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生きさせる思想 雨宮処凛 小森陽一著を読もう

2009-02-13 08:39:50 | 読書
この本は雨宮処凛さんと小森陽一氏の対談をもとに出版された本である。
私はこの本を読んではっとさせられることがあった。意識的に時代の流れを見ていないと、いつの間にか気がつかなかったり、変な思い込みが優先し、ものを見ているということだった。
 この本(対談)は 1、「90年代から今が見えてくる」2、「暴力と思考停止の世界で」3、「貧困の蔓延と人々が精神を病む国」4、「無条件に生存を肯定する運動」から成り立っている。
 あの学校での暴力、いじめ、管理教育の強化など差別と選別の競争原理の教育の中で落ちこぼれた子供たちの姿を追っている。バブル崩壊、就職氷河期を迎え、受験競争の勝利者とも言える大学卒にもまともな仕事がない時代があった。
 1986年に施行された労働者派遣法は業種の追加、期間の延長などが改定され
ついには製造業にまで拡大した。
 ワーキングプアー、ニートや職をもてない若者や失業者のなかには、日本の競争原理と「自己責任」論の深い土壌の中で、病み、自らの命を絶ったものも多数と分析している。追い詰められた人たちは、自らの状況を、社会の責任とは捕らえることは困難だし、周りも「当事者の自己責任」を言う傾向がある。
 対談は深い洞察をもとに、無条件に生存を肯定する運動に目をむけ、今日の新たな大不況の時代に立ち向かう、弱者の生き方を示しているように思った。
小森氏は「おわりに」の中で「・・・90年代から2000年代にかけての死者たちについて言葉を交わす中で、次第に処凛さんと私は、生き延びている者としての
死者への応答責任を、共に感じていたのだと思える。その責任を果たすためにこそ、題名は「生きさせる思想」で合意したのだ・・・」と結んでいる。

私は先月、蟹工船ブームに関してブログに書いた。その後年越し派遣村について何人かと話した。「派遣村を訪れた人の中には、何人かは自己責任を問われる人もいるのではないか」という声もあった。このように思う人に対し私なりの気持ちを、下記書いてみた。

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年末から年始にかけての日比谷公園での「年越し派遣村」はボランティア1500名、訪れた失業者は500人にのぼったという。
 今後も非正規、正規労働者の大量首切りと中小企業の倒産が加速する。この事態を懸念する声は強い。

 しかし、「正規雇用をさけて派遣やフリーターを希望した若者もいる」「派遣労働者は真っ先に首を切られるのは当たり前だ。なぜ働いたら貯金をしていなかったのか」と言う人もいる。
私の周りは、1990年のバブル崩壊後も何とかリストラから逃れ、厳しい時代を乗り越えて定年退職し人が多い。現在、目減りする年金と少しは働いた収入でなんとかやりくりしている人たちだ。自らの忍耐と責任で生きてきた人にとっては、派遣切りにあった人たちに対して「自己責任」をいうのも、一理はある。
しかしそんなことでよいのだろうか。
 
 バブル経済の時代の1986年に労働者派遣法が制定され、派遣会社が乱立する。その後派遣業務の追加や派遣期間の延長などさまざまな法改正が行われ、1999年には派遣職種原則自由、2004年には物の製造業務にも派遣が認められた。

1990年のバブル崩壊後、リストラの嵐で熟年労働者や管理職まで職を失い、大学は出ても就職できない就職氷河期を迎え、正規雇用でない派遣労働者や安定した仕事を持てない人が拡大した。1998年から今日まで年間自殺者3万人、貧富の格差拡大を生んだ。バブル崩壊後の雇用形態は、働く人たちの自己努力、自己責任などではすまされない変化を与えた。一部の人たちの記憶にある「正規労働者より派遣や期間工の方が、束縛されず、保険など引かれないので、月収は多い」などという時代はもうとっくに終わっている。
安定した仕事もなく、携帯電話でその日の仕事と行く先を指示されるワーキングプアーにとって未来設計が可能とはとうてい言えない時代なのである。
 世界的な不況を前に、非正規労働者、正規労働者の大量の失業が始まっている。このような時代だからこそ、仕事を求め、生きる権利をもとめる人たちが立ち上がり要求を実現していく、まわりがそれを支える、そんな世の中になってほしいものである。