多くの兄弟の中で育った。
8人兄弟、私はその5男坊。
近所の子供を束ねてのガキ大将。
村中の評判者です。
子供の遊び場は村の鎮守の境内。
神社の天井裏は、絶好の隠れ場。
神主兼務の管理人から、叱られること常習犯。
母親から度重ねて、教えられたことは
「絶対に警察のご厄介になるような事だけは、してはいけません。
兄弟みんなが、肩身の狭い思いをしなければなりませんからね。
それだけは、絶対に守ってね。」
悪ガキへの母親の説教です。
度重ねる毎に、それが母親がお経を唱えているかのごときです。
知らず知らずに、母親の教えが兄弟全員に浸透しております。
父親は黙して語らず、ただ黙々と働いているだけ。
郷里の主産業は稲作とたばこ栽培の農家。
農耕作地が少ない農家は、営林署の臨時雇い人。林野の下刈作業員。
冬場は都会への出稼ぎ労働者。
集落の生活基盤が安定して維持されてた時代です。
いまから、あれこれ60数年前の昔のお話です。
悪ガキの悪戯には、誰彼構わず大声で叱られます。
「誰も見てないからって、お天道様が見てるんだからなぁ」
未だにその場面が鮮明に記憶が蘇ります。
東京に出た郷里の人々の集いがあります。
集落を流れる川の名前に由来する「狙半内会」がそれです。
元気に集う古希半ばの、昔悪ガキの仲間です。
話題は、決まって60年前のガキの頃のはなし。
春の運動会は別格として、夏から秋にかけての集落の悪ガキの行動は
目に余るものがありました。
それだけ、集落の大人から叱られる機会も多かったのです。
このシーズンは子供の食欲を満たすものが沢山あります。
すもも。特に人気あった赤いおおきなすもも。そして甘柿。
何処に何があるのかわ、悪ガキどもには熟知しての行動。
栗の実が落ちる頃は、我が家の栗の木は後にして、
まず他人の栗の木林が先と心得ての行動。その所有者のばーやに叱られること
一度や二度ではない。
河原でミルク缶を使って、栗を茹でて食べたその味は、みんな忘れられない。
川にはカジカが沢山いた。まだ農薬の被害が無かった時代です。
カジカの滝登り。斜面のコンクリート擁壁で沢山のカジカの摑み取り。
河原で枯れ木を燃やしての、カジカの焼き料理。
悪ガキどもの食欲を誘い、その味は格別に美味しく、今思うと懐かしい。
ガキ大将は小学高学年まで。成長と共に次世代に引き継がれる。
その後、誰が引き継いだのかは、定かではない。
田舎会ですら話題に上らない。
山野は悪ガキどもの絶好の遊び場。
旧盆のお墓に備える「女郎花」を摘み取り集めるのも、遊びの内。
秋には、野イチゴ、あけび、山葡萄。その在り処は皆の共有。
時々出くわすキノコの密集地。毒キノコの見分け方は皆知ってます。
其々の親が子に伝授してます。
思わぬ土産に、其々喜ばれた話に花が咲きます。
古希半ばで集う仲間の共通の話題です。懐かしく嬉しい事です。
「あの時は、おめいに良くいじめられたっけ!」
分校場に通う隣の仲間からの話題です、
「でも、ともさん、優しかった。」
何時も仲間の兄を追って、行動を共にしていた幼かった妹の嬉しい言葉。
何十年経過しても、ガキ大将の汚名は消えてません。
あの時、母親の云う事を良く聞いて置けば良かったと思っても
後悔先に立たずです。
いま、あの集落は限界集落の一歩手前とか。
若者がみんな都会に出て、残ってるのは高齢者のみ。
主産業も後を引き継ぐ者もなく、田畑の農耕地は放置される一方。
寂しい知らせばかりです。
故郷は遠くにありて、思うもの。懐かしさだけが蘇ります。
高校を卒業して都会に就職先を決め、旅立つ日。
出稼ぎで都会で苦労を知った人、お昔良く叱られたおじさんに
「とも、石に上にも三年と云う言葉にもあるがにぁ。辛抱せや!」
お叱りのイメージが、激励に変わった。
お陰様で、一生涯務めあげることが出来ました。
東京の北側に当たる空の彼方に向かって、首を下げる思いです。
遥か彼方の郷里に向かって、感謝、感謝の気持ちです。
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