

【羅天大しょう上品妙経】
この経文を誦す事で
諸天の守護を得、
金液錬形、形神倶妙 与道合眞となり、
災いや不祥が滅するとされる。
「爾時(じじ)
玉清聖境清微天宮(ぎょくせいせいきょうせいびてんくう)
金闕上帝元始天尊(きんけつじょうていげんしてんそん)
上清眞境禹余天官(じょうせいしんきょううよてんかん)
玉晨道君霊宝天尊(玉しんどうくんれいほうてんそん)
泰清仙境太赤天宮(たいせいせんきょうたいせきてんくう)
太上老君道天尊(たいじょうろうくんどうとくてんそん)
昊天至尊金闕玉皇上帝(こうてんしそんきんけつぎょっこうじょうてい)
北極紫微大帝(ほっきょくしびたいてい)
南極天皇大帝(なんきょくてんこうたいてい)
十方諸天尊(じっぽうしょてんそん)
東方玉宝皇上天尊(とうほうぎょくほうこうじょうてんそん)
南方玄眞万福天尊(なんぽうげんしんまんぷくてんそん)
西方太妙至極天尊(せいほうたいみょうしきょくてんそん)
北方玄上玉晨天尊(ほっぽうげんじょうぎょくしんてんそん)
東北方度仙上聖天尊(とうほくほうどせんじょうせいてんそん)
東南方好生度命天尊(とうなんほうこうせいどめいてんそん)
西南方太霊虚皇天尊(せいなんほうたいれいきょこうてんそん)
西北方無量太華天尊(せいほくほうむりょうたいかてんそん)
上方玉虚明皇天尊(じょうほうぎょくきょめいこうてんそん)
下方眞皇洞晨天尊(かほうしんこうどうしんてんそん)
道言(どうげん)
十方諸天尊(じっぽうしょてんそん) 八極眞人(はっきょくしんじん)
三官天地(さんかんてんち) 日月星辰(じつげつせいしん)
回観照耀(かいかんしょうよう)
伏願眞形八方(ふくがんしんけいはっぽう) 鎮委天官(ちんいてんかん)
地官(ちかん)水官(すいかん) 倶弗三方(くふつさんぽう)
和同万彙(わどうばんい) 太一眞形(たいいつしんけい)
変成本相(へんせいほんそう) 八十一天(はちじゅういちてん)
三十六地(さんじゅうろくち)
頭駕火叉(とうがかしゃ) 身騎猛獣(しんきもうじゅう)
或跨蒼龍(こくこそうりゅう) 擲火万里(てきかばんり)
五嶽至尊(ごがくしそん) 青龍白虎(せいりゅうびゃっこ)
朱雀玄武(すざくげんぶ) 眞武大将(しんぶたいしょう)
天蓬翊聖(てんほうよくせい) 黒さつ天猷(こくさつてんゆう)
羅叉従後(らしゃじゅうご) 力士隨行(りきしずいこう)
たん搖世界(たんようせかい) 倒嶽傾津(とうがくけいしん)
上至虚無(じょうしきょむ) 下至幽冥(かしゆうめい)
乾坤五嶽(けんこんごがく) 四涜尊神(しとくそんしん)
須弥手弄(すみしゅろう) 頂戴崑崙(ちょうたいこんろん)
地至九府(ちしきゅうふ) 駆使力士(くしりきし)
処分天神(しょぶんてんしん) 六丁神兵(ろくちょうしんぺい)
六甲神兵(ろっこうしんぺい) 天仙神兵(てんせんしんぺい)
地仙神兵(ちせんしんぺい) 水仙神兵(すいせんしんぺい)
三三如九(さんさんにょきゅう) 億万天兵(おくまんてんぺい)
玉皇らい下(ぎょくこうらいか) 奉感威霊(ほうかんいれい)
群魔束手(ぐんまそくしゅ) 戦懼兢兢(せんくきょうきょう)
毒龍万万(どくりゅうまんまん) 豈敢争迎(かいかんそうげい)
携剣斬鬼(けいけんざんき) 日君月君(にっくんげつくん)
南辰北斗(なんしんほくと) 九曜天輪(くようてんりん)
行年星曜(こうねんせいよう) 羅喉星君(らごせいくん)
計都星君(けいとせいくん) 木星君(もくとくせいくん)
水星君(すいとくせいくん) 金星君(きんとくせいくん)
火星君(かとくせいくん) 土星君(どとくせいくん)
紫気星君(しきせいくん) 月孛星君(げつはいせいくん)
太陽星君(たいようせいくん) 太陰星君(たいいんせいくん)
天河内宿(てんがないしゅく) 天河外宿(てんががいしゅく)
二十八宿(にじゅうはっしゅく) 具数分明(ぐすうぶんめい)
天こう執剣(てんこうしつけん) 十二元辰(じゅうにげんしん)
