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宮地神仙道
「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)
「太上感応篇の解説」
2014年08月27日
|
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画像は「太上感応篇」には
「多きを推し 少なきを取る功となる」という一節があります。
画像は そのイメージ画で、
清の時代のお金であった 元宝を
多い方と 少ない方のどちらを選ぶかというシチュエーションとなっていますが、
「多きを推し 少なきを取る」というのは、
お金であれ 財物であれ
多い方と 少ない方の どちらかを選ぶという状況の中で
少ない方を取って 多い方を他人に譲る事が功となる事を教えられています。
コメント (6)
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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
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ほめ合い
(
人生のことば 365日
)
2014-08-27 00:22:41
ほめ合い
欠点ばかりさがすことをやめて
長所を見逃さぬ努力をしよう
親は子をほめ
子は親をほめ
夫は妻をほめ
妻は夫をほめ
上司は部下をほめ
部下は上司をほめ
互いにほめ合うところにまことの平和がくる
叱ることも大事だが
ほめることはさらに大事だ
ほめることを忘れて
けなしたり叱ってばかりいると
どんな人でもくさってしまうだろう
ほめ合うところに進歩と向上がある
財団法人 修養団 遠藤俊夫より
返信する
実は誰も知らない
(
お天道さま
)
2014-08-27 02:08:58
地球が毎日回ってること
われわれある意味天道説
だって音も聞こえないし
創造の範囲を超えている
ましてやあの世ともなれば尚更
でも地動説があるんだから
そこから類推して必然的に
あの世はあるわよねぇぇぇえーーー
以下 ウイッキ こぴぺ 感謝
地動説
地動説(ちどうせつ)とは、地球が動いている、という学説のこと。天動説に対義する学説であり、ニコラウス・コペルニクスが唱えた。太陽中心説ともいうが、地球が動いているかどうかと太陽が宇宙の中心にあるかどうかは厳密には異なる概念であり、地動説は「Heliocentrism」の訳語として不適切だとの指摘もある。
古代の地動説[編集]
地動説(下部の図)、天動説(上部の図)の二つの模型の比較。
古くアリストテレスの時代からコペルニクスの登場する16世紀まで、地球は宇宙の中心にあり、まわりの天体が動いているという天動説が信じられてきた。
しかし、コペルニクス以前にも、地球が動いていると考えた者はいた。有名なところではピロラオスで、彼は宇宙の中心に中心火があり、地球や太陽を含めてすべての天体がその周りを公転すると考えた。また、プラトンも善のイデアである太陽が宇宙の中心にあると考えていた。加えてレオナルド・ダ・ヴィンチもまた地動説に関する内容をレスター手稿に記している。
特に傑出していたのは、イオニア時代の最後のアリスタルコスである。彼は、地球は自転しており、太陽が中心にあり、5つの惑星がその周りを公転するという説を唱えた。彼の説が優れているのは、太陽を中心として、惑星の配置をはっきりと完全に示したことである。これは単なる「太陽中心説」という思いつきを越えたものである。ほとんど「科学」と呼ぶ水準に達している。紀元前280年にこの説が唱えられて以来、コペルニクスが登場するまで、1800年もの間、人類はアリスタルコスの水準に達することはなかった[1]。
広い意味ではこれらも地動説(太陽中心説)に入る。
天動説の優勢[編集]
2世紀にはクラウディオス・プトレマイオスが天動説を体系化し、以後コペルニクスが登場する16世紀までこれが支持された。プトレマイオスの体系ならば、多少の誤差はあっても惑星の動きを計算することができたし、地球は止まっているのだから、鳥が取り残されることも考えずに済んだ。こうして日常的な生活に関する限り、天動説があれば特に不自由はなくなった。
