宮沢賢治記念館へ向かう道で「われらは世界のまことの幸福を索ねよう」という碑がありました。

記念館では「よたかの星」をモチーフにした絵画2点が印象的でした。
2階では童話「フランドン農学校の豚」の企画展が開催されていました。
肥育され大きくなった人間の言葉をはなす豚が自分の死を予感し苦しむお話です。

花巻農業高校の卒業生であるという仲居さんの説明では、運がよければ「鹿踊り」を練習する
生徒の姿が見られるはずでしたが、残念ながら「賢治の像」がひとり佇んでいるだけでした。

花巻農学校の玄関で鍵を借り、移築された賢治の家(元は祖父の隠居所だった)に行きました。
農学校を退職後、独居自炊生活をここで送り、「羅須地人会」を設立しました。

家の戸口には有名な「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の文字が、今でも白墨で書かれたばかりのように残されていました。

入り口を入ると火鉢を囲んで丸イスが並びオルガンのある洋部屋があります。
賢治が教え子に贈ったというマントも展示されていました。

1階は隣にある八畳の和居間のみです。2階は公開されていませんでした。

猿ケ石川と北上川の合流点の西岸を「イギリス海岸」と賢治が名づけたと言います。
この季節は増水のため岩肌は何も見えず、水がとうとうと流れているだけでした。


急遽、夕食前にライトアップされた「銀河鉄道の夜」を見に行きました。
この映像を写すために寒い中、何度もシャッターを切りました。
県道を走る車のライトが邪魔してやっと撮れた1枚です。

この夜、旅館の中庭はかがり火が点灯され、薪能のライトアップされた舞台のようでした。
翌朝の中庭は雨にぬれて、昨夜の幻想的な雰囲気は残っていませんでした。



記念館では「よたかの星」をモチーフにした絵画2点が印象的でした。
2階では童話「フランドン農学校の豚」の企画展が開催されていました。
肥育され大きくなった人間の言葉をはなす豚が自分の死を予感し苦しむお話です。

花巻農業高校の卒業生であるという仲居さんの説明では、運がよければ「鹿踊り」を練習する
生徒の姿が見られるはずでしたが、残念ながら「賢治の像」がひとり佇んでいるだけでした。


花巻農学校の玄関で鍵を借り、移築された賢治の家(元は祖父の隠居所だった)に行きました。
農学校を退職後、独居自炊生活をここで送り、「羅須地人会」を設立しました。

家の戸口には有名な「下ノ畑ニ居リマス 賢治」の文字が、今でも白墨で書かれたばかりのように残されていました。


入り口を入ると火鉢を囲んで丸イスが並びオルガンのある洋部屋があります。
賢治が教え子に贈ったというマントも展示されていました。


1階は隣にある八畳の和居間のみです。2階は公開されていませんでした。


猿ケ石川と北上川の合流点の西岸を「イギリス海岸」と賢治が名づけたと言います。
この季節は増水のため岩肌は何も見えず、水がとうとうと流れているだけでした。


急遽、夕食前にライトアップされた「銀河鉄道の夜」を見に行きました。
この映像を写すために寒い中、何度もシャッターを切りました。
県道を走る車のライトが邪魔してやっと撮れた1枚です。


この夜、旅館の中庭はかがり火が点灯され、薪能のライトアップされた舞台のようでした。
翌朝の中庭は雨にぬれて、昨夜の幻想的な雰囲気は残っていませんでした。