寅生属虎(いんせいぞくこ) 功曹元辰(こうそうげんしん)
卯生属兔(うせいぞくと) 太衝元辰(たいしょうげんしん)
辰生属龍(しんせいぞくりゅう) 天こう元辰(てんこうげんしん)
巳生属蛇(みせいぞくだ) 太乙元辰(たいいつげんしん)
午生属馬(ごせいぞくば) 勝光元辰(しょうこうげんしん)
未生属羊(みせいぞくよう) 小吉元辰(しょうきちげんしん)
申生属猴(しんせいぞくこう) 伝送元辰(でんそうげんしん)
酉生属鶏(ゆうせいぞくけい) 従魁元辰(じゅうかいげんしん)
戌生属犬(じゅつせいぞくけん) 河魁元辰(かかいげんしん)
亥生属豬(いせいぞくい) 登明元辰(とうめいげんしん)
子生属鼠(ねせいぞくそ) 神后元辰(しんこうげんしん)
丑生属牛(ちゅうせいぞくぎゅう) 大吉元辰(だいきちげんしん)
十二相属(じゅうにそうぞく) 注命六神(ちゅうめいろくしん)
土金(どきん) 木水火(もくすいか)
土木金火水(どもくきんかすい) 水土火金木(すいどかきんもく)
木水土火金(もくすいどかきん) 金木水火土(きんもくすいかど)
老君曰(ろうくんいわく)
若有善男子(じゃくゆうぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
持念羅天大しょう眞経者(じねんらてんだいしょうしんきょうしゃ)
瘟災不染(おんさいふせん) 横禍不侵(おうかふしん)
行年星曜(こうねんせいよう) 羅喉計都(らごけいと)
土火悪星(どかあくせい) 尽皆消除(じんかいしょうじょ)
不遭荒検(ふそうこうけん) 不遭羅網(ふそうらもう)
不遭劫殺(ふそうごうさつ) 不遭刀兵(ふそうとうへい)
不遭火難(ふそうかなん) 不遭水難(ふそうすいなん)
不逢毒蟲(ふほうどくちゅう) 不服毒薬(ふふくどくやく)
若有官私幹事(じゃくゆうかんしかんじ) 或誤道幽静(こくごどうゆうせい)
深山孤荘(しんざんこそう) 曠野園林(こくやえんりん)
密闇之処(みつあんししょ) 凶悪寺観(きょうあくじかん)
鬼魅極多(きみごくた) 妖魂不少(ようこんふしょう)
爾時(じじ)
結跏趺坐(けっかふざ) 拳稽首(けいけんけいしゅ)
黙念此経一遍(もくねんしきょういっぺん)
感得諸天聖衆(かんとくしょてんせいしゅう)
擁護其人(ようごきじん) 然後玉符保命(ぜんごぎょくふほめい)
金液錬形(きんえきれんけい) 形神倶妙(けいしんぐみょう)
与道合眞(よどうごうしん 精神不散(せいしんふさん)
万災消滅(ばんさいしょうめつ) 或家有衆魔(こくかゆうしゅうま)
野道虚耗(やどうきょもう) 精邪疾病(せいじゃしっぺい)
水火刀兵(すいかとうへい) 災厄刑獄(さいやくけいごく)
一切不祥之事(いっさいふしょうしじ)
聞其霊文之名(ぶんきれいぶんしめい)
悉皆消滅(しつかいしょうめつ) 信受奉行(しんじゅぶぎょう)。」
【解魔経】
近代に 神仏を降臨させる事によって
神仏より授けられたとされる眞言など。
現在 台湾や大陸の一部で用いられているそうです。
(解易受驚嚇眞言)
その人の元神の耗弱を解くための眞言。
「玄海滄溟(げんかいそうめい) 遥飛守相(ようひしゅそう)
玉庭無晦(ぎょくていぶかい) 固我元神(こがげんしん)。」
(解慢高心眞言)
慢心を解くための眞言。
「オン タテイリ タテイリ マカテン マカテイ チョクシツリツ。」
(助往生眞言)
「摩訶薩(まかさつ) 慈悲摩訶薩(じひまかさつ)
大願慈悲憫憐摩訶薩(だいがんじひびんりんまかさつ)
願彼一切無辜衆生尽受前(がんひいっさいぶこしゅじょうじんじゅぜん)
摩訶願力助往生(まかがんりきじょおうじょう)。」

でも 雨のち曇りそして晴
人生は実に良くできているんだよね。
循環して巡り巡ってそして
今があるんだよね。
ではリクエスト
.星に願いを(訳詞付)/ ビリー・ジョエル
かもしれないけど・・・・・・
比較する意識をなくすことによって
人は安心立命の境地に立てる・・・
ではその境地に立つにはどうすれば
よろしいのか?