とはいえ、おかしなところは存在した。例えば
5つの惑星のすべての軌道計算に、必ず「1年」という単位が出てくる[2]
惑星の順序が何故その順であるかという根拠の提示が不明瞭
地球から見た時、火星の奇妙な動きを説明しづらい
惑星の位置予報にも誤差がある
などが挙げられる。しかし、これらの現象を説明し、精密な惑星の位置予報を出来る新説はなかなか現れなかった。
また、ヨーロッパでは古代ギリシア時代以降科学は停滞し、西ローマ帝国滅亡後は暗黒時代を迎えることになる。後述するようにヨーロッパにおいて科学が再び隆盛するのはルネッサンス以降である。
こうした理由で、科学的な難点を含みながらも、16世紀に至るまでずっと、天動説は支持された。
大航海時代[編集]
天動説の体系は長らく信じられてきたが、やがてそのさまざまなほころびが明確化してきた。
大航海時代以前、航海は沿岸航海であり陸地が見える場所しか船を運航しなかった。何も目印のない大海原では行き先が分からず、航行できなかった。羅針盤の登場がこれを可能にし、方位磁石と正確な星図があれば遠洋でも自分の緯度が正確に把握できるようになったのである。しかし当時の星表には問題がかなりあった[3]。特に惑星の位置は数度単位での誤差が常にあった。
さらにもう1つ問題が生じつつあった。1年の長さが、当時使用されていたユリウス暦の1年よりわずかに短かったのである。この結果、暦の上の季節と実際の季節に約10日のずれが生じていた。キリスト教では春分の日が移動祝祭日の計算基準日になっており、10日もずれているのは問題があった。この問題はロジャー・ベーコンによって提起されていたが、1年の正確な長さが分からず約300年間放置されていた。
当時使われていた(そして、メソポタミア時代から現代に至るまでも根本的には変わらない)1年(回帰年)の定義は、分点または至点から次の同じ分点または至点までの時間である。しかし、16世紀当時に信じられていたプトレマイオスの体系では、1年という値は他の天文学的な値からは孤立した独立の量で[4]、太陽の位置を数十年から数百年以上かけて測定する以外に、1年の値を決定する方法がなかった。クーンによれば、この観測には大変な困難が伴い、改暦問題は16世紀以前の天文学者たちを常に悩ませることになった。
コペルニクスの登場[編集]
ニコラウス・コペルニクス。16世紀に地動説を唱え、星の軌道計算を行った。
カトリック教会の司祭であったコペルニクスは、この誤差に着目した。彼は地動説を新プラトン主義の太陽信仰として捉えていたと言われ、そのような宗教的理由から、彼にとって正確でない1年の長さが使われ続けることは重大な問題だった。コペルニクスはアリスタルコスの研究を知っており、太陽を中心に置き、地球がその周りを1年かけて公転するものとして、1恒星年を365.25671日、1回帰年を365.2425日と算出した。1年の値が2種類あるのは、1年の基準を太陽の位置にとるか、他の恒星の位置にとるかの違いによる。
コペルニクスは1543年の没する直前、思索をまとめた著書『天体の回転について』を刊行した。そこでは地動説の測定方法や計算方法をすべて記した。こうして誰でも同じ方法で1年の長さや、各惑星の公転半径を測定しなおせるようにした。コペルニクスが地動説の創始者とされるのは、このように検証を行なったためである[5]。
またこの業績について、ガリレオ・ガリレイから「太陽中心説を復活させた」と評された[1]。
コペルニクス以降の学説[編集]
その後、ローマ教皇グレゴリウス13世によって1582年にグレゴリオ暦が作成されるが、改暦の理論にはコペルニクスの地動説は利用されなかった(ただしプトレマイオスの天動説も使われてはいない)。
しかし、コペルニクスが著書で初めてラテン語で紹介したアラビア天文学の月の運行の理論や算出した1年の値は、改暦の際に参考にされた(コペルニクスの月の運行理論は、アラビアとは独立に再発見したという説もある)。
コペルニクスの地動説[編集]
理論[編集]
