宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「ボン教における 智徳増長の眞言」

2017年07月31日 | Weblog




どちらかを誦す事で 自己の智徳増長が得られる。


・「ア・オン・ウン・ラムザ・ワキ・ディヘン・ナマ・シャヤ・シスィ・ドゥ。」

・「オン・ワキ・ディ・ナマ。」




「コーランの読誦によって功徳を受ける」





コーランの「 筆 (アル・カラム) 」を読誦する事で
アラーより自己の福徳が守られ 貧窮を避ける事ができ
アラーより 恩寵の眼差しによって見つめられ

そして その者は 墓穴の中での泣き叫びを免れるとされる。

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○ 筆
http://www.way-to-allah.com/jp/quran/68.htm


「ヌーン。筆に誓(か)けて また書いたものにおいて誓う。

主の恩恵において あなたは気ちがいではない。

いや 本当にあなたには 尽きない報奨があろう。

本当にあなたは 崇高な徳性を備えている。

やがて あなたは見よう 彼らもまた見るであろう。

あなた方の 誰が気ちがいであるかを。

本当にあなたの主は 道から迷い去った者を 最もよく知っておられ
また導かれている者を 最もよく知り尽される方である。


それで あなたは(真理を)否認する者に 従ってはならない。

彼らの願いは あなたが歩み寄る事で そうなれば 彼らも妥協したいのである。

あなたは 卑劣な誓いを立てる どんな者にも屈従してはならない。


中傷し 悪口を言い歩く者


善事を妨げ 掟に背く罪深い者


乱暴(残虐)な者 そのほか 素性の卑しい者


富と(多くの)子女を持っている為に(そうである これらの者に従ってはならない)。


彼に わが印が読唱されると 「それは昔の物語です。」と言った。


やがて 我は 鼻の上に焼印を押すであろう。


本当に我は (果樹)園の持ち主を試みたように 彼らを試みた。
彼らが 早朝にそれ(果物)を収穫する事を誓った時に

(アッラーの御望みならば)と 条件を付ける事をしなかった。


それで 彼らが眠っている間に あなたの主からの天罰が それを襲った。


それで朝には それは摘み取られたようになった。


早朝 彼らは互いに叫んだ。


「もし収穫するのなら あなた方の畑に急ぎましょう。」


そこで 彼らは低声に 囁(ささや)き合って出かけた。


「今日は一人の貧乏人も あの(果樹園)に入らせてはなりません。」


彼らは強く心に決めて 朝早く出て行った。


だが 彼らがそれを見た時 言った。
「私達は 道を間違えている。
いや 私達は(収穫物を)奪われた。」


彼らの中 すこし穏やかな一人が言った。
「あなた方はどうして(主を)讃えないのかと 私が言ったのに。」


彼らは 「私達の主を讃える。本当に私達は不義でありました。」と言った。


そこで 彼らは 互いに 責め合い始めた。


彼らは言った。「ああ悲しい 私達は 本当に横柄(おうへい)でした。


主は これに代わる 更に良い(果樹園)を与えられるかもしれない。
本当に 私達は (悔悟して)主に嘆願します。」


このようなものが (現世の)懲罰である。
だが 来世の懲罰は 更に大きなものである。もし 彼らに分っていたならば。


本当に アッラーを畏(おそ)れる者に対しては 主の御許に 喜びの楽園があろう。


我は信心深い者たちを 罪人のように扱うとでもいうのか。


あなた方はどうしたのか。あなた方はどう判断するのか。

それとも あなた方には 学ぶに足りる啓典があるのか。

あなた方が選ぶものは 何でもその啓典の中にあるのか。

それとも あなた方は 審判の日まで有効な誓約を 我と結んだのか。
あなた方が 思慮分別する事は 確かに あなた方のものになるのか。

(ムハンマドよ)彼らに問え。「彼らの誰が それを保証するのですか。」


または 彼らは(主に)配するものがあるのか。
彼らが正しいのなら その配するものを 連れて来させなさい。

脛(すね)が あらわにされる日(を思いなさい)。
彼らは サジダするよう求められる。
だが 彼らには 出来ないであろう。

彼らは目を伏せ 屈辱を被(こうむ)るであろう。
サジダするよう 確かに 彼らは呼びかけられていた。
その時 五体満足なのに(拒否した)。

そこで この御言葉(クルアーン)を虚偽であるとする者を 我に任せよ。
我は 彼らが気づかない方面から 一歩一同(堕落に)導き

彼らを猶予するであろう。本当に 我の計略は強く 確かである。

それとも あなたが 彼らに報酬を求め それで 彼らは負担を課せられたのか。

また幽玄界が 彼らの手元にあり それで 彼らは(それを)書き下す事が出来るのか。

だから忍耐して あなたの主の命令を待て。魚の友のようであってはならない。
苦しさのあまり(彼が)叫んだ時(のように)。


主からの恩恵が 彼に達しなかったならば 彼は罪を負わされ 不面目に不毛の地に捨てられたであろう。

このように主は 彼 を選び正義の徒の一人となされた。

不信心者は 警告を聞く時 その(物凄い)目つきで
あなたを ほとんど倒れんばかりにする。
彼らは言う。「本当に彼は 憑かれた者です。」

だが この(クルアーン)こそは 万有のための訓戒に 他ならない。」




「観世音菩薩の加持を受ける」




(オン・マニ・ペメ・ウン)



