で社殿に大きな被害はなかったものの、本殿周囲の玉垣や鳥居、石の階段などが倒壊。改修工事が完了した2019年4月、震災と原発事故後初めてとなる祭りが開かれた。震災前は11月に開かれていたが、復興への願いを込めて建立された祈願碑の除幕式も同時に行い「復興祭」として開かれた。

渦巻く波のようなたてがみと尾、そして眉毛。勇ましい表情の阿形の狛犬。吽形の狛犬の前後では2頭の子獅子たちが今にもけんかを始めそう、母獅子が前足で子獅子を押さえている。

 

相馬中村宮初發神社(双葉町)

妙見信仰に篤かった相馬藩によって建立された神社で、寛政3年(1791年)創建。

震災後は避難区域となり、神社の御神体は約10年間、宮司と一緒に避難していた。神社の所在地は放射線量が高くて許可証なしでは立ち入ることができなかった。できることから始めようと、2015年に氏子たちがしめ縄の掛け替えを再開。2019年11月に社殿の修復が完了。2020年3月に立ち入り規制が緩和され、2020年11月に御神体を神社に戻す儀式が行われた。

厳しい表情の狛犬たち、人々が誰もいなくなり神様でさえ遠くに避難していた間、ずっと社殿を守り地域の復興を信じて待っていたのだろうか…

 

八幡神社(双葉町中野)

大津波で全壊し原発事故で立ち入りが制限されていたが、国営の追悼記念施設「復興祈念公園」の敷地内に再建が許可された唯一の神社。

双葉地区には未だ帰還困難区域の指定が解除されず、本来の鎮座地で祭りを行うことが困難な神社が数多くある。そうした神社を遠く離れた場所から遙拝するための合祭殿が新しく併設された。

前に来たときは壊れた石材がガラガラと散らばっている状態だったが、今は境内がきれいに整備されている。白い車でやって来た老夫妻が社殿のまわりを掃除していた。「今日は11日だから。毎月11日にはここに来る」「ここは海岸から500m、前は集落があったが今はもう住めない、氏子たちはここに戻って来たくてももう戻れない」

神社のすぐ隣の家が撤去されずに残っている。屋根瓦が崩れて窓が開いたまま、破れたカーテンが風になびいて…

神社の「八幡」と刻まれた石柱は、あえて震災当時のままに残してあるのだろう。

 

 

 

 

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11月9日(土)棚倉・八槻都々古別神社

2024年11月09日 | 神社仏閣

棚倉町には都々古別神社が二社鎮座している

八槻都々古別神社は、江戸時代頃に「近津三社」(馬場都都古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された三社の“中宮"にあたる

天保11年(1840)建立の狛犬。最近出てきた神社の古文書から、高遠から来た旅石工の留蔵と力蔵が彫ったことが判明。

石垣の上に台石が二段、その上に猫足に支えられた台座と狛犬がのっている

寄り添って立つ2本の杉には、縁結びと長寿の神が宿るとか

八槻都々古別神社は延喜式神名帳に記載され、「奥州一宮」として崇敬されてきた古社

随身門の中の狛犬、怖そうだけど何となく愛嬌のある阿形・吽形の狛犬たち

御祭神は農業の神·味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)

拝殿と本殿は朱塗りの塀で囲まれ、厳粛な雰囲気…

社宝として銅鉢、木面十一面観音立像など数多くの貴重な文化財が遺されているということ

本殿は正徳元年(1711)に焼失した後に享保年間(1716〜36)に再建

三間社流造(さんげんしゃながれづくり)を基調としながら奥行きが通例より長く独創的、彫刻などの細部装飾もとても華やか

福島県内でも江戸時代中期を代表する本殿建築のひとつ

木立の中から聞こえてくる水音をたどると「都々古の森の池」の立て札、なんて素敵なネーミング!

池の水を循環させているんだろう、きれいに澄んでいて清々しい…

境内には大きな木がたくさん、鳥居を入ったとたんに空気が変わる、凛として厳かな雰囲気

縁結びの杉の木の根元に小さな祠、正面に可愛らしく ♡ が彫ってあるのが印象的だった 猪目?

2024.11.9 参拝

 

 

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