コペルニクスの地動説は、単に天動説の中心を地球から太陽に位置的な変換をしただけのものではない。地動説では、1つの惑星の軌道が他の惑星の軌道を固定している。また、全惑星(地球を含む)の公転半径と公転周期の値が互いに関連しあっている。各惑星の公転半径は、地球の公転半径との比で決定される(実際の距離は、この時代にはまだ分からない)。同様に、地球と各惑星の距離も算出できる。これが、プトレマイオスの天動説との大きな違いである。プトレマイオスの天動説では、どんな形でも、惑星間の距離を測定することはできなかった。また、地動説では各惑星の公転半径、公転周期は、全惑星の値がそれぞれの値と関連しているため、どこかの値が少しでも変わると、全体の体系がすべて崩れてしまう[6]。これも、プトレマイオスの天動説にはない大きな特徴である。この、一部分でもわずかな変更を認めない体系ができあがったことが、コペルニクスにこの説が真実だと確信させた理由だと考える研究者も多い。
コペルニクスの地動説では、惑星は、太陽を中心とする円軌道上を公転する。惑星は太陽から近い順に水星、金星、地球、火星、木星、土星の順である(この時代、天王星や海王星、小惑星はまだ発見されていない)。公転周期の短い惑星は太陽から近くなっている。ただし、実際には、単純な円軌道だけでは各惑星の細かい動きの説明がつかず、コペルニクスの著書では、プトレマイオス説でも使われていた離心円が運動の説明に使われた。実際には惑星の軌道が真円ではなく楕円であるため、単純な円では運動の説明がつかなかったためだが、コペルニクスは惑星の運動がいくつかの円運動の合成で説明できると信じていたため、楕円軌道に気付くことはなかった(実際にはコペルニクスの使った値の精度は悪く、どちらにしても楕円軌道を発見することは困難だった)。
コペルニクス後の地動説[編集]
コペルニクスの後、地動説に同意する天文学者はなかなか現れなかった。しかし、当時の学者がより古いものを正しいものと考え、新しいものを排除しようとした、というのは若干史実とは異なる。支持者が多く現れなかったのには明確な理由があった。コペルニクスの著書は、どちらかというと理論書に近く、1年の長さは算出することはできても、5つの惑星の動きを完全に計算する方法は記されていなかったからである。計算に必要な値も、著書のあちこちに散らばって記されており、その著書だけで惑星の位置予報を行うのは困難であった。当時の多くの天文学者が欲していたのは、理論書ではなく、表にある数値をあてはめて計算すれば惑星や月齢が計算できるより簡便な星表であった。
その後、1551年に、エラスムス・ラインホルトが、コペルニクス説を取り入れた『プロイセン星表』を作成した。しかし、プトレマイオスの天動説よりも周転円の数が多いために計算が煩雑であり、誤差はプトレマイオス説と大して変わらなかった(実際には、わずかだがプロイセン星表のほうが誤差が小さい)。惑星の位置計算にはそれ以降も天動説に基づいて作られたアルフォンソ星表が並行して使われ続けた。ただし、オーウェン・ギンガリッチは、アルフォンソ星表はこの時代にプロイセン星表に取って代わられたと主張している。
それまで、惑星の位置予報はプトレマイオス説を使用しなければ行えなかった。似た他の方法が考案されたこともあったが、プトレマイオス説をしのぐ精度で予報ができるものは存在しなかった。しかし、コペルニクス説を使用しても、同等以上の精度で惑星の位置予報が行えることが分かったこの時代に、唯一絶対であったプトレマイオス説の絶対性は大きく揺らいだ。
ティコ・ブラーエは、恒星の年周視差が当時の望遠鏡では観測できなかったことから、地球は止まっているものとしたが、太陽は5つの惑星を従えて地球の周りを公転するという折衷案を唱えた。最初に地動説に賛同した職業天文学者は、コペルニクスの直接の弟子レティクスを除けばヨハネス・ケプラーだった。ケプラーはブラーエの共同研究者であり(助手という記述もあるが、ケプラー自身は共同研究者として迎えられた、と主張しており、また、ブラーエ自身がケプラーに送って残っている書簡にも、助手として迎えるという文言はない)、ブラーエの膨大な観測記録から1597年、「宇宙の神秘」を公刊。コペルニクス説に完全に賛同すると主張してコペルニクスを擁護した。これらに追随する形で、ガリレオ・ガリレイもまた地動説を唱えた。
古代中国の「地動説」[編集]
