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宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

聖像

2014年01月26日 | Weblog



特殊な伝承のある聖像で
この聖像を(写真でも)目にする事によって
解脱することができるとされます。
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玄(おく)にある深い力 (タオ 老子)
2014-01-26 01:13:52
          第 10 章

われら心と肉体を持つものは
ひとたびタオの道につながれば
身体と心は離れないようになる。
精気にみちて柔らかいさまは
生まれたての赤ん坊みたいだ。
その無邪気な心は
よく拭った鏡みたいに澄んでいる。
その人が国を治めれば
ただ民を愛するだけで充分なんだ。

天と地の出てきた神秘の門
あれを開いて、母と遊ぶことができるんだ。
無理に知ろうなんてしなくとも
四方八方、とてもよく見えてくる。
もちろんタオの人も
産んだり愛したり養ったりするのさ、
しかしそれを自分のものとしない。
熱心に働いても
自分のしたことだと自慢しない。
ひとの先頭に立ってリードしても
けっして彼らを支配しようとしない。

これを玄徳と言うんだ、すなわちそれは
ひとの玄(おく)にある深い力が、
いちばんよく働くことなんだ。

  筑摩書房 タオ 老子 加島祥造より
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隠れている仙人|・)? (もみ@五桂池ふるさと村)
2014-01-26 08:11:56

|・)…

この体験談に出てくる人物、
行者か仙人か 不思議な存在みたい。

+ + +

祖母から聞いた話。
我が家は旧い街道沿いにある。
今は少し奥に引っ込んだが、戦後しばらくは本当に街道にはみ出す様に家があった。

そして我が家は田舎である。
今は交通機関の発達により大して苦ではない坂道も、当時は峠扱いされている程急な坂だった。
道はぬかるみ、山は深い。
日が暮れてから街道に入ってしまった人は、大体我が家の軒先で雨露をしのごうとしていた。
「軒先で眠らせてくれればいい」という人たちを、曾祖母は家へあげ、風呂を沸かし、飯を食べさせていた。

そんな人たちは食事中などに「どこそこから来て、どこそこへ行く途中なんです」と話してくれる。
その話を聞くのが、当時10歳やそこらの祖母の楽しみだった。

ある日、泊まっていった人は少し変わっていた。
髪も、長い髭も真っ白で、白装束を着ている。そしていつも杖を持っていた。
幼い祖母には仙人に見えたそうだから、恐らく80歳前後だろうと思う。
その人も、軒先で眠りかけていたのを曾祖母が見つけて家に上げた。
しかしその人は、自分がどこの誰で、どこから来てどこへ行くのかを一言も言わなかった。
ただ朝になると「ありがとう」とだけ言って去っていった。
それから、半年に一回位のペースで来る様になった。
来れば何某かの面白い話(祖母はもう忘れてしまったらしいが)をし、次の朝には去っていく。

それが、祖母が22歳の時に嫁に行くまで続いた。
祖母が嫁にいき、そして6年後に嫁イビリに耐えかね離婚するまで一回も来なかった。
腹の中に私の母を抱えたまま帰ってきた祖母は、少しして私の母を産んだ。
その後、仙人の様な人が一回だけ来た。
そして祖母をじっと見つめ、こう言った
「あんたには神様がついている。だから心配する事はない」

そしていつも通り、次の朝に「ありがとう」と出ていった。
それきり見ないそうだ。


当時は誰も不思議に思わなかったが、我が家に初めて来た時に80歳だったとしても最後に来た時には98歳だ。
そんな老人が一人で峠を越えてどこぞへ行くだろうか?
しかも、その18年間老人は年を取った様にはみえず、いつまでも80歳前後の見た目だったそうだ。

その老人が誰だったのか、未だに分からない。
祖母は、「神様はあの爺様だった」と信じている。

+ + +

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