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宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

"ヘビの様な男の恋愛作法"

2006年03月10日 | Weblog
現在の風説、映画、漫画などにおいて、異性同性を
問わず、恋愛の在り方を非常に限定してとらえ表現
する、そうした風潮がある様に思います。
あくまで私的見解ではありますが、あまりにも一面的な
前提と単調なロマンスばかりが強調され、それを受け取る
人間のマインドを一方的に条件付けてしまう様な、そうした
表現が氾濫している様に感じます。

わたくしが読みました本で、数十年前の日本での男女関係や
結婚などの小話が幾つか記述されていますものがありますが、
その中の一つに特に興味をひかれた話しがありました。
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一人のダンスを習っている女性が、その社交ダンスの助講師で
30歳の離婚歴のある男性から週に一度ずつ愛の便りを送られ
続け悩んでいた。好人物であっても外見的な面から好意を抱けずに
無視し続けたが、彼はどれほど邪険にされても動じず、
愛の手紙、愛の贈り物、愛の電話を続けるという状態だった。
電話は一度切られるとその日は決してかけなおさず、翌日にまた
繋がるまでかけ続けても、決して嫌がらせの電話などはしないという
事だった。

数日に一度は彼女の自宅を訪問し、一言帰って下さいと言えば
黙って素直に帰る。用件といえばただ「顔を見たいだけです。」と
答える。
彼女の父親が経営する会社の社員が彼を突き倒すと、黙って帰り
後に当の社員に決闘状を送付する。日本刀を手にする彼は誰にも
止められないが、彼女が一言「止めて下さい。」と言えば素直に止める。
彼女が自ら理由を問うと、「ただ会って顔を見たいのです。」

彼女がひそかに転居すると、あらゆる手段を尽くして探し、面会して
世間話をすると最後に「結婚して下さい。」と一言述べて帰るのだった。

彼女の愛が熱烈なものに熟して、彼の愛に陥落するのも決して遠くは
ない事でしょう。
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一歩間違えばストーカーではありますが、しかしストーカーに見られ
ます様なある種の破壊衝動や、対象の心理を完全に無視した嫌がらせ
行為などはなかった様です…またその後の二人の関係は不明ではあり
ますが、こうした濃く深い情動を備えた関係は近年は少ない方のケースと
なっているのではないでしょうか…。

現在特にアメリカの一部において、愛情は外側、第三者、見える所で
示すべきという風潮がある様に感じます。しかしその表現が必ずしも
実質ではない事も時折感じます。
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