毎日がゆめちゃん暮らし

のんびりわんこのゆめちゃんと家族の毎日

二日目は新潟翡翠海岸へ

2015-09-27 21:37:35 | 日記


二日目は妹の車で長野から新潟の翡翠海岸へ!!

妹と姪っ子は翡翠海岸に着くなり

掘る!掘る!掘る!!


翡翠らしきものは見つかる気配はないが

妹はこの海岸によく来るらしい。

乳癌が治ったらコーギーを飼うと決めていた妹。
今やそのコーギーも母となり、可愛い子どもを6匹産んでそのうちの一匹も妹の家族となる。


私は子どものコーギーとのんびり。

それにしても・・・・


なんで今回もまた翡翠海岸なんや~~



翡翠はもちろん見つからず

帰りにお寿司屋さんによって帰る。


美味しかった!!



妹は今年も元気だった。

良かった


シルバーウィークは妹と!

2015-09-27 20:50:33 | 日記


今年はシルバーウィーク
長野に住む妹が「秋の連休には野沢温泉の地ビールやさんにいこな」

と夏から言っていたので、楽しみにしていたが・・・。

大阪から長野に行き、
いざ野沢温泉駅に着いてみると・・・

「なんていうお店なん?」

「えっ・・・なんやったっけ?」と妹。 マジか

私がスマホで調べる。

交通手段はタクシーのみ。
3000円払って到着。

でも開いてる気配なしのお店。

もう一度スマホで調べると、4時オープンだった


地ビールの店はあきらめて、外湯めぐり。



妹は10年ほど前に乳がんになり、それ以来ずっと闘病生活を続けていた。
手術のあと。リンパに移転していることがわかり、抗癌剤の投与で髪が全部抜けた。

でもかつらをかぶって、帽子をかぶってディズニーランドに行く強靱さ。
そして絶叫マシーンに乗り
カツラが飛ぶんじゃないかとハラハラしたものだ。
とにかく闘病中も元気いっぱい!

ホルモン治療を続けた副作用で、2年前に卵巣に腫瘍がみつかり、
子宮と卵巣を全摘出。

それでも妹は強かった!!


今でも元気いっぱい。

でも、ここまでおとぼけだったとは・・・・。



我が家の『坊』

2015-09-15 23:45:52 | 息子のこと

我が家の坊のお話

うちの息子は究極の『おれ様』

まさに『坊』

千と千尋の神かくしが上映されてから、夫と私は息子のことを『坊』
と呼ぶようになった。

小さいときから我が家で一番エライ!!

「まあくんのうったとおりでしょ」(言ったとおり)
が口癖

「だっこらだっこら~~だっこするのら~~」
と騒ぎまくる

本当に可愛い『坊』でした。


大学生になってからも・・・
『起こしてくれなきゃ単位落としちゃうぞ!!』と強気
(いや実際には言ってませんけどね)

でもそんな坊も晴れて就職が決まりました。

でも考えてみれば、生まれてきてくれてからずっと坊の好きなようにさせてきた
赤ちゃんの時からやりたい放題
トイレットペーパーを部屋中転がして大喜びしたり
お父さんのお気に入りカセットテープ(当時はカセットテープでした)に
小さい指をつっこんでシュルシュルシュルシュルテープを全部出したり
ちゃぶ台の上に小さな椅子を置いてそこでご飯食べたり・・・
ありえないほど好き勝手する『おれ様』

中学3年の受験生の時『太鼓習いたい』と言いだし
和太鼓を習いに行く。(母は発表会ごとにビデオもって追っかける)

高校2年になるといきなり『ダンス習いたい』
月謝3万円もするダンススクールに通う。

好きなようにさせていたけれど、
そういえば、どんなときも相談にのってあげたことはなかった・・・。

「お母さん、俺って何学部にすすめばいい?」

高校3年生の時に相談されたが・・・

「はっ?!そんなん知らんし」と冷たく対応。
担任の先生がとても親身になって考えてくれて
「○○くんは法学部に進めばいいと思うよ」とアドバイス。

素直に法学部に進んだ『坊』

考えてみれば、赤ちゃんの時から坊が『やりたい!!』ことは精一杯応援してきたが、
『どうすればいい?』と弱気で相談してきたことは全てスルーやったような。

『坊』なんやから自分で決めな!!
と思っていたわけではないけれど・・・
思い返してみるとそんな感じ・・・・


就活の時も親は全く関知せず。
ひとりであっちこっちまわってたな~。
「俺は面接で落ちたことがない」
と強気の坊だった。ほんまかいな

でもちゃんと『坊』らしいジブリ関係の広告会社に決定!!

我が家の『坊』はやっぱりエライ

我が家の可愛い可愛い『坊』
自分の思うがままの道を進んでいってね