
( `m´) 「…「普賢行願品」は 長文でありますが、
それの28文字以上を読経したり 写経するのみで
華厳経の加持力によって 業障の消除
悪趣に堕す事なく
智慧や福徳の増長、と速やかなる仏道の成就
一切の魔を去らしめるなどの功徳が得られるとされます。」
( `m´) 「…以下 「普賢行願品」の冒頭部分であります。」
「爾時(じじ)
普賢菩薩摩訶薩(ふげんぼさつまかさつ)
称讃如来勝功已(しょうさんにょたいしょうくどくい)
告諸菩薩及善財言(こくしょぼさつきゅうぜんざいごん)
善男子(ぜんなんし)
如来功(にょらいくどく)
假使十方一切諸仏(かしじっぽういっさいしょぶつ)
経不可説不可説(きょうふかせつふかせつ)
仏刹極微塵数劫(ぶっぜつごくみじんすうごう)
相続演説(そうぞくえんぜつ)
不可窮尽(ふかきゅうじん)
若欲成就此功門(じゃくほつじょうじゅしくどくもん)
応修十種広大行願何等為十(おうしゅうじっぽうこうだいぎょうがんかとういじゅう)
一者礼敬諸仏(いっしゃらいけいしょぶつ)
二者称讃如来(にしゃしょうさんにょらい)
三者広修供養(さんしゃこうしゅうくよう)
四者懺悔業障(ししゃざんげごうしょう)
五者随喜功(ごしゃずいきくどく)
六者請転法輪(ろくしゃせいてんほうりん)
七者請仏住世(しちしゃせいぶつじゅうせい)
八者常随仏学(はちしゃじょうずいぶつがく)
九者恒順衆生(きゅうしゃこうじゅんしゅじょう)
十者普皆回向(じっしゃふかいえこう)
善財白言(ぜんざいびゃくごん)
大聖(たいせい)
云何礼敬乃至回向(うんからいけいだいしえこう)
普賢菩薩告善財言(ふげんぼさつこくぜんざいごん)
善男子(ぜんなんし)
言礼敬諸仏者(ごんらいけいしょぶつしゃ)
所有尽法界(ようじんほうかい)
虚空界(こくうかい)
十方三世一切仏刹(じっぽうさんぜいっさいせつぶっせつ)
極微塵数諸仏世尊(ごくみじんすうしょぶつせそん)
我以普賢行願力故(がじふげんぎょうがんりきこ)
深心信解(しんしんしんげ)
如対目前(にょたいもくぜん)
悉以清浄身語意業(しつじしょうじょうしんごいごう)
常修礼敬(じょうしゅうらいけい)
一一仏所(いついつぶっしょ)
皆現不可説不可(かいげんふかせつふか)
説仏刹極微塵数身(せつぶっせつごくみじんすうしん)
一一身(いついつしん)
遍礼不可説(へんらいふかせつ)
不可説仏刹及微塵数仏(ふかせつぶっせつきゅうびじんすうぶつ)
虚空界(こくうかい)
我礼乃尽(がらいだいじん)
以虚空界不可尽故(じこくうかいふかじんこ)
我此礼敬無有窮尽(がしらいけいむうきゅうじん)
如此乃至衆界尽(にょしだいししゅうかいじん)
衆生業尽(しゅじょうごうじん)
衆生煩悩尽(しゅじょうぼんのうじん)
我礼乃尽(がらいだいじん)
而衆生界乃至煩悩(じしゅじょうかいだいしぼんのう)
無有尽故(むうじんこ)
我此礼敬無有窮尽(がしらいけいむうきゅうじん)
念念相続(ねんねんそうぞく)
無有間断(むうまだん)
身語意業(しんごいごう)
無有疲厭(むうひえん)。」

画像は仏舎利で
これを(写真でも)目にする事によって
功徳が得られるとされます。
「称賛如来功ダラニ」

このダラニは 60億の大仙方が受持されたものであり、
誦す事で智慧が日ごとに増すとされる。
「タニャタ
アクケイ・モケイ
サンマンタ・モクケイソウヒヨクテイ
ダネイ・サンマユシ
ジュンタヒバッタ
アクケイ・モクケイ
サッタダネイ
ビバイテイ
サンマンタ・クネイ
サッタギャラ・メイモクテイ
ハツリモクテイ
キリミツレイ
ムサッレイ
アサンメイタンメイ
アシレイ
ミシレイ
ボダイギャラ
フハクコセイ
マユギャラキ
シンテイボウケイ
ケイマバツテイ
ジュテイバツテイ
ダマシンテイ
アヘキイハイ
ギャラテキハイ
ソクボテイ
ソワカ。」
「一切の重罪と障を除く」

金剛合掌して3遍誦し 一度頂礼する事を3回繰り返します。
そのようにして 一切の仏と般若菩薩と金剛の賢聖を拝するならば
一切の重罪と障が除かれるとされ
もし そのようにして十万億仏を拝するならば
その功徳を得るとされます。
もし左膝を立てて 右膝を地につけ
手に香炉を持って焼香して同様に行って三宝を供養し
一切の天神と鬼神を供養する事もできます。
「ナモ・ダシャナン・ボダグチナン
オン・コロコロ・シツダロシャニ
サツバアツタ・シャダニ・ソワカ。
すべての瞬間が揺籠でも柩でもある~
~すべての生と~すべての死が~
あなたは奇妙で新しいものに見えますように~
以下こぴぺ 感謝