古代中国においても、独特な「地動説」が存在した。『列子』の「杞憂」の故事の原文には「われらがいる天地も、無限の宇宙空間のなかで見れば、ちっぽけな物にすぎない」(夫天地、空中一細物)とあり、当時すでに、宇宙的スケールの中では「天地」でさえ微小な存在だという認識があったことがわかる(ただし、古代中国人は「天地」が実は「地球」であることを知らなかった)。漢代に流行した「緯書」でも、素朴な地動説が散見される。
返信する
ブラック企業の温床は学校と思われるばい
(
もみ@前橋が見えてきたら
)
2014-08-27 07:50:23
|・)…
ブラック企業をなくしたければ、
今の学校教育システムを
根本的に変える以外に方法はなさそうばい|・)
教師や校長と
対等に議論したり コミュニケーションする事が
許されず、
教師は 生徒を叱るか怒る事で
コミュニケーションを取っていると
勘違いしている事も多い、
理不尽な事があっても 子供はあまり守られず
「連帯責任」のような曖昧な形にして終わり、
そして特に 授業と部活ばっかりだった人は
学校以外の社会を殆ど知らずに大人になる、
そういう人が 仕事に就いたら
学校みたいな組織以外 作る事ができなくなる、
そうなれば ブラック企業だらけになるのは
自明の理だね|・)…
返信する
ビートルズの音楽
(
もみ@焦ってるパンダ
)
2014-08-27 07:58:47
|・)(ねぇぇぇえーーー…)
音楽のヘルツと
人間の身心への影響というテーマは
昔から 神秘学の中で関心を寄せられていて、
このような興味深い記事があったばい。
++++++++++++++
ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日の少し前に「宇宙の周波数」と言われる 432Hz を示すクロップサークルが発見されていた
終わりまで「存在」のゲームをしなさい
はじめから
はじめから
http://oka-jp.seesaa.net/article/404379284.html
+++++++++++++++++
返信する
ソルフェジオ周波数 528Hz コード
(
エナジー
)
2014-08-27 09:04:10
何故かわからないけれど、子供の頃
ジョンの声の響きに魅せられてたよね。
人の声帯から出ることばは音楽。
ダカラ水木御大のミ言葉は鋭いね。
わたしは人と会話する折には
相手の言葉を音楽として聴いているのです。
要するに認識を置き換えることが出来る
って事なんだろうね。自在に音を置き換える
ことが出来れば、犬や猫 蜂や草木とも
言葉を交わすことは可能なのかもしれない
る。
返信する
ヘルツと振動
(
もみ@裏拳
)
2014-08-27 15:24:18
|・)…
マントラも一種の振動で、
そう考えると
特定のヘルツの音や音楽に
身心や霊的面に対する
特有の刺激や効果があるとしても
おかしくないのかも|・)…
また ある種の人の声は、
魔物や不浄霊の力を奪ってしまう
独特の振動があるとか
美輪明宏の声には ゆらぎが見出せるなど、
人の声の振動にも 振動の神秘が見出されるみたい。
返信する
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欠点ばかりさがすことをやめて
長所を見逃さぬ努力をしよう
親は子をほめ
子は親をほめ
夫は妻をほめ
妻は夫をほめ
上司は部下をほめ
部下は上司をほめ
互いにほめ合うところにまことの平和がくる
叱ることも大事だが
ほめることはさらに大事だ
ほめることを忘れて
けなしたり叱ってばかりいると
どんな人でもくさってしまうだろう
ほめ合うところに進歩と向上がある
財団法人 修養団 遠藤俊夫より
われわれある意味天道説
だって音も聞こえないし
創造の範囲を超えている
ましてやあの世ともなれば尚更
でも地動説があるんだから
そこから類推して必然的に
あの世はあるわよねぇぇぇえーーー
以下 ウイッキ こぴぺ 感謝
地動説
地動説(ちどうせつ)とは、地球が動いている、という学説のこと。天動説に対義する学説であり、ニコラウス・コペルニクスが唱えた。太陽中心説ともいうが、地球が動いているかどうかと太陽が宇宙の中心にあるかどうかは厳密には異なる概念であり、地動説は「Heliocentrism」の訳語として不適切だとの指摘もある。
