明治時代の築地
放たれ銀座・築地ウォークへ、文明開化の礎
本日は、セミナーから戻ったスタッフも全員オフィスに揃っていることから
私は、昨日までの窮屈な留守番から解放され、ひとり銀座・築地探索ウォークへ。
銀座のオフィスから徒歩約10分。6月17日火曜日、午後14時気温28度。湿度62%
明治時代の銀座
近くにいながら、訪れていなかった場所
築地の聖路加周辺(東京都中央区明石町)
ここ明石町には、文明開化の礎がある。
聖路加病院大学の小径、敷地内
アメリカ公使館跡の記念碑
明治期にアメリカ公使館が存在していた場所
安政元年(1854)、幕府はアメリカとの間に日米和親条約を締結。
これが契機となって、日本は鎖国を解き、欧米諸国への開国が進みました。
『立教学院発祥の地』記念碑
立教学院は 1874(明治7)年 築地の外国人居留地に開かれた
「立教学校」という名の私塾がルーツ。
聖路加病院大学の小径の横にある一角に
「日本近代文化事始の地記念碑」の横に
「慶應義塾発祥の地記念碑」がある。
1858年福沢諭吉先生が中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学の家塾に由来する。
そのまた横には
「蘭学の泉はここに碑」
この地はまた 1771年 中津藩の医師 前野良沢などが オランダ解剖書を初めて読んだ 由緒あるところで,
日本近代文化発祥の地として記念すべき場所。
ここの地は、文明開化の礎のオンパレード。
幕末から明治時代に入って、新政府の指導のもと近代化が進められ、
日本に西洋の文化が積極的に取り入られるようになり、人々の生活も西洋化していった文明開化。
街には赤レンガの洋館が建ち、ガス灯が灯り、人力車が走り出します。
「文明開化」という言葉は福澤諭吉先生が
『文明論之概略』明治8年(1875年)の中で、civilizationの訳語として使ったのがその始まり。
最も優先されることは日本国の独立であり、そのために西洋文化を取り入れると説く。
所感:ここにいると、文明開化の息吹を感じ、
深呼吸すると海が近いせいか、ほのかな磯の香りがします。
そして鎖国から放たれた、開国の波動を感じる。
私も根っからの自由人ですので、閉ざされた「封建的社会」がいかに窮屈であったか
よくよく分かるような気がいたします。
自分らしく自由に、そしてより高く。。。
起業ができれば、人生は面白い!!
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