「仏陀妙法聖僧衆(ぶっだみょうほうせいそうしゅう)
直至菩提恒帰依(ちょくしぼだいこうきえ)
我行施等諸資糧(がぎょうせとうしょしろう)
為利有情願成仏(いりうじょうがんじょうぶつ)。」



「願諸衆生永具安楽及安楽因(がんしょしゅじょうえいぐあんらくきゅうあんらくいん)
願諸衆生永離衆苦及衆苦因(がんしょしゅじょうえいりしゅうくきゅうしゅうくいん)
願諸衆永具無苦之楽(がんしょしゅうえいぐむくしらく)
我心怡悦(がしんいえつ)
願諸衆遠離貪嗔之心(がんしょしゅうおんりどんしんししん)
住平等舎(じゅうびょうどうしゃ)。」




補陀落浄土に白い蓮華があり
その中央に月輪があって
月輪の中心に 観世音菩薩である自己が座していると観じて誦す。


「フリー
南海普陀清浄刹土中(なんかいふだしょうじょうせつどちゅう)
純白蓮華明月座てん上(じゅんぱくれんげみょうがつざてんじょう)
自身観為聖者観世音(じしんかんいせいじゃかんぜおん)。」


「一面四臂双足身皎潔(いちめんしひそうそくしんこうけつ)
第一双手合掌于胸前(だいいちそうしゅがっしょううきょうぜん)
下手分持白蓮水晶珠(かしゅぶんじびゃくれんすいしょうしゅ)
綾羅珍宝装飾跏趺坐(りょうらちんぽうそうしょくかふざ)
頭頂上師無量光庄厳(とうちょうじょうしむりょうこうしょうごん)。」


自己の頭頂・喉元・胸の中央に それぞれ「オン」「アー」「ウン」字があって
光を放っている様子を観じて誦す。




(上からそれぞれ「オン」「アー」「ウン」字)



「眷属仏及菩薩如雲聚(けんぞくぶつきゅうぼさつにょうんじゅ)
三処オン・アー・ウン皆放光芒(さんしょ おん・あー・うんかいほうこうぼう)
迎請智慧尊衆無二入(げいせいちえそんしゅうむににゅう)。」


自己の胸の中央に 白い八弁の蓮華があり
中央には赤い蕊があり、
その蓮華の中央に 「フリー字」があって光を放ち



(フリー字)

「フリー字」の周囲を 「オン・マニ・ペメ・ウン」の眞言が輪になって
時計回りに回転して輝き、
その光が一切を浄化し 諸仏を供養すると観じて誦す。



「心間蓮月てん上之フリー字(しんかんれんげつてんじょうしふりーじ)
彼之周囲以呪鬘旋繞(ひししゅういじじゅばんせんじょう)
発光供聖浄除衆生障(ほつこうくせいじょうじゅしゅじょうしょう)。」



「一切刹土普陀山浄土(いっさいせつどふださんじょうど)
一切顕現大悲観音身(いっさいけんげんだいひかんのんしん)
一切声響六字眞言語(いっさいしょうきょうろくじしんごんご)
一切心念空性大悲意(いっさいしんねんくうしょうだいひい)
無執本来法性中念誦(むしつほんらいほうしょうちゅうねんしょう)。」


「オン・マニ・ペメ・ウン。」(何遍も誦す)




(回向)

「願以此功徳(がんにしくどく)
庄厳仏浄土(しょうごんぶつじょうど)
上報四重恩(じょうほうしちょうおん)
下済三途苦(かさいさんずく)
若有見聞者(じゃくゆうけんもんしゃ)
悉発菩提心(しつほつぼだいしん)
尽此一報身(じんしいっぽうしん)
同生極楽国(どうしょうごくらくこく)。」


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理想的な詩の初歩的な説明 (自選 谷川俊太郎詩集)
2017-07-31 02:44:10
   理想的な詩の初歩的な説明

世間からは詩人と呼ばれているけれども
ふだんぼくは全く詩というものから遠ざかって
いる 飯を食ったり新聞を読んだり人と馬鹿話をしている時に限らない 詩のことを考え
ている時でさえそうなのだ

詩はなんというか夜の稲光りにでもたとえる
しかなくて そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ意識のほころびを通してその向こうに
ひろがる世界を

それは無意識とちがって明るく輝いている
夢ともちがってどんな解釈も受けつけない

言葉で書くしかないものだが詩は言葉その
ものではない それを言葉にしようとするのは
さもしいと思うことがある そんな時ぼくは黙って詩をやり過ごす すると今度はなんだか損したような気がしてくる

詩の稲光に照らされた世界では すべてが
その所を得ているから
ぼくはすっかりくつろいでしまう(おそらく千分の一秒ほどの間)自分がもの言わぬ一輪の
野花にでもなったかのよう・・・・・・・

だがこう書いた時
もちろんぼくは詩とははるかに距たった所に
いる

詩人なんて呼ばれて

 岩波文庫 理想的な詩の初歩的な説明
         自選 谷川俊太郎詩集

ボン教と神格 (もみ@河川蒸気)
2017-07-31 05:31:58
|・)…

ボン教の主神には報身と化身があって、
まずこの 三身を拝する事となっているのだけど

見てみると
ボン教の主神=伊邪那岐命

そして報身と化身が 天照大御神と 素戔嗚尊のようばい。

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