
占い商売は基本的に 相手の意識の深い部分に交わって情報を読み取るので、
占い師は 相手の業障や 憑き物をもらい受けたりします。
ですので 占い商売の悪用としては、
自分の厄や憑き物を引き受けてもらうために 代金を払って占い師に鑑定してもらい、
告げられた鑑定結果などは気にせず
ただ厄や憑き物を占い師の所に残してゆくという方法があります。
占い師だけでなく 自称ヒーラーのようなものも同じです。
オカルト方面で生活費を稼ぐために
軽い気持ちで占い師や自称ヒーラーになる人が沢山いるのですが、
そのように日々 他人から厄や穢れや憑き物を受けながら
霊的に成長する事は無理なようです。
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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私の10年来のマブ逹T君はその昔、バンドマン(もちろんアマチュア)(^^;
兼占い師をしてまして、彼に誘われてその店でバイトしたことがあるんです。
私は幸か不幸か霊感というものが全くなく、そのほうが占い師に向くというので
たびたびそこの先生方に占い師としてスカウトされていたんです。
でも、そこ、先生たちは良い人ばかりで仕事も楽だし
申し分ないバイトだったんですけどね
無茶苦茶疲れるんですよ、バイトから帰ってくると・・・・・・。
で、ある日、また疲れきって帰ってきて泥のように眠ってしまったのですね。
部屋の状況を確認するひまもなく。
朝起きると寒いんですよ。
冬だったから寒いのは当たり前なんだけど、窓が全開になってたんです。
私は怒って母に抗議しました。
私がヘビースモーカーだったのと、学生なのでいつまでたっても寝てるのが
気に食わないらしくてよく意地悪して朝窓を開けて人を起こしたんです。
でも、その日は私があまりにも疲れていたんで
珍しく仏心を起こして開けなかったらしいのです。
そんなことを忘れて又バイトに行って帰ってくると翌朝窓が開いてる。
母を問い詰めると神に誓って開けてないというんですね。
そして、あんたあのバイトから帰ってくると様子が変よ、とも。
前述のT君に相談すると「絶対怖がらずに部屋の四隅に盛り塩して毎日とりかえろ。」
とアドバイスをくれました。
以後,そのようなことはなくなりました。
数年後、彼とその話になると、
「あそこはうようよいたからねー。連れ帰っちゃったみたいだねー。」
と軽く言われてしまいました。
おいおい、そんなバイトに人を引き込むなよー。と、いったところですが
そこの占い館にはあっちの世界の以外にもゼビン星人のような魑魅魍魎が出没したんです。
私にはそのほうが怖かったです。(だって、実害あるんだもん。)
そのほうが怖いかと思うのでいづれそのお話を・・・・。
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よくわかんないんですけど、人を占って
ついでにその人に憑いてるのまで引き取ってしまう事あるみたいです。
昔ね、タロットを友人にやってくれと(本人が勝手に
買って来て私に占えと)頼まれまして、まぁ、遊び半分にやったんです。
彼女は大の子供嫌いだったんですけど、『妊娠』と出て怒られまして、
もう相当やり直しさせられまして、でも『妊娠』って出る...。
そしたら1ヶ月後、本当に妊娠しちゃったんです。(今じゃ良い母です。)
それを切っ掛けに彼女がどんどん人を紹介してきて、ちょっとした占い師になりました。
その頃愛車のBちゃんは事故るわ、病気にはなるわ、もうサンザンでした。
本物の元占い師/霊能者の知り合いに上記の理由で「今すぐ止めろ」と忠告されました。
ばったり街で久々に会い、「きゃー 懐かしー!」なんて喜んでいたら
路地に連れ込まれ、「あんたの生気が減ってる。」と...。
後、タロットはシルクに包んで決められた箱(銀だったかなー)に保管しないと
駄目だとか色々あって、私の場合そんなの何もしなかったのも悪かったみたいです。
中国やベトナムには「占い師はまともな死に方をしない」という考え方があるようですし、
やっぱり止めといて正解だと思います。
