○同乗の三人はいずれも、銃撃の間に「暗殺者は複数」だと感じ取った
ここまでの「音」にすればわずか一回だけの銃撃に対して、先述のとおり被弾したコナリー州知事が咄嗟に「My God, they are going to kill us all」と叫んだのを、ネリー夫人は聞いている。
ここで重要なのは、射撃の主体が複数形「they」で表現されていることである。
この言葉を知事が発したのは「second shot」による被弾後のものであるが、先に見た知事の証言によれば、彼は衝撃のみを感じ、二回目の銃声は聞いていないのだから、「they are going to kill us all」、すなわち狙撃手が「they」であるとの判断までには、銃声(ないし「音」)は一回のみであったことになる。
彼によれば、最初の銃声があってから右を振り返り、反対に左を振り返ろうとしたところで被弾の衝撃を受けている。つまりある程度の間隔を置いた被弾で、しかも銃声自体は一回。それを直ちに複数からの狙撃と判断した。これはタイミングからして、思考を介さない瞬時の感覚的判断であっただろう。
そしてネリー夫人は、ジャクリーン夫人が上述のように「first shot」のあとで「Jack, they have killed my husband」と、同じく暗殺者を「they」と複数形で語るのを耳にしている。さらに大統領の頭部被弾後にも、ジャクリーン夫人は「They have killed my husband」と繰り返していたという。
このようにネリー夫人の証言によれば、コナリー知事やジャクリーン夫人は、大統領の最初の被弾時点で銃撃は複数箇所からだった感じ取ったのであり、特にジャクリーン夫人に至っては、三発目のあとでは無意識に繰り返し叫ぶほど、そのことが強く印象づけられていたことがわかる。
そして、これら同乗者の発言を何の違和感もなく語っているところから見て、ネリー夫人にとってもおそらく「暗殺者は複数」と感知されていたに違いない。最初の「音」を以降の銃声とは異なるものと感じたという発言からも、そのことが推察される。
さらに穿った見方をすれば、大統領の言動を問う質問に対して、ここで夫人がそれとは直接関係のない同乗者の発した言葉をあえて語っているのは、夫人自身が「狙撃手が複数だった」とはっきり認識していたこと、従って委員会がごり押ししていた単独犯行などありえないと考えていたことの、遠回しの主張だったのではないか。
事件後二・三ヶ月のこの聴聞会の段階で、すでに事件をオズワルトの単独犯行とする見方は圧倒的に支配的であり、それを疑う声などごく一部のものに過ぎなかった。
陰謀の存在がはじめて米国社会においてセンセーションを巻き起こすのは、映画「JFK」で有名なジム・ギャリソン検事による裁判だったとされる(1969年結審)。この公聴会が開かれたのはギャリソンの裁判に先立つ数年前のことである。
こうした中、委員会の調査がすでに「オズワルドありき」で進んでいて、それに反する意見を言いにくい空気があったことは想像に難くない。
国は挙げて大統領の死の哀しみの中にある。その死は狂信的な一人のコミュニストの憎むべき犯罪によるものであった。それが科学的調査の結果である――これが公式見解であって、ほとんどのアメリカ国民は従順にそのように信じ、事態を納得しようとしている。これに抗うような意見は、よほどの覚悟がないと表明できなかったであろう。
さらに、それが実際に身の危険をも意味する行為であったことは、その後の出来事が証明している。映画「ダラスの熱い日」の末尾で、公式説に反する証言をした事件の目撃者の多くが短期間のうちに不審死を遂げていることが告発されていた。
*映画「ダラスの熱い日」のエンドロール前 殺された目撃者たち
例えば現に、銃撃開始の瞬間に危機を察知し、射撃の主を表現して「やつら(they)」と叫んだコナリー知事は、夫人の証言によるなら明らかに単独犯行にとどまらない何かを感じ取っているが、そのことは自身の聴聞の場ではおくびにも出していない。
思えば、この瞬間に関する彼の証言は
「最初の銃声を聞いただけで暗殺だとわかった」
「そこで右を振り返ったが、大統領が見えなかった」
「そこで今度は左に振り返ろうとした」
「しかし大統領を見る前に自分が被弾した」
という、何かひっかかりが感じられる不自然なものであった。
実際のところ、証言にある知事のこの動作は不自然で、想像するのが難しい。
大統領から見て斜め左前方に位置する幅の狭いジャンプシートに着座していたにも関わらず、「右を振り向いて大統領が見えず、そのため左を向く」ということがありうるのか?