岡先生は一つの例題を出されて・・・
例えば季節の中で、春は好きだけど
冬は嫌いだ・・夏は好きだけど秋は嫌いだ
このような表現は、実はよくないのです。
ではどのように表現するのかと言うと・・
四季おりおり春夏秋冬それぞれに、すてき
なんですけれども、その中でも春が好きです
的な認識を・・・大事にしてゆく事で、本来
的な認識力が備わっていくと申されておられ
るんだよね。・・・・・・・・
以下ユーチューからのコピペ 感謝
岡潔出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内、 検索 岡 潔
(おか きよし)
京都にて、1973年。
人物情報
誕生 坂本 潔
1901年4月19日
大阪府大阪市
死没 1978年3月1日(満76歳没)
国籍 日本
学問
研究分野 多変数解析関数論
研究機関 京都帝国大学、ソルボンヌ大学ポアンカレ研究所、広島文理科大学、北海道大学、奈良女子大学、京都産業大学
母校 京都帝国大学
主な業績 多変数解析関数論
影響を与えた者 湯川秀樹、朝永振一郎、広中平祐
主な受賞歴 文化勲章(1960年)
プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学
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岡 潔(おか きよし、1901年(明治34年)4月19日 - 1978年(昭和53年)3月1日)は、日本の数学者。奈良女子大学名誉教授。理学博士(京都帝国大学、1940年(昭和15年))。
目次 [表示]
1 略歴2 受賞歴・叙勲歴3 生涯 3.1 通史3.2 数学者としての挑戦3.3 教育者の側面3.4 人格3.5 随筆4 著作 4.1 単著4.2 共著4.3 論文集4.4 公表論文5 脚注6 参考文献7 関連項目8 外部リンク
略歴 [編集]1907年(明治40年)4月 柱本尋常小学校入学
1913年(大正2年)3月 柱本尋常小学校卒業
1913年(大正2年)4月 紀美尋常高等小学校高等科へ進む
1914年(大正3年)4月 和歌山県立粉河中学校入学
1919年(大正8年)3月 和歌山県立粉河中学校卒業
1919年(大正8年)9月 第三高等学校理科甲類入学
1922年(大正11年)3月 第三高等学校卒業
1922年(大正11年)4月 京都帝国大学理学部入学
1923年(大正12年)3月 二年生進級時に、それまで物理学志望だったのを数学志望に変更
1925年(大正14年)3月 京都帝国大学理学部卒業
1925年(大正14年)4月 京都帝国大学理学部講師
1927年(昭和2年)4月 第三高等学校講師兼任
1929年(昭和4年)4月 京都帝国大学理学部助教授 フランスに留学 ソルボンヌ大学ポアンカレ研究所に通う
1932年(昭和7年)3月 広島文理科大学助教授
1932年(昭和7年)5月 留学終え帰国
1935年(昭和10年)1月 前年の暮れ 多変数解析函数の分野の現状を展望したベンケ、トゥルレン共著の冊子を入手、ここで取りあげられた問題の解決に取り組む
1935年(昭和10年)9月 数学上の最初の発見があり、これを元に論文ⅠからⅤまで次々に成る(論文Ⅰは1936年(昭和11年)5月、広島文理科大学紀要に発表)
1938年(昭和13年)1月 広島文理科大学休職
1940年(昭和15年)6月 広島文理科大学辞職
1941年(昭和16年)10月 北海道帝国大学理学部研究補助嘱託
1942年(昭和17年)11月 北海道帝国大学理学部研究補助辞職
1949年(昭和24年)7月 奈良女子大学理家政学部教授(のち、理学部と家政学部が分離し、理学部教授)
1951年(昭和26年)10月 論文Ⅷを発表
1953年(昭和28年)10月 論文Ⅸを発表
1954年(昭和29年)4月 京都大学理学部非常勤講師を兼ねる
1962年(昭和37年)9月 論文Ⅹを発表
1964年(昭和39年)3月 奈良女子大学定年退職 京都大学非常勤講師退職
1964年(昭和39年)4月 奈良女子大学名誉教授 奈良女子大学非常勤講師
1969年(昭和44年)4月 京都産業大学教授[1]。
受賞歴・叙勲歴 [編集]1951年(昭和26年) 日本学士院賞
1954年(昭和29年) 朝日文化賞(多変数解析函数に関する研究)[2][3]
1960年(昭和35年) 文化勲章
1961年(昭和36年) 橋本市名誉市民
