実業と実学(学問)、社会的使命の実現。経世済民
慶応義塾で経済学を学ぶ上で、英語力と数学は必修。
毎朝、4時30分起床して、英語と数学統計学の学習。
慶応の英語レベルは、並大抵の努力ではその習得は難しい。
担当教授いわく「英書は、こまめに辞書を引き、
500ページは精読し。それでも駄目なら
さらに時間を投入して「勉めて強いて」下さい。必ず習得できる。」
この「必ず」という言葉に心打たれた。
一流教授の指導だから説得力がある。
ご本人も並々ならぬ努力をされたことがその言葉からも推測されます。
数学(線形代数、微分積分、ベクトルなど)は、ある程度方程式さえ覚えて
しまえばその応用で何とかなりますが、さすがに語学だけは、語彙が分から
なければ解読さえ不可能。
つまり毎日、弛むことなくひたすら、丹念に辞書をひも解くしか、
その習得の近道はないということ。
法学部出身の私も数学は結構苦労していますが、分かってくると
これはほど仕事に役に立つ学問はありません。とくに統計学の確率と予測分析は。
英語学習モチベーションを高めた一説
外国語は「檻から出る」ための装置であって、
「檻の中にとどまる」ための装置ではない。
役人たちは国民を「檻の中に閉じ込める」ことを本務としている。
(中略)
『福翁自伝』の福沢諭吉は日本最初の英語学習者の一人である。
福沢ははじめ緒方洪庵の適塾で蘭語を学んだ
その勉強は文字通り「昼夜の区別なし」の「はげしい」もの であった。
福沢は一度熱病を患って床に就いたことがあり、
そのときはじめて過去一年間、
「夜具を掛けて枕をして寝るなどとうことは、ただの一度もしたことがない」
ことに気づいたほどである。
出所;内田樹の研究:福翁の「はげしい」勉強法より
http://blog.tatsuru.com/2008/12/25_1019.php
本物の使命感
なんでもそうだと思いますが、
やはり、その分野(その道)で一流になるということは
一角ならぬ(相当な、considerable)努力が必要だということかもしれません。
その分野で一流=使命。
そのことに使命を感じたならば、
昼夜を問わずそのことに没頭(情熱がなければ)できなければ、
それは本物の使命と言えないのでないのか。
(時間のあるときや休日になど、片手間ではそれは単なるお手伝い。)
と、自問する。
一流の経済学は英語力と数学は必修
経済学は、ご存知のとおり、論証する上で数式を多用します。
(とくに、計量経済学はその最たる分野のひとつ。)
文系でありながら、実は理系に近い。数学が苦手な人はかなり苦労すると思います。
英語が必須なのは、経済学はもともと英国がその発祥(産業革命が起きた18世紀ごろ)で、
書籍論文は、英書が多いので英語(語彙)ができなければ、解読できません。
実業(いまの仕事に)どう役立つのか
大いに役立つ。
いまの事業を数十倍(いやそれ以上かもしれません)に深く広くなると確信した。
我々ベンチャー企業が抜きん出るためには、
やはりその分野で一流になるしかありません。
今日のように変化の激しい時代あっては、我々起業家にとっては、まさにチャンスの時代
が到来しています。イノベーション(innovation)のチャンスが多様化している。
そのひとつにIT(Information Technology)インターネット(Internet)
SNS(social networking service)
などがますます発展して、地上波(広告費、視聴率、視聴時間が低下しているテレビ)
に代わるウェブメディアなどもそこで形成されつつあります。
*ちなみに日本で最初に基幹ネットワークを導入したのも慶応義塾
私は、莫大な宝庫である「ビッグデータ」の解析と活用をするために、統計学・計量経済学そして語学を習得する。
一昔前なら情報を得られるものが優位な立場にありましたが
いまやITインターネットで誰もが情報を入手することが可能になりました。
よって、いまはその情報を分析して、実用に応用することがとても重要です。
しかしながら、その情報を分析して実務に活用するには高度な知識と技能が必要となります。
私の同期にも会社から役員候補(上場企業家電メーカー)として派遣された理系出身の方、
医療関係(臨床専門医師)などが修学に来られていることでも、その重要性が分かります。
目標は、修士号(masters degree)取得ですが、それも一流大学でなければあまり意味はない。
なぜなら、どの分野でもそうですが、
二流以下ではその社会的発言力(ペンの力)が弱いのが現実。
そして使命は、今の社会から貧困をなくすこと。(現実問題、格差は基本的になくなりません。)
貧困はその人の心の問題と社会システムにあると思いますからこの問題を解決する。
生活基盤のための事業、そして社会的使命の実現。(独立自尊の精神)
これが私の中長期での目標。
執務との両立なかで
一日5時間は、そのことに(学問)当てなければ、修士号取得は困難。
困難、難解難問に挑戦することは、とても心がわくわくして、生きていることの
実感が沸き、なんともいえない至福感に。 (衆生所遊楽)。必ずや達成しようと思います。
(いとも簡単に攻略できてしまうと面白くありません。)
幸いながら私は
銀座のオフィスから三田の慶応義塾まで、約20分で行け
周りも協力していただけますので、非常に恵まれた環境にあり、
すべてに感謝しております。
深々と(つねに謙虚で)静かに(地道に)そして滔々と(絶え間なく努力する)
今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず と言われている__人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となる。」
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