そしてモネルはなおも言った、刹那について話してあげましょう、と。
一切を刹那の相のもとに眺めなさい。
あなたの自我を刹那の好みのままに赴かせなさい。
刹那において考えること。どんな考えも長く続けば矛盾になる。
刹那を愛すること。どんな愛も長く続けば憎しみになる。
刹那に誠意をつくすこと。どんな誠意も長く続けば虚偽になる。
刹那に対して公正であること。どんな公正さも長く続けば不正になる。
刹那に対して行うこと。どんな行為も長く続けば亡びた統治になる。
刹那とともに幸福であること。どんな幸福も長く続けば不幸になる。
すべての刹那に敬意を払うこと、そして事物の間に関係を設けないこと。
刹那を遅らせてはなりません、それは禍根を残すことになります。
そう、すべての刹那は揺籃で、また棺桶なのです。生と死の一切があなたに新奇なものに見えるように。
そしてモネルはなおも言った、生と死について話してあげましょう、と。
刹那々々は白と黒に分けられたチョークのようなもの。
あなたの生を白の半分で描かれたデッサンで規整しないこと、なぜならあなたはそのすぐあとで黒の半分で描かれたデッサンを見出すでしょうから。
どんな黒さもそのうちに未来の白さへの期待を蔵しているように。
私はいま生きている、明日には死ぬだろう、と言わないこと。実在を生と死に分けてはいけません。こう言うべきよ、いま私は生き、かつ死ぬ、と。
ものごとの肯定的かつ否定的な全体性を刹那ごとに汲みつくすこと。
秋の薔薇はひとつの季節を長らえる。それは毎朝開いて、毎晩閉じる。
あなたも薔薇と似たものでありなさい。あなたの葉を官能がむしりとるに任せ、苦痛が踏みにじるに任せなさい。
すべての法悦があなたの内で息も絶えだえであるように、またすべての官能が死滅することを望むように。
すべての苦しみがあなたの内で飛び立ってゆく虫の飛翔であるように。齧る虫をまねて自己を閉ざしてはいけません。あの黒い筬虫(おさむし)に愛着をもたないこと。
すべての悦びがあなたの内で飛び立ってゆく虫の飛翔であるように。啜る虫をまねて自己を閉ざしてはいけません。あの金色の花潜(はなむぐり)に愛着をもたないこと。
すべての知性が稲妻のようにあなたの内で輝き、滅するように。
あなたの幸福がいくつもの閃きに分かたれるようにすること。そうすればあなたの喜びの分け前は他の人々のそれと等しいものになるわ。
宇宙について原子論的な観照をもつこと。
自然に逆らわないこと。ものごとにあなたの内心の物差しをあてがわないこと。あなたの心がききわけのない子供みたいに顔をそむけることのないよう努めること。
朝の紅い光と夕べの灰色の光に馴れ親しむこと。夕暮れと混ぜ合わされた暁であれ。
生と死とをこきまぜて、それを刹那に分かつこと。
死を待っていてはいけません、死はあなたの中にあるの。死を仲間にして抱き寄せてやりなさい。死はあなた自身のようなものだから。
どうせ死ぬのなら自分の死を死ぬこと。死んだ昔の人々を羨むことはありません。死の様態を生の様態とともに変化させること。
不確かなものはすべて生きていると、また確かなものはすべて死んでいると料簡すること。
そしてモネルはなおも言った、死物について話してあげましょう、と。
死者たちを念入りに焼いて、その灰を四方の風に撒き散らしなさい。
過去の行為を念入りに焼いて、その灰を踏み砕くの。だってその灰からはつねに同じフェニックスが生まれるだけだから。
死者たちと戯れるのはおやめなさい、死者の顔を撫でてやることなんかないわ。死者を嘲って笑うのも、哀れみの涙をそそぐのもおやめなさい。死んだ者など忘れてしまうことです。
過去のものごとに信頼しないこと。過去の刹那々々のためにりっぱな棺桶を作ってやろうと意気込まないこと。むしろ来るべき刹那々々を殺すことを考えるべきです。
どの死骸にも不信のまなざしを向けること。
死者たちを抱きしめてはいけません、なぜなら死者は生者の首をしめるから。
死んだものごとに、建築用の石材に対して払う以上の敬意をもたないこと。
古文書のかすれた行をたどってあなたの手を汚してはなりません。新鮮な水であなたの指を浄めなさい。
あなたの口の息吹を吐くこと、死んだものの吐息を吸いこまないこと。
あなたの過去の生と同じく、他者の過去の生も見つめないこと。空っぽの封筒を集めたりしないこと。
自己のなかに墓場を持たないこと。死者は疫病を蔓延させます。
そしてモネルはなおも言った、あなたの行為について話してあげましょう、と。