そして年老いて行くって事 つまり老齢老化
家屋で言えば老朽化 やがては解体
先日のMrジャイアンツさんはお金の力が
つまり若さを蘇えらす効果を促し。
一般庶民は金の切れ目が運の切れ目。
不老不死の水でも飲まない限りは、段々と
朽ち果てて老いさらばえて行く運命の下にあるのさ・仙人の仙の旧字体は僊すなわち移し変えるって意味のようだけど、具体的に如何
すればと言うと観念の力だけでは無理みたい
だしね。幽韻を感じ取りそれを同化させると
言ったってある意味観念だろうし。現に日々
年老いていく己の姿を垣間見ているのが
正直なところなのかもね。果たして生きてい
る間に倒置できるか同化・・見果てぬなんと
やら。
|・)…
占い商売は
きつい肉体労働でもないし
資格や年齢・経験不問だしで
一見楽そうな仕事に見えるのだけど
毎日 客からの暗い悩み相談を聞いて
それだけで 精神が参ってしまった人とか
また 客の相談を受けながら
客の厄を引き受け続けて
私生活では不幸の連続という人も
少なくないみたい。
それは未来がある程度決定しているって事
になるよね。基本的にわれわれは結果から
遡ってなるほどって合点する事があるけれど。
となると占いや予言はそのすでに決定されて
いるある断片を垣間見ているのかも。
宇宙哲学提唱者のジヨージアダムスキーは自著
の中でパズルの話を応用しているんた゜けど
、韓流の冬ソナでもパス゜ルは重要な役目を
果たしていたよね。つまり一片のパス゜ルさ
えあれば全体が見通せるって事。占い師は
秘かに応用しているのかも・・・・・・・・ルル
|・)…
古代エジプトの格言に
「天の御国は 汝の内にあり
己を知る事によって それをうるなり」
というものがあるそうで
天の御国=真一
であれば 自己を知る=真一を悟る事になるばい|・)?
例えば
楯と矛を・・・・合一・・・・・矛盾
空と海で・・・・空海
真一とはギー
でも体感となるとね・・・道家の一
知識で覚えても雲散霧消・・・・
以下 こぴぺ 感謝
知の快楽 哲学の森に遊ぶ
プロティノスと新プラトン主義
プロティノス(204-270)は、ギリシャの古典哲学の最後の巨人であったともに、それ以後に続くキリスト教的な世界観にとっては、端緒となる考え方を提供した思想家である。プロティノスが展開した新プラトン主義は、「一なるもの、精神、霊魂」の三位一体の形而上学に帰着するが、それはキリスト教における「父と子と精霊」の三位一体の神学に対応し、プラトンが教える永遠のイデアと神の永遠性の観念を橋渡しするものであった。
プロティノスが生きた時代は、ローマ帝国の箍がゆるんで、ゲルマン人やペルシャの侵略をうけ、国家は疲弊して、人びとには明日が見えない時代であった。こんな時代背景のもとでは、人びとは現世に希望を持てず、ただあの世だけが救いに思われた。プロティノスの展開した新プラトン主義は、こうしたあの世への願望を体系化したものだったともいえる。
プロティノスはエジプトのリコポリスに生まれ、アレクサンドリアにおいてアンモニウス・サッカスに学んだ後、40歳の頃からローマで教えるようになった。晩年には多産な著作活動をし、それを弟子のポルフュリウスが編纂して「エンネアデス」という書物にまとめた。
プロティノスの思想はプラトンからインスピレーションを受けたものであるが、プラトンの広範囲にわたる思想のうち、彼が採用したものは、イデアに関する教説のみだといっても過言ではない。あるいは、弟子のポルフュリウスがプロティノスの説を体系的に整理した際、イデア的な部分に焦点を当てるあまりに、ほかの部分を切り捨ててしまったのかもしれない。新プラトン主義には著しい神秘主義や非合理的な観念があふれているのであるが、その創始者たるプロティノスには、そうした極端な傾向は見られないといってよい。彼自身はむしろ常識的で快活な人柄だったように思われるのだ。
プロティノスはプラトンがたどり着いたイデアの世界を出発点にして、そこから議論を下降的に進め、世界のあり方を順序だてて説明するという方法を取っている。何故イデアの世界が出発点となるのかについては、前提となる分析はないといってよい。かれにとってイデアとは、先見的に与えられた完全かつ永遠の実在なのであり、その前提を云々する必要のないものであった。しかしてその本質は「一なるもの」ということにある。
