やぁ(´・ω・`)みんな元気かい?

自分の考えを自由に書いていくブログ
(更新日は不定)

【第三回】古代の思想家たち(孔子の願い)

2010年04月13日 | ひとりごと
 今回の話の中心は“孔子”!

孔子は紀元前551年に魯(ろ)の国に武将の子供として生まれた。

身長が物凄く高かったらしいよ(一説によると2,2㍍)

孔子も他の思想家と同じように、色んな国に自分を売り込みに行く。

でも現実は残酷なもので誰も雇ってくれなかった

ふてくされて魯に戻って書物を書き始めた(このとき65歳)

書いた書物というのが、魯の歴史書『春秋』だ。

そう、春秋時代の“春秋”という名前の由来は孔子の本から来ているのです

孔子は家柄で弟子を選んだりすることは無かった。

だから結構人気がある、学園を創って74歳で死ぬまで弟子たちの教育をした。

その弟子たちが孔子の言行を記録にした本が『論語』なのです。

その後弟子たちは孔子の思想を広め、「儒家」というグループになっていった。

「儒家」の学問が儒学。儒学は日本にも“朱子学”という形で江戸時代に重視されていました。

 じゃあここで孔子について詳しく解説してみよう

中国で“子(し)”っていうのは「先生」って意味がある。

だから、孔子は「孔先生」という意味になる(本名は孔丘)。

孔子の思想はズバリ「仁」だ!

仁は「人を愛する心」って意味がある。

ヤクザに「仁義」って言葉があるけど、本来は「人を愛する正しい道」という意味になる、矛盾してるね。

とりわけ孔子の「仁」は“家族愛”を重視した。

孔子の求める理想国家は、西周のような「邑制国家」だったそうだ。

「家族を思いやる心が国民全体にあれば国家は安泰だよ」という主張なんだけど、確かに言ってることは正しいのかもしれない。

でも、時代遅れの思想だった

国は他の国より一歩でも早く強くなりたかったから、国家の安泰なんてどうでもよかったのだ。

ここら辺の食い違いがあったから、孔子は雇われなかったんだと思う。

国に相手にされなくても、仁を主張する孔子は民衆に人気だった。

孔子の様子を表す言葉に「威あって猛からず(いあってたけからず)」というのがある。

威厳はあるが威張っていないという意味だ。憧れますね

そんな孔子の死後100年に孟子(もうし)が生まれる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回は孔子を中心にして「儒家」の存在について触れました。
次回は孟子の思想を詳しく見ていこうと思います。


≪Tomiyama Tenyou≫





最新の画像もっと見る

コメントを投稿