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JFK暗殺事件の真相――オズワルド単独犯行説の虚構を暴く 15

2018-02-10 | JFK暗殺事件について
【第一の銃弾について】

 オズワルドの第一の銃弾は、すでに銃には実包が装填済みで、移動する目標にじっくり照準を合わせながら、あとは引き金を引くだけという状態で発射されたことになっている。
 つまり、後の二発に比べればはるかに容易な状態の射撃であり、狙撃手はどんな銃を用いていようとも、この一発に必中を期すだろう。オズワルドが用いたとされるボルトアクション小銃ならなおさらで、この条件下で二発目以降の射撃をはじめから想定するとは考えがたい。

 公式説によるこの第一の弾丸は、後の二発のあからさまな矛盾の陰に隠れてほとんど問題とされていないが、実はこの最初の銃弾からして疑惑にまみれている。

 弾道を見てみよう。
 この銃弾は、教科書倉庫ビル前の樫の木の枝に当たって角度を変え、アンダーパスに向かって下り勾配となったディーリープラザの地面を這うように飛翔し、メイン通りの縁石に当たってコンクリート片を跳ね上げ、それが鉄道橋の橋脚の前に立っていた観衆の左頬に傷をつけた、とされている。


※教科書倉庫ビル6階の窓から、ちょうど第一の銃弾を放ったあたりにライフルを向けた再現画像。奥に見える鉄道橋の真ん中の橋脚の前に、頬を負傷した観衆J・テーグが立っていた。なお、1967年とあるので、事件から4年後の事件現場を捉えている。手前の立木に向かって放たれた弾丸は、そこで弾道を変えてテーグのほうに向かったというから、とくに垂直方向に大きく進路を変えたとされていることが確認できる。


 このように、照準の時間的余裕が許された第一の銃撃で、オズワルドはわざわざリムジンが街路樹に差しかかったところで引き金を引いたことになっている。
 これは理解に苦しむミスである。

 繰返し想起すべきは、「オズワルドは類いまれなる射撃の名手である」という、ウォーレン報告の描き出す結論である。たとえ共産主義の狂信でアタマがブッ飛んでいたとしても、大統領暗殺の腕前を事実とするかぎり、こと銃の扱いに関して彼はマシーンのように素早く冷静沈着である。
 つまり、オズワルドという「ソ連帰りの男」の不可思議な人物像をどう受け取るとしても、およそ公式説を採用するならば、「奇跡」に頼る以外は、このことだけは事実としなければならないのだ。






※上:海兵隊時代 中・下:ソ連亡命時代のオズワルド。事件当時の写真を含め、どう見ても「凶悪な暗殺者」とは縁遠い印象を受ける相貌をしている。ソ連時代の写真にいたっては、「冷戦下の亡命」という事態の重大性にもかかわらず、緊張感の欠片も感じられず、あたかも青春時代の一葉のようにすら見える。同時に、20歳そこそこで単身ソ連に渡り、こうして人間関係を構築するなど、彼のロシア語能力が相当なレベルであったろうことが推察される。それはさておき、オズワルドはライフルを扱う兵科ではなく、一時は厚木基地にも配属された航空管制担当であったという。短期間にロシア語を習得しえた能力から考えても、内勤での情報処理向きの人物との評価だったのだろう(それにしても、まだ十代と若く学歴もない彼が、どこでいつ、なぜ、そしていかにしてロシア語を学んだのだろう?)。いかに「全ての隊員はライフルマンたれ」を信条とする海兵隊出身であっても、元レーダー手が特級射手のレベルの技能を持っていたとする説明は、明らかに苦しいものがある。しかしウォーレン報告の結論を真と限りは、それが事実となるのである。


 そんな彼が、この第一弾に関して焦る必要は全くない。事前に段ボールで入念に「巣作り」する時間的余裕まであったのである。ディーリープラザに大統領のリムジンが進入してからは、標的をスコープの真中におさめつつ、じっくりとチャンスを待って引き金を引けばいいだけだ。

 当然、立木のような阻害要因は「海兵隊出身のエキスパート級」の射手と目されている彼にとって、現場に入った時点でマーク済みである。いや、そもそもテキサス教科書倉庫会社に事件約一ヶ月前から就労していた彼は、その立木を脇に見ながら、来るべき狙撃の日を念頭に、毎日ビルを出入りしていたのである。


※教科書倉庫ビルと問題の樫の木。現在も当時のまま立っているという。ビルの入り口脇にあって、オズワルドは日々この木を目にしながら出退勤していたわけだ。いずれにせよ、ライフル弾の弾道を変えたほどの木の枝とは太いものに違いなく、だとすれば現在もその痕跡を残しているはずだが、そうした事実は記録されていない。


 その上、先のスナイパーズ・ネストの写真にあったように、彼は銃を構えた腕をもたせかけるための段ボールまで配置している。 それは公式説のとおり大統領を背後から撃つこととなる角度に積まれていた。そこからエルム通りへの視界に立ちはだかるのがこの街路樹なのである。したがって彼がこの木を見落とすことはまず考えられない。

 そうした状況にある彼が、わざわざご丁寧にも街路樹の茂み越しに第一弾を放ったこととされているのである。そんなことが一体ありうるのか?

 まあ、これは非合理で相当に苦しいとは言え、ほかの諸々と同じように「なかったとは言えない」と強弁できるレベルの事柄ではある。そして、そんな「あり得ないわけではない」現象はまだまだ続く。
 しかし、そうしたわずかな確率のことがここまで連続する、そのトータルの確率は一体どういうことになるのだろうか。文字どおり天文学的確率となる違いない。

 さらに、この記事で書いている程度のことは、この事件の疑惑全体のほんの一部にすぎないことにも留意してほしい。
 その点で映画「JFK」は、さまざまな問題も含みつつ、陰謀の全体像を説得力をもって描き出したという点で、やはり勇気ある優れた映画であった。この事件を扱った最近の駄作「パークランド」などは比較にも値しない。ぜひ多くの人にご覧いただきたい。

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