古代の地動説[編集]
地動説(下部の図)、天動説(上部の図)の二つの模型の比較。
古くアリストテレスの時代からコペルニクスの登場する16世紀まで、地球は宇宙の中心にあり、まわりの天体が動いているという天動説が信じられてきた。
しかし、コペルニクス以前にも、地球が動いていると考えた者はいた。有名なところではピロラオスで、彼は宇宙の中心に中心火があり、地球や太陽を含めてすべての天体がその周りを公転すると考えた。また、プラトンも善のイデアである太陽が宇宙の中心にあると考えていた。加えてレオナルド・ダ・ヴィンチもまた地動説に関する内容をレスター手稿に記している。
特に傑出していたのは、イオニア時代の最後のアリスタルコスである。彼は、地球は自転しており、太陽が中心にあり、5つの惑星がその周りを公転するという説を唱えた。彼の説が優れているのは、太陽を中心として、惑星の配置をはっきりと完全に示したことである。これは単なる「太陽中心説」という思いつきを越えたものである。ほとんど「科学」と呼ぶ水準に達している。紀元前280年にこの説が唱えられて以来、コペルニクスが登場するまで、1800年もの間、人類はアリスタルコスの水準に達することはなかった[1]。
広い意味ではこれらも地動説(太陽中心説)に入る。
天動説の優勢[編集]
2世紀にはクラウディオス・プトレマイオスが天動説を体系化し、以後コペルニクスが登場する16世紀までこれが支持された。プトレマイオスの体系ならば、多少の誤差はあっても惑星の動きを計算することができたし、地球は止まっているのだから、鳥が取り残されることも考えずに済んだ。こうして日常的な生活に関する限り、天動説があれば特に不自由はなくなった。
とはいえ、おかしなところは存在した。例えば
5つの惑星のすべての軌道計算に、必ず「1年」という単位が出てくる[2]
惑星の順序が何故その順であるかという根拠の提示が不明瞭
地球から見た時、火星の奇妙な動きを説明しづらい
惑星の位置予報にも誤差がある
などが挙げられる。しかし、これらの現象を説明し、精密な惑星の位置予報を出来る新説はなかなか現れなかった。
また、ヨーロッパでは古代ギリシア時代以降科学は停滞し、西ローマ帝国滅亡後は暗黒時代を迎えることになる。後述するようにヨーロッパにおいて科学が再び隆盛するのはルネッサンス以降である。
こうした理由で、科学的な難点を含みながらも、16世紀に至るまでずっと、天動説は支持された。
大航海時代[編集]
天動説の体系は長らく信じられてきたが、やがてそのさまざまなほころびが明確化してきた。
大航海時代以前、航海は沿岸航海であり陸地が見える場所しか船を運航しなかった。何も目印のない大海原では行き先が分からず、航行できなかった。羅針盤の登場がこれを可能にし、方位磁石と正確な星図があれば遠洋でも自分の緯度が正確に把握できるようになったのである。しかし当時の星表には問題がかなりあった[3]。特に惑星の位置は数度単位での誤差が常にあった。
さらにもう1つ問題が生じつつあった。1年の長さが、当時使用されていたユリウス暦の1年よりわずかに短かったのである。この結果、暦の上の季節と実際の季節に約10日のずれが生じていた。キリスト教では春分の日が移動祝祭日の計算基準日になっており、10日もずれているのは問題があった。この問題はロジャー・ベーコンによって提起されていたが、1年の正確な長さが分からず約300年間放置されていた。
当時使われていた(そして、メソポタミア時代から現代に至るまでも根本的には変わらない)1年(回帰年)の定義は、分点または至点から次の同じ分点または至点までの時間である。しかし、16世紀当時に信じられていたプトレマイオスの体系では、1年という値は他の天文学的な値からは孤立した独立の量で[4]、太陽の位置を数十年から数百年以上かけて測定する以外に、1年の値を決定する方法がなかった。クーンによれば、この観測には大変な困難が伴い、改暦問題は16世紀以前の天文学者たちを常に悩ませることになった。
コペルニクスの登場[編集]
ニコラウス・コペルニクス。16世紀に地動説を唱え、星の軌道計算を行った。
