| 妖術師の館 |
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…魔女っ子 クリーミーもみ、 |・)
今日は 洗足法を実践したいと思いますが、
最初に 道教における尸解についてです。」
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…尸解に関しては
どの宗教、どの民族においても 全て共通しています。
すなわち
初段:遺体が腐敗しない、または遺体や遺骨の中から舎利(丹)が発見される
中段:遺体の縮小、または遺体の部分的消失
上段:遺体の完全な消失、または白日昇天」
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…道教においては
遺体の完全消失の段階にまで至った仙が多いですので、
日本では これまで
遺体の完全消失まで至らなければ 尸解には相当しないと見られていましたが
そうではないという事で、
また 道教の中でも 尸解の初段、
つまり 遺体が腐敗せずに そのまま保管されている仙がおられます。」

(孫眞人)
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…こちらは 泰山の孫眞人の遺体ですが、
死後300年近く経過しても 全く腐敗せずに その姿を保ち
崇敬を集めています。
孫眞人の存命中は 泰山で隠修し 無欲な性質であったという事です。」
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…さて 次は密教に関して。
密教と キリスト教の間で 共通している作法が多くあるのは
既に述べた通りですが、
洗足の作法や重視も その共通点の1つです。」
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…キリストは 磔刑前に 弟子の足を洗ったのですが、
そこから 洗足式が伝統的に行われるようになりました。
しかし キリスト教では
なぜ キリストが弟子の足を洗ったのかという
仙道的な意味に関してまでは 踏み込んでいないのですが」
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…密教においては
加持を受けながら 洗足を行う事で
足の裏から 自身の業障や悪縁 濁気などを流して
自己浄化が得られる
優れた作法であるとされています。
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…そして 洗足に使用した水もまた
餓鬼などに施して 更に功徳も集める事ができるという事です。」
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…もし 仏事として行わず、
ただ 足をお湯に浸けるだけであったとしても
血圧や血糖の調整 体力や新陳代謝の向上などの 健康に裨益する効果が得られると
母大陸では 教えられています。
(ネオ・バベッタ)
ζ~( `m´)~ζ 「…用器に 適温のお湯を満たします。
邪気を祓うとされる ヨモギや桃の葉 白檀や沈香などがあれば
それをお湯に加える事で 更に効果と功徳を増すでしょう。
そして誦します。」
「那摩上師(なまじょうし)
那摩仏(なまぶつ)
那摩法(なまほう)
那摩僧(なまそう)
為利遍虚空一切如母有情(いりへんこくういっさいにょもうじょう)
先我成仏而発無上菩提心(せんがじょうぶつにほつむじょうぼだいしん)。」

(普賢如来)
ここで 両足をお湯の中に浸し、
虚空に 明妃を抱いた普賢如来が 蓮華の中央の月輪の中に座しておられる様子を観じ、
心の中で 「オン・アー・ウン。」を1遍誦しながら、
普賢如来と明妃より 白色の甘露が自己に注がれて
頭頂穴より全身を満たして 自己の身業を浄化して
穢れを浄化して 真っ黒になった甘露が
足裏から排出される様子を観じる。
次に
心の中で 「オン・アー・ウン。」を1遍誦しながら、
普賢如来と明妃より 赤色の甘露が自己に注がれて
頭頂穴より全身を満たして 自己の口業を浄化して
穢れを浄化して 真っ黒になった甘露が
足裏から排出される様子を観じる。
次に
心の中で 「オン・アー・ウン。」を1遍誦しながら、
普賢如来と明妃より 藍色の甘露が自己に注がれて
頭頂穴より全身を満たして 自己の意業を浄化して
穢れを浄化して 真っ黒になった甘露が
足裏から排出される様子を観じる。
この身口意の浄化法を繰り返しながら
お湯の温度が下がってきたら お湯を加えるようにして続け
終える時に 回向を誦す。
(回向)
「願消三障諸煩悩(がんしょうさんしょうしょぼんのう)
願得智慧眞明了(がんとくちえしんめいりょう)
普願罪障悉消除(ふがんざいしょうしつしょうじょ)
世世常行菩薩道(せいせいじょうぎょうぼさつどう)
願生西方浄土中(がんしょうさいほうじょうどちゅう)
九品蓮華為父母(きゅうぼんれんげいふぼ)
花開見仏悟無生(かかいけんぶつごむしょう)
不退菩薩為伴侶(ふたいぼさついはんりょ)。」
足をお湯から出して拭いながら
7遍誦す。
「オン・アー・ウン
ナマ・サルヴァ・タタガター・アバロキテ
オン・サンバラ・サンバラ・ウン。」
21遍誦す。
「南無(なむ)
多宝如来(たほうにょらい)
南無(なむ)
妙色身如来(みょうしきしんにょらい)
南無(なむ)
広博身如来(こうはくしんにょらい)
南無(なむ)
離怖畏如来(りふいにょらい)。」
108遍誦す。
「オン・アー・ウン。」
そして 残った湯が 甘露に変じて 餓鬼に施すと観じつつ
流して捨てて 最後に親指と中指で 指を3回弾いて
餓鬼に施したしるしとする。
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζつ|ガラッ
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ 「…おこんばんはぁ♪
あらっ もみじちゃんが 足を洗っているようだけど
何かの儀式なの??」
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζつ 「…アタシが もみじちゃんの全身を洗ってあげるわね♪」 |・)!
|ミ サッ!
一本の木のなかに
まだない一本の木があって
その梢がいま
風にふるえている。
一枚の青空のなかに
まだない一枚の青空があって
その地平をいま
一羽の鳥が突っ切っていく。
一つの肉体のなかに
まだない一つの肉体があって
その宮がいま
新しい血を溜めている。
一つの街のなかに
まだない一つの街があって
その広場がいま
わたしの行く手を揺れている。
一詩集 『見えない地面の上で』
岩波ジュニア新書9 茨木のり子編
|・)…
密教とキリスト教には
共通する作法が幾つも見られる、
ただ密教の方が もっと仙道的な理論の上で
加持力を増すための 充分な工夫が加えられているばい。
気功の中で
「足裏の湧泉から 邪気が排出される様子を観じる」というものと 同じ事を
洗足では 更に強力に行っているという事ばい。