いや、びっくりしました。
灯油が切れてしまったのでめんどくさいけどガソリンスタンドまでポリタンクをかかえて行ったところ、18リッターで1350円。なんだソリャ?
地球環境のため、そして灯油を買いに行くのがめんどくさいため、温風ヒーターは最低温度に設定してこの冬二回目の灯油購入。
いや、びっくりでした。去年は900円くらいで「高えな」とか思っていたのに。世界情勢がわれわれの家計を直撃するというのをちょっと実感した次第。
それにしても、これはかなり偏屈なように聞こえると思いますが、地球環境を考えるとなるべく化石燃料の使用は抑えたいもの。でも寒いのはイヤだし、ジレンマですね。
というのは、このぼくらが生かしてくれているこの酸素大気は、生物進化の歴史の中で、酸素発生型光合成生物