カトリック教会の司祭であったコペルニクスは、この誤差に着目した。彼は地動説を新プラトン主義の太陽信仰として捉えていたと言われ、そのような宗教的理由から、彼にとって正確でない1年の長さが使われ続けることは重大な問題だった。コペルニクスはアリスタルコスの研究を知っており、太陽を中心に置き、地球がその周りを1年かけて公転するものとして、1恒星年を365.25671日、1回帰年を365.2425日と算出した。1年の値が2種類あるのは、1年の基準を太陽の位置にとるか、他の恒星の位置にとるかの違いによる。
コペルニクスは1543年の没する直前、思索をまとめた著書『天体の回転について』を刊行した。そこでは地動説の測定方法や計算方法をすべて記した。こうして誰でも同じ方法で1年の長さや、各惑星の公転半径を測定しなおせるようにした。コペルニクスが地動説の創始者とされるのは、このように検証を行なったためである[5]。
またこの業績について、ガリレオ・ガリレイから「太陽中心説を復活させた」と評された[1]。
コペルニクス以降の学説[編集]
その後、ローマ教皇グレゴリウス13世によって1582年にグレゴリオ暦が作成されるが、改暦の理論にはコペルニクスの地動説は利用されなかった(ただしプトレマイオスの天動説も使われてはいない)。
しかし、コペルニクスが著書で初めてラテン語で紹介したアラビア天文学の月の運行の理論や算出した1年の値は、改暦の際に参考にされた(コペルニクスの月の運行理論は、アラビアとは独立に再発見したという説もある)。
コペルニクスの地動説[編集]
理論[編集]
コペルニクスの地動説は、単に天動説の中心を地球から太陽に位置的な変換をしただけのものではない。地動説では、1つの惑星の軌道が他の惑星の軌道を固定している。また、全惑星(地球を含む)の公転半径と公転周期の値が互いに関連しあっている。各惑星の公転半径は、地球の公転半径との比で決定される(実際の距離は、この時代にはまだ分からない)。同様に、地球と各惑星の距離も算出できる。これが、プトレマイオスの天動説との大きな違いである。プトレマイオスの天動説では、どんな形でも、惑星間の距離を測定することはできなかった。また、地動説では各惑星の公転半径、公転周期は、全惑星の値がそれぞれの値と関連しているため、どこかの値が少しでも変わると、全体の体系がすべて崩れてしまう[6]。これも、プトレマイオスの天動説にはない大きな特徴である。この、一部分でもわずかな変更を認めない体系ができあがったことが、コペルニクスにこの説が真実だと確信させた理由だと考える研究者も多い。
コペルニクスの地動説では、惑星は、太陽を中心とする円軌道上を公転する。惑星は太陽から近い順に水星、金星、地球、火星、木星、土星の順である(この時代、天王星や海王星、小惑星はまだ発見されていない)。公転周期の短い惑星は太陽から近くなっている。ただし、実際には、単純な円軌道だけでは各惑星の細かい動きの説明がつかず、コペルニクスの著書では、プトレマイオス説でも使われていた離心円が運動の説明に使われた。実際には惑星の軌道が真円ではなく楕円であるため、単純な円では運動の説明がつかなかったためだが、コペルニクスは惑星の運動がいくつかの円運動の合成で説明できると信じていたため、楕円軌道に気付くことはなかった(実際にはコペルニクスの使った値の精度は悪く、どちらにしても楕円軌道を発見することは困難だった)。
コペルニクス後の地動説[編集]
コペルニクスの後、地動説に同意する天文学者はなかなか現れなかった。しかし、当時の学者がより古いものを正しいものと考え、新しいものを排除しようとした、というのは若干史実とは異なる。支持者が多く現れなかったのには明確な理由があった。コペルニクスの著書は、どちらかというと理論書に近く、1年の長さは算出することはできても、5つの惑星の動きを完全に計算する方法は記されていなかったからである。計算に必要な値も、著書のあちこちに散らばって記されており、その著書だけで惑星の位置予報を行うのは困難であった。当時の多くの天文学者が欲していたのは、理論書ではなく、表にある数値をあてはめて計算すれば惑星や月齢が計算できるより簡便な星表であった。
