
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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オレ、1~2歳位の時に大人の感覚があった。
まともに口も利けないのに、紫のフェルトを巻いた文鎮を咥え、
「なんだこのぼた餅、味がしねえ」と思った記憶がある。
その時の写真が今でも残っている。
20歳くらいの時はその時のことを全部憶えていて驚かれたよ。
オレはそのぼた餅がキーワードらしく、
映像を見たりするとフラッシュバックすることがある。
脳裏に町人、魚屋とか八百屋とかの行商人の姿が浮かんでくるんだ。
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ニコ動でやってみた。
”ドアを開けてください”って言われて開けるイメージしたら、蜜蜂が10匹くらい見えて
”見えてきます”では白黒チカチカしてまぶしくて見えなくて
やっと見えたのが、
ロナウジーニョ見たいな顔したチリチリモコモコ髪の肌の黒い若い男
20代くらいだけど村長みたいな感じで頼られてるっぽい、
”死ぬ場面”では↑と変わらない姿で
嵐がきそうな黒い雲に覆われた空と
沖から強く吹きつける風の中、海に突き出た岩の上で沖を見つめてる姿
”天使のような・・・”では
猫のような姿で「忙」というイメージが浮かんだ
あれが前世なのか、ただの夢なのか・・・
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ニコ動でやってみました
初めに見えたのが
白いワンピースの女の子、その子に導かれるみたいに始まった
森の中に居る、走ったり急いたりしてる
自分は何歳か分からないけどおっさんで、痩身、黒髪、既に禿げてて後ろ髪ちょっと伸ばしてて髭生やしてる
腕が毛むくじゃらで、顔が見えて全然違うんだけど、あ、これ自分!と思った
格好はよくあるチェックのTシャツにズボン(ジーンズ?)
恐らくアメリカ?1960年という数字が浮かんだ
家を持ってて近隣に優しそうな医者の老夫婦が住んでる(白人)
一瞬この人か分からないけど、幼少時代のようなものも見えた
この森で犯罪か自殺したかどっちかだと思う
ピストルとか首吊りの縄とか浮かんだ
孤独で思いつめてるっぽい
とにかくこの森に居るのが嫌で恐くて、これ以上見たくなくて、なんか幸せなのないの!?って更に遡ったっぽくて
武家屋敷みたいな所で自分は侍、袴はいて丁髷結ってる
屋敷は綺麗で、廊下歩いて中庭とか見えた
襖を開けたら子供をあやしてる女の人(町娘みたいな格好)が居て、子供は自分の子
のんびりしてて自分暇そうにしていた
あやしていた女の人か、子供が自分の彼氏っぽい・・・ような気がした
と、いうことろで終了
見てる間恐怖が強かった(特に前半)
「いやはや、これまで哲学も、
法律学も、医学も、
無駄とは知りつつ神学まで、
営々辛苦、究めつくした。
その結果がどうだといえば
昔に比べて少しも利口になっておらぬ
学士だの、おこがましくも、博士だと名告って
もうかれこれ十年間も弟子どもの鼻面を
縦横無尽に引き回してきはしたもののー
さて、とつくりとわかったのが、
人間、何も知ることはできぬということだとは
。思えば胸が張り裂けそうだ」(高橋義孝訳)
文字通りのライフワーク
『ファウスト』の第一部は1808年、第二部は1831
年に完成した。日本では『蘭学事始』が書かれ、ヨーロッパ文明との接触が盛んになったころ
だが、ドイツは啓蒙専制主義の時代で、上流
市民に属するゲーテは、若くしてワイマル公
国の高官として実務活動を行い、自然科学の
方面の才能も大いにのばした。
『ファウスト』は二十歳のころより構想され、死
の前年に完結した文字通りのライフワークであり
、そこには巨人が生涯を賭して追及した思想
がすべて投入されている。ズシリと重いのも
当然だろう。 幕あきの有名なファウスト博士の
せりふは、知識をいくら積み重ねても認識ー
つまり生き方を統べる真理には到達できない
ということを表しており、現代にも痛切な意味
をもっている。しかし、博士は絶望しているの
ではない。進歩幻想を抱いた十九世紀人に
ふさわしく、あくなき探求欲と生命力をそなえ
ている。このニ面性はゲーテ自身の肖像でも
あった。以下割愛・・・・・
|・)…
特にここ数年
太陽や月に似た 別の惑星が
地理と時間的条件が揃った時に見えるという噂が増えているばい。
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タイからも緑色の惑星が見えます。
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51999149.html