本当に私の記憶はどうなっているのだろう。
妹と私、同じ環境で育って来たのに、妹は驚くほど昔のことを覚えている。
私はといえば、驚くほど覚えていない
きっと、ぼ〜〜っと生きてきたんやろなあ。
そして今回の旅でも、前回行ったところをめぐってみても、食べ物屋さんのことしか覚えていない。
せっかく見たアートの数々もほとんど覚えていない。夫も呆れている😅
私の人生って、、、
スーパーでお花を買って、おばあちゃんのお墓まいりに行く。
おばあちゃんは青いお花が好きだったので、ちょうどリンドウがあってよかった。
夫が草ボウボウのお墓の掃除をしてくれた。
井戸水の方が冷たいので、たくさんお水をくんで、お墓にかける。気持ちいいね
久しぶりのお墓まいり。
そして、小さい時からお墓まいりの時は必ずもうひとつ参るお墓がある。
祖母の義理の弟、母がいつも「音次にいちゃん」と呼んでいたお墓。
音次にいちゃんはフィリピンで戦死して、帰ってこなかった。小さかった母のことをそれはそれは可愛がってくれたらしい。食べ物がない中、祖母は当時中学生だった音次さんのお弁当に大きなお豆さんを入れてくれていたのを、「としちゃんに」とすこーし取り出して食べさせてくれていたらしい。そんな優しい音次にいちゃん。
お墓は確かこの辺りだったなあと、ひとつひとつ名前を見ていくが、フィリピンあたりで戦死した人たちのお墓がたくさん並んでいる。中には19歳のお墓もあった。
音次にいちゃんは22歳で戦死だった。子どもの頃は何も感じなかったけれど、今回お参りして思った。
うちの息子より若い
そんなに若くして、遠いフィリピンで戦死。
その知らせを受けた時、優しかった祖母はどれほど悲しんだことだろう。
戦争をくぐり抜けてきた人たちは、愛する人たちを亡くし、どれほどのの悲しみを抱えながら生き抜いてきたのだろう。
音次にいちゃんのお墓に、花を供えると、悲しみが押し寄せてきた。