
( `m´) 「…画像は 印刷して使用します。」
( `m´) 「…触れたり 身につける事によって
解脱が与えられるとされます。」
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日本人は団結するのでなく、権力に媚びることによって生き延びようとする者が現れ
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1305-30.html
「『日本人は猿に支配されたら、団結して抵抗するより
国民こぞって木登りの練習を始める民族である』これは名言ですね。
実を言うと、私が常日頃思っていることを言葉にしただけです」
「日本人は1.権威、権力に極端に弱い。2.変わり身が実に早い。
3.裏切り者や変節者が多く出る。4.団結することができない。
5.日本人は日本を愛せない」
「私たち日本人は、変節、裏切りの遺伝子を持つため、
変節者や裏切り者には実に寛大だが、信念を通す人には冷淡なのです」
ソ連抑留中に出た死亡者の死亡原因の最大のものは日本人による虐待でした。
「シベリアでは零下40度以下になると、屋外労働は中止になるが、
実績を上げようとする民主委員のなかには、その規定を無視してさえ、
作業に捕虜たちをかり出した者もいる。こういうときの制止役はむしろソ連側なのである」
「ノロノロと働いているドイツ人捕虜たちは、
日本人捕虜の勤勉さに驚きというよりは嘲笑をなげかけた」
「ある夜、相変わらずの吊し上げがあった。
アクティーブの一人が反動の烙印を捺した男を殴った。
ところが偶然、ロシアの歩哨がこれを見た。
するとこのロシア兵、猛然とこの殴った男に食ってかかっていった。
ロシア人は人を殴ることを非常に嫌う」
以上のような記述を読むと、日本人として何とも情けない思いがします。
日本人捕虜は団結できないのです。
生き残るために各自勝手に共産主義者になってみせたり、
転向したふりをしてソ連当局に媚びたのですが、
新しい権力であるソ連当局への忠誠心を競い合い、
その目的のためには同胞を冷酷に傷つけ、死地に追いやることも平気だったのです。
道徳心麻痺のきわめつきは「スターリンへの感謝状」でした。
帰国のための条件づくりなら、紙切れ1、2枚の署名文書でもいいものを、数十メートルの奉書紙に、
1万6千語の感謝文を記し、きれいに表装し、刺繍を施し、
美しい巻物として桐の箱におさめ、その他に「感謝のアルバム」という画集まで添えました。
収容所生活がすばらしかったことを絵で説明し、
大元帥への感謝とソ連に対する忠誠を誓う内容で、
6万3千人から成るこの署名アルバムはすばらしく精巧につくられていました。
「彼らを奴隷のように扱った総責任者スターリンに対して過剰なまでの媚です」と、
鈴木さんはいたく嘆いております。
いくら無事に帰りたかったからといって、ここまで自分を失い、誇りを捨てて、
しかもしなくてもいい同胞への迫害を重ね、
加虐快楽に陥った捕虜囚人の恥ずべき言動は世界史的にも例がない不名誉な記録です。
【日本人以上にこんな卑怯さを強く持った民族はいないよ。】
http://textream.yahoo.co.jp/message/
1143583/a43a4nbbv7obbv8na4k0l8c0a1a28c0a4a4a4bfa4a4a1aa/1/26361
権威に徹底的に弱く、信念がなく一夜にして変節する日本人。
所詮アメリカが世界最強国だから、媚びへつらってるだけで、何の信念もない日本人。
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