譲り渡された土製の盃などどれもあなたの手のなかで粉々に砕けてしまえばいい。あなたが飲み干した盃はみな粉々に割ってしまうがいい。
人が走りながらあなたに差し出す生命のランプに息を吹きかけるのよ。なぜなら古いランプはどれも煤けた煙をたてるから。
自分自身には何も遺さないこと、楽しみも、苦しみも。
どんな服でも後生大事にしていてはだめよ、それが精神の服でも、肉体の服でも。
手の同じ面ばかりで叩かないこと。
死のなかに自分の姿を映していてはだめ。流れる水に映る自分の影が消え去ってゆくにまかせなさい。
廃墟を遠ざかって、そこに立ち止まって泣かないこと。
晩に服を脱ぐとき、その日の心もいっしょに脱げばいい。すべての刹那に対して裸の状態でいること。
あなたには満たされた状態がすべて致命的なものに見えてくるでしょう。鞭でひっぱたいて満足を先送りさせなさい。
過ぎ去った日々を反芻せずに、未来のことで身を養いなさい。
過ぎ去ったことは打ち明けなくてもいい、だってそれはもう死んでいるから。未来のことをみずからの前に打ち明けなさい。
わざわざ降りて行って道端に生えている花を摘むことはないわ、見るだけで満足してればいいの。でも見るだけ見たらさっさと立ち去って、振り向かないこと。
ぜったいに振り向いてはいけないわよ。後ろにはソドムの火焔が息を切らせながら迫っていて、あなたは石化した涙の像に変えられるかもしれないから。
後ろを顧みないこと。前を見すぎないこと。自分の中を覗きこんだら、すべてを白紙の状態に戻しておくこと。
思い出と比較してなにかに驚いているようじゃだめ。未知の新しさによってすべてに驚くべきよ。
すべてのことに驚くがいいわ、だってすべては生においては相違し、死においては同一なのだから。
相違のうちに建築し、相似のうちに破壊すること。
永続的なものの後を追わないこと。そんなものは地上にも天上にもないのだから。
理性が永続的なものなら、打ち壊してしまえばいいわ、そしてあなたの感性が変様するに任せるの。
矛盾することを恐れてはだめ、刹那には矛盾は存在しないのだから。
あなたの苦悩に愛着をもたないこと、だってそんなものはいつまでも続きはしないのだから。
あなたの爪が伸びるのを、皮膚の痂(かさぶた)が落ちるのをよく見てごらんなさい。
どんなことでも忘れてしまえばいいのよ。
尖った錐で思い出をひとつひとつ丹念に殺すの、昔の皇帝が蝿をひねりつぶしたようにね。
あなたの幸せな思い出が未来まで続くようにはしないこと。
思い出すのではなく、先を見越すのでもなく。
金を稼ぐために働くとか、忘れるために働くとか言わないこと。金儲けや仕事のことなんか忘れてしまえばいいわ。
あらゆる仕事に「否」をたたきつけるの。刹那を超えるような行為のすべてに「否」をたたきつけるの。
端から端まで歩こうとしないこと、だってそんなのは無理にきまっているのだから。でも足取りだけは整えて一歩を踏み出すようになさい。
右足がつけた跡を左足で消しておきなさい。
右手がしたこと右手が知っている必要はないわ。
汝自身を知るべからず。
あなたの自由などに心を煩わさないこと。汝自身を忘れよ、です。
そしてモネルはなおも言った、私の言葉について話してあげましょう、と。
言葉が言葉であるのは、ただ話されているあいだだけ。
保存された言葉は死んでいて、疫病を撒き散らす。
私の話す言葉にだけ耳を傾けて、私の書かれた言葉には従わないように。
曠野でこのように語ったあと、モネルは黙りこんで寂しい気持になった、というのも彼女はふたたび夜の闇に帰っていかねばならなかったから。
そして彼女は遠くから私に言った、
私を忘れて、そしたら私はあなたのものになるわ、 と。
私は曠野の彼方を見やった、するとモネルの妹たちが次々に立ち上がってくるのが見えた。
|・)…
今日は をじさんに
おむすびの差し入ればい。
|・)ノ/■\ /■\
それと お茶ばい。
|・)ノ
ちょっとしたワンブレスの息継ぎで百万馬力
新しい展開や展望が見えてくることだってあるしね。
弛緩とは息抜きにあり・・・・・柔軟体操
では遠慮なく戴きます・・・・・・感謝
|・)…
神道と仏教の間の差に関しては
「仏教が低いものだから」というのでは
理由にならなくて
ただ
仏教の最高神格が伊邪那岐神であること
道教の最高神格が高皇産霊神であること
神道と宮地神仙道の最高神格が
天之御中主神であること
そこから自然な差異が生まれるみたいで
そもそも 8階に至るどころか
1階にも入れないような輩が外から
「8階は低い!
自分は10階しか許せない!」
と叫んでも 意味が無さそうばい。