この「一なるもの」に精神、霊魂を加えた三つの階層から世界は成り立っている。「一なるもの」が根源であり、それが自ら放射あるいは流出することによって「精神」が、さらに「精神」が流出することによって「霊魂」が生まれる。我々が現実に生きる世界は、この「霊魂」が自ら流出することによって形成されるのである。
このように、プロティノスの説は、「一なるもの」から順次下位の階層へと流出する過程を説くことから、「流出説」とも呼ばれている。プラトンにおいても、イデアは永遠の一者ではあったが、これと現実の世界がどうかかわりあうのかについては、洞窟の比喩のような形であいまいに語られるのみで、必ずしもわかりやすいとはいえなかった。プロティノスは、イデア的な物自体に階層を持ち込むことによって、高度なイデアと低次のイデア、イデアと現象との関係について、思索を進めようとしたのである。
「一なるもの」とは、すべての存在を超越していて、自らは不動でありながらすべての存在がそこから流出する源である。プロティノスはこれを時には神と呼び、時には最高善と呼んでいる。いかなる述語もつけることができず、単に「ある」とのみ表現される。パルメニデスの一者を想起させる概念といえよう。
「精神」はヌースが原語である。このヌースをプロティノスは「一なるもの」の映像であるという。それは「一なるもの」から出てくるのであるが、「一なるもの」の一部であるとか、それの創作したものという意味ではない。太陽が光を発することによって見えるものとなるように、「一なるもの」が自ら輝くことによって、自らを見えるものとなるようにさせる過程をあらわすといってよい。
三位一体の第三のもの「霊魂」は、ヌースよりは低次であるが、そこからすべての事物が生まれてくる源となる。この世界に実際に存在すると見られている事物や生き物、あるいはそれらが織りなす生成や変転は、すべてこの霊魂の働きによるのである。いいかえれば、個別的な事象に対応する個別的なイデアといえるかもしれない。
こうしてみると、プロティノスの三位一体の説は、世界をイデアの生んだもの、それ自体のうちでは根拠を持たないものと考えていることがわかろう。一方で、プラトンとは異なり、プロティノスはイデアを単一で分解不可能のものとは見ずに、それが階層をなしていることを主張した。最も低い階層においては、世界の具体的な事物に対応した性格を持ち、最も高度の次元においては、存在一般としての最高原理としての性格を持っている。
プロティノスが描いたような世界秩序の中で、個人にとってよい生き方とはどのような生き方なのか。プロティノスはそれを「エクスタシス(恍惚)」という概念で説明している。
エクスタシスとは直感を通じて絶対者と一体化するときの恍惚の状態をあらわしている。我々の主観は概念的な分析を通じては絶対者を捕らえることはできぬ。そのような認識にあっては、認識するものとされるものとは外的に対立しているばかりであるが、そうではなく、認識するものとされるものとが一帯となるような認識が求められなくてはならない。そのような認識は理性の自己直感だということができる。つまり人間としての我々が理性を見るのではなく、理性が自分自身をみるような直感である。
このような直感のうちでも、一者としての神あるいは最高善の直感がありうる。そのような直感は類希な恍惚をもたらす。それがプロティノスのいう「エクスタシス」である。
これがキリスト教者の好んで云々する「神」の直感と類似していることは、よく見て取れるだろう。実際プロティノスの新プラトン主義の思想は、中世のキリスト教義を支えたばかりか、ルネサンスや宗教改革の思想的動向にも、大きな影を及ぼすようになるのである。
|・)…
術とか 式神などを目的にする人ほど
「一」を非常に軽く見る傾向が強いみたいだけど
もし 書物の知識としてではなく
体感として「一」を悟るならば
ある意味 その人のアイデンティティーが一度崩壊するのに近いぐらいになり、
その人が もうそれまでの段階に戻れない状態になるのだと思うばい。