宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

河よりも長く

2005年11月09日 | Weblog
わたくしが購読しています「歴史上の人物に見る、
人には言えない意外な性癖」のメールマガジンで、
今回は北原白秋と弟子達の関係が取り上げられて
いました。彼らの手紙のやり取りを見て、そういえば
自分は恋文などというものを一度も書いた事がなかった
事を思い起こしました。

「わづかの時日の間にあなたは
すっかり私をとりこにされてしまった、
どれだけ私があなたのために
薫育され感慨されたかといふことを
あなたは御推察出来ますか、
朝から晩まであなたからはなれることが
出来なかった私を御考へ下さい」

「萩原君。何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。
君は私より二つ年下で、室生君は君より又二つ年下である。
私は私より少しでも年若く、私より更に新らしく生れて来た
二つの相似た霊魂の為めに祝福し、更に甚深な肉親の交歓に酔ふ」

「曾てあなたの芸術が私にどれだけの涙を流させたか、
その涙は今あなたの美しい肉身にそそかれる、
真に随喜の法雨だ、身心一所なる鶯の妙ていだ、
私の感慨は狂気に近い、かんべんして下さい、
あなたをにくしんの母とよぶ」

「小生と貴方との関係は重病人と医者の間柄のやうです。
(中略)かういう心霊的関係をよく考へてみると実に恐ろしい、
小生は小生の唯一の親友なる室生と別れても尚生きて居ることが
出来ますが貴方と別れては恐らく生命が危険です。
我々の関係はもと芸術上の接近からはぢまったのでしたが
今では芸術以上のそこ深いものになって居ます、
どんな人間も知ることのできない恐ろしい生命的関係です。
僕は始めて芸術といふもののほんとの意義を知ったやうな気がしました。
それは一般の世間の人が考へているやうなものではなく、それよりずっと
怖るべきものです、生存欲の本能から「助けてくれ」と絶叫する
被殺害者のやうなものです、その悲鳴が第三者にきかれたとき
その人間の生命が救われるのです。」

近年は一対一での濃く深い人間関係を築く姿勢を避ける風潮がある様に
見受けられますが、その中で北原白秋と萩原朔太郎と室生犀星の精神的な
深い絆はわたくしに非常に新鮮に映りました。
「あなたをにくしんの母とよぶ」…これ以上の表現は中々ない様に思います。
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