その後、1551年に、エラスムス・ラインホルトが、コペルニクス説を取り入れた『プロイセン星表』を作成した。しかし、プトレマイオスの天動説よりも周転円の数が多いために計算が煩雑であり、誤差はプトレマイオス説と大して変わらなかった(実際には、わずかだがプロイセン星表のほうが誤差が小さい)。惑星の位置計算にはそれ以降も天動説に基づいて作られたアルフォンソ星表が並行して使われ続けた。ただし、オーウェン・ギンガリッチは、アルフォンソ星表はこの時代にプロイセン星表に取って代わられたと主張している。
それまで、惑星の位置予報はプトレマイオス説を使用しなければ行えなかった。似た他の方法が考案されたこともあったが、プトレマイオス説をしのぐ精度で予報ができるものは存在しなかった。しかし、コペルニクス説を使用しても、同等以上の精度で惑星の位置予報が行えることが分かったこの時代に、唯一絶対であったプトレマイオス説の絶対性は大きく揺らいだ。
ティコ・ブラーエは、恒星の年周視差が当時の望遠鏡では観測できなかったことから、地球は止まっているものとしたが、太陽は5つの惑星を従えて地球の周りを公転するという折衷案を唱えた。最初に地動説に賛同した職業天文学者は、コペルニクスの直接の弟子レティクスを除けばヨハネス・ケプラーだった。ケプラーはブラーエの共同研究者であり(助手という記述もあるが、ケプラー自身は共同研究者として迎えられた、と主張しており、また、ブラーエ自身がケプラーに送って残っている書簡にも、助手として迎えるという文言はない)、ブラーエの膨大な観測記録から1597年、「宇宙の神秘」を公刊。コペルニクス説に完全に賛同すると主張してコペルニクスを擁護した。これらに追随する形で、ガリレオ・ガリレイもまた地動説を唱えた。
古代中国の「地動説」[編集]
古代中国においても、独特な「地動説」が存在した。『列子』の「杞憂」の故事の原文には「われらがいる天地も、無限の宇宙空間のなかで見れば、ちっぽけな物にすぎない」(夫天地、空中一細物)とあり、当時すでに、宇宙的スケールの中では「天地」でさえ微小な存在だという認識があったことがわかる(ただし、古代中国人は「天地」が実は「地球」であることを知らなかった)。漢代に流行した「緯書」でも、素朴な地動説が散見される。
|・)…
ブラック企業をなくしたければ、
今の学校教育システムを
根本的に変える以外に方法はなさそうばい|・)
教師や校長と
対等に議論したり コミュニケーションする事が
許されず、
教師は 生徒を叱るか怒る事で
コミュニケーションを取っていると
勘違いしている事も多い、
理不尽な事があっても 子供はあまり守られず
「連帯責任」のような曖昧な形にして終わり、
そして特に 授業と部活ばっかりだった人は
学校以外の社会を殆ど知らずに大人になる、
そういう人が 仕事に就いたら
学校みたいな組織以外 作る事ができなくなる、
そうなれば ブラック企業だらけになるのは
自明の理だね|・)…
|・)(ねぇぇぇえーーー…)
音楽のヘルツと
人間の身心への影響というテーマは
昔から 神秘学の中で関心を寄せられていて、
このような興味深い記事があったばい。
++++++++++++++
ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日の少し前に「宇宙の周波数」と言われる 432Hz を示すクロップサークルが発見されていた
終わりまで「存在」のゲームをしなさい
はじめから
はじめから
http://oka-jp.seesaa.net/article/404379284.html
+++++++++++++++++
ジョンの声の響きに魅せられてたよね。
人の声帯から出ることばは音楽。
ダカラ水木御大のミ言葉は鋭いね。
わたしは人と会話する折には
相手の言葉を音楽として聴いているのです。
要するに認識を置き換えることが出来る
って事なんだろうね。自在に音を置き換える
ことが出来れば、犬や猫 蜂や草木とも
言葉を交わすことは可能なのかもしれない
る。
|・)…
マントラも一種の振動で、
そう考えると
特定のヘルツの音や音楽に
身心や霊的面に対する
特有の刺激や効果があるとしても
おかしくないのかも|・)…
また ある種の人の声は、
魔物や不浄霊の力を奪ってしまう
独特の振動があるとか
美輪明宏の声には ゆらぎが見出せるなど、
人の声の振動にも 振動の神秘が見出されるみたい。