1963年(昭和38年) 毎日出版文化賞
1968年(昭和43年) 奈良市名誉市民
1973年(昭和48年) 勲一等瑞宝章
1978年(昭和53年) 従三位
生涯 [編集] 通史 [編集]岡潔は1901年(明治34年)4月19日に大阪府大阪市で生まれた[4]。父祖の地は和歌山県の山村、和歌山県伊都郡紀見村(後に橋本市)である。1925年(大正14年)、京都帝国大学卒業と同時に同大学講師に就任、1929年(昭和4年)、同大学助教授に昇進。1929年(昭和4年)より3年間、フランスに留学。1932年(昭和7年)、広島文理科大学助教授に就任したが、1938年(昭和13年)、病気で休職、のち辞職。郷里にもどり、孤高の研究生活に身を投じた。1941年(昭和16年)秋から翌年にかけて北海道大学に赴任。札幌市在住の、終生に亘る心腹の友であった中谷宇吉郎と旧交を暖めた。後、再び帰郷し、郷里で終戦を迎えた。1949年(昭和24年)、奈良女子大学教授に就き、1951年(昭和26年)から晩年までは奈良市に住まいした。文化勲章受章の翌年1961年(昭和36年)、橋本市名誉市民。1968年(昭和43年)、奈良市名誉市民。
数学者としての挑戦 [編集]フランス留学時代に、生涯の研究テーマである多変数解析函数論に出会うことになる。当時まだまだ発展途上であった多変数解析函数論において大きな業績を残した。一変数複素関数論は現代数学の雛型であり、そこでは幾何、代数、解析が三位一体となった美しい理論が展開される。現代数学はこれを多次元化する試みであるということもできよう。解析の立場から眺めると一変数複素関数論の自然な一般化は多変数複素関数論であるが、多変数複素関数論には一変数の時にはなかったような本質的な困難がともなう。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡潔である。
具体的には三つの大問題の解決が有名だが、特に当時の重要な未解決問題であったハルトークスの逆問題(レヴィの問題ともいう。および関連する諸問題)に挑み、約二十年の歳月をかけてそれを(内分岐しない有限領域において)解決した。岡はその過程で不定域イデアルという概念を考案したが、アンリ・カルタンを始めとするフランスの数学者達がこのアイデアをもとに層という現代の数学において極めて重要な概念を定義した。また、(解析関数に関する)クザンの第2問題が解けるためには、それを連続関数の問題に置き換えた命題がとければよいとする「岡の原理」も著名である。
その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず、「岡潔」というのはニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていた事もあるという[5]。
教育者の側面 [編集]京都大学時代には湯川秀樹、朝永振一郎らも岡の講義を受けており、物理の授業よりもよほど刺激的だったと後に語っている[6]。
一時期、広島文理科大学時代に精神不安定状態に陥り、学生による講義のボイコットなども経験したが、奈良女子大学時代には、与えられた任務には何事も全身全霊で取り組むという彼の性格から、女子教育に関する論文を書くなど、教育にも心を配った。
広中平祐が33歳でコロンビア大学教授に就任が決まって日本で講演したとき、多様体特異点の解消問題を、制限条件を付ければ解けるだろうと発表した。その時、岡潔が立ち上がり、問題は一般的に制限なしで解かなければ解けないと言った。その後、広中は制限なしで解き、フィールズ賞の成果となる[7]。
京大の講師をしているとき、学生が黒板いっぱいに式を書き、岡は数学ではないと言って、教授会か何かのために飛び出したそうである。その会で、岡は問題を考え続け、みんなが立ち上がった時、そのままだったので、秋月康夫が岡の腕を持って立ち上がらせた。その場で、岡は短い本質をえぐる答えを得たということである。
奈良女子大退官後、京都産業大学の教授となり、「日本民族」を講義した。[要出典]
晩年の主張は超高次元の理想である真善美妙を大切にせよというもので、真には知、善には意、美には情が対応し、それらを妙が統括し智が対応すると述べた。一方で日本民族は人類の中でもとりわけ情の民族であるため、根本は情であるべきとも語った。また日本民族は知が不得手であるため、西洋的なインスピレーションより東洋的な情操・情緒を大切にすることで知を身につけるべきと提唱している。さらに現代日本は自他弁別本能・理性主義・合理主義・物質主義・共産主義などにより汚染されていると警鐘を鳴らし、これらを無明と位置付け、心の彩りを神代調に戻し生命の喜びを感じることで取り除くべきと述べた[8]。
人格 [編集]岡は仏教を信仰しており、特に弁栄に帰依していた。岡自身によれば、岡は「純粋な日本人」であり、日本人として持っている「情緒」に基づいて、その数学的世界を創造した。岡はこのような自身の体験に基づいた随筆をいくつか書いていて、一般にはむしろそちらの方でよく知られている。
三高時代、岡は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていたらしい。この見えざる数学の本体に迫ることと、仏教的叡智や情緒の探求は岡にとって表裏一体であったと考えられる。
作家の藤本義一は、岡をモデルとした戯曲『雨のひまわり』を製作するために密着取材をした事があり、著書『人生の自由時間』『人生に消しゴムはいらない』で彼の日常生活について記している。
藤本によると、岡は起床してすぐ自己の精神状態を分析し、高揚している時は「プラスの日」、減退している時は「マイナスの日」と呼んだという。 プラスの日は知識欲が次々湧いて出て、見聞きするあらゆる出来事や物象を徹底的に考察 - 例えば、柿本人麻呂の和歌を見ると、内容は元より人麻呂の生きた時代背景、人麻呂の人物像にまで自論を展開 - するのだが、マイナスの日は、寝床から起き上がりもせず一日中眠っており、無理に起こそうとすると「非国民」等と怒鳴る有様であった。 岡のこの行動を見た藤本は「恐らく岡は躁鬱病であると考えられるが、プラスの日・マイナスの日は一日おき、もしくは数日おき…といった具合で、躁と鬱の交代期間は比較的短かった」と述べている。
また画家の坂本繁二郎と対話したのちに、日本人の精神統一法について思考を巡らせている。繁二郎が「馬」を描いていた若い頃は知を働かせる際インスピレーションを主とする純西洋型精神統一法を用いていたが、「月」を描くような年頃になってからは情操・情緒を主とする日本的西洋型精神統一法を用いていたという。岡自身も三つの大問題の解決にあたり知がインスピレーション型(花木型)→梓弓型→情操・情緒型(大木型)と移行していき、この日本的西洋型精神統一法と禅型精神統一法を使い分けることで老後の日常生活を乗り切っていたと語っている。
随筆 [編集]前述のように晩年は『春宵十話
むぎのくろはな
ひらけてとじない
そのまま雨にぬれた
暗闇のふる雨
しかたのない雨だから
ないもののように
ただいきるばかり
むぎのくろはなないように
ないもののようおれににて
雨にぬれ
ひばりよ そうではないか
でも冬場は、あまり歓迎できない・・・
前方を歩く若い女性が、傘もささず
雨にうたれて歩いてた・・・・
少し気の毒に思ったけど・・・・
どうぞ・・・一緒になんてわけにもいかない
・・・・・・・・・・それはそれでそれなりに
では本日は雨の歌をリクエスト
橋幸夫さんで 雨のなかの二人
ジンケリー 雨に歌えば
ジリオラティンクィテー 雨
三好英治 雨
ホセフェルシァーノ 雨
八代あき 雨の慕情
やはりビートルズでRain
ショパンさんで 何か選曲あればタノミン
|・)…
世界も今、
「一番暗い夜明け前」かも|・)?
「魄を削っていく」プロセスに関して、
「現出する魄を性エネルギーの火で
焼き切ってしまう」方法を使う流派もあって、
実験してみたら 確かに書かれていた通りに
なったばい。
このような方法は、
性エネルギーを充分に還元していなければ
出来ない方法で、
毎日性エネルギーを放出してばっかりの
生活をしてる人は、
もしかしたら 魄を削っていくのは
少し難しくなるかも|・)?
|・)…
「マイナスの日」に起こそうとしたら
「非国民」呼ばわりして怒る事、
岡先生じゃなかったら
到底認められなかっただろうね|・)…
岡先生は
数学から到達されたのかも|・)?
写真を見ても
異彩を放つ天才肌のタイプだとわかるばい。
世界の数学界の巨星だったんだね。
|・)…
12月中旬の降雨、
こちらではちょっと珍しいけど、
今 こちらも雨が降っているんだい|・)
|・)…
もし 雨にそぼ濡れて歩いていたのが
おっさんだったら
また 逆に声をかけ難いかも|・)…?
でも
をじさん 御優しい心をお持ち|・#)