*事件前及び後のリムジン。知事夫妻がかけていた前列のジャンプシートが、大統領夫妻が座っていたリアシートよりかなり内側に寄って設置されていることが見て取れる。この配置で、知事は「左を振り返って大統領を見ようとした」のだという。
ここまでの「音」にすればわずか一回だけの銃撃に対して、先述のとおり被弾したコナリー州知事が咄嗟に「My God, they are going to kill us all」と叫んだのを、ネリー夫人は聞いている。
ここで重要なのは、射撃の主体が複数形「they」で表現されていることである。
この言葉を知事が発したのは「second shot」による被弾後のものであるが、先に見た知事の証言によれば、彼は衝撃のみを感じ、二回目の銃声は聞いていないのだから、「they are going to kill us all」、すなわち狙撃手が「they」であるとの判断までには、銃声(ないし「音」)は一回のみであったことになる。
彼によれば、最初の銃声があってから右を振り返り、反対に左を振り返ろうとしたところで被弾の衝撃を受けている。つまりある程度の間隔を置いた被弾で、しかも銃声自体は一回。それを直ちに複数からの狙撃と判断した。これはタイミングからして、思考を介さない瞬時の感覚的判断であっただろう。
そしてネリー夫人は、ジャクリーン夫人が上述のように「first shot」のあとで「Jack, they have killed my husband」と、同じく暗殺者を「they」と複数形で語るのを耳にしている。さらに大統領の頭部被弾後にも、ジャクリーン夫人は「They have killed my husband」と繰り返していたという。
このようにネリー夫人の証言によれば、コナリー知事やジャクリーン夫人は、大統領の最初の被弾時点で銃撃は複数箇所からだった感じ取ったのであり、特にジャクリーン夫人に至っては、三発目のあとでは無意識に繰り返し叫ぶほど、そのことが強く印象づけられていたことがわかる。
(もっとも、代名詞を使用頻度がきわめて強い英語においては、その多くを省略する日本語に比べれば人称代名詞はずっと意味合いが軽く、多くが意味上は形式的なものである。したがって、彼らが本当に「複数」と認識してそれを表現したのかは、筆者の拙い英語力ではそのニュアンスが判断できない。「誰かわからない者から撃たれた」というとき、形式主語を用いてこう表現するものなのかもしれない。ここでは「複数だと感知した」ということにして論じていくが、誤っているようならこの項は削除するので、ご教示いただきたい。)
そして、これら同乗者の発言を何の違和感もなく語っているところから見て、ネリー夫人にとってもおそらく「暗殺者は複数」と感知されていたに違いない。最初の「音」を以降の銃声とは異なるものと感じたという発言からも、そのことが推察される。
さらに穿った見方をすれば、大統領の言動を問う質問に対して、ここで夫人がそれとは直接関係のない同乗者の発した言葉をあえて語っているのは、夫人自身が「狙撃手が複数だった」とはっきり認識していたこと、従って委員会がごり押ししていた単独犯行などありえないと考えていたことの、遠回しの主張だったのではないか。
事件後二・三ヶ月のこの聴聞会の段階で、すでに事件をオズワルトの単独犯行とする見方は圧倒的に支配的であり、それを疑う声などごく一部のものに過ぎなかった。
陰謀の存在がはじめて米国社会においてセンセーションを巻き起こすのは、映画「JFK」で有名なジム・ギャリソン検事による裁判だったとされる(1969年結審)。この公聴会が開かれたのはギャリソンの裁判に先立つ数年前のことである。
こうした中、委員会の調査がすでに「オズワルドありき」で進んでいて、それに反する意見を言いにくい空気があったことは想像に難くない。
国は挙げて大統領の死の哀しみの中にある。その死は狂信的な一人のコミュニストの憎むべき犯罪によるものであった。それが科学的調査の結果である――これが公式見解であって、ほとんどのアメリカ国民は従順にそのように信じ、事態を納得しようとしている。これに抗うような意見は、よほどの覚悟がないと表明できなかったであろう。
さらに、それが実際に身の危険をも意味する行為であったことは、その後の出来事が証明している。映画「ダラスの熱い日」の末尾で、公式説に反する証言をした事件の目撃者の多くが短期間のうちに不審死を遂げていることが告発されていた。
*映画「ダラスの熱い日」のエンドロール前 殺された目撃者たち
例えば現に、銃撃開始の瞬間に危機を察知し、射撃の主を表現して「やつら(they)」と叫んだコナリー知事は、夫人の証言によるなら明らかに単独犯行にとどまらない何かを感じ取っているが、そのことは自身の聴聞の場ではおくびにも出していない。
思えば、この瞬間に関する彼の証言は
「最初の銃声を聞いただけで暗殺だとわかった」
「そこで右を振り返ったが、大統領が見えなかった」
「そこで今度は左に振り返ろうとした」
「しかし大統領を見る前に自分が被弾した」
という、何かひっかかりが感じられる不自然なものであった。
実際のところ、証言にある知事のこの動作は不自然で、想像するのが難しい。
大統領から見て斜め左前方に位置する幅の狭いジャンプシートに着座していたにも関わらず、「右を振り向いて大統領が見えず、そのため左を向く」ということがありうるのか?
*事件前及び後のリムジン。知事夫妻がかけていた前列のジャンプシートが、大統領夫妻が座っていたリアシートよりかなり内側に寄って設置されていることが見て取れる。この配置で、知事は「左を振り返って大統領を見ようとした」のだという。
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