私の郷里には水浴び(水泳)や魚釣りをした杉原川が流れていて、上流には千ヶ峰(1,005.2 m)という高い山があると聞いていた。山のベテランに連れられてこの山に初めて登ったのは退職した2001年だった。厳しい山だったが山頂に立った時、やっと懐かしい故郷に帰ってきたような安堵感に満たされた。
帰路に道の駅に寄ったら川向に「杉原紙研究所」と和紙博物館「寿岳文庫」があった。京都の向日市の寿岳氏の記念文庫がどうしてこんな田舎にあるのか知ることになった。大江健三郎氏の小説に「神曲」の「地獄、煉獄、天国」などが引用されていて、英文学者の寿岳文章が翻訳されたダンテの「神曲」を読んだことがあった。戦中の昭和15年、新村出・寿岳文章両博士(いずれも故人)は、杉原紙の原産地調査して「杉原紙発祥の地は、播磨の国・杉原谷である」と研究論文を発表された。多可郡多可町の杉原谷の人々に大きな感動を与えたとのことである。戦後「杉原紙研究所」と「寿岳文庫」がこんな経緯で建てられた。
和紙の原料としてジンチョウゲ科のミツマタ、ガンビはよく知られている、杉原紙や京都黒谷の和紙の原料はクワ科の落葉低木の「コウゾ」という木の皮である。コウゾはカジノキとヒメコウゾの雑種である。クワの木に咲く花やクワとよく似た甘い赤い実をつける。刈り取って蒸したり、水にさらしたり、乾燥させたりした表皮を溶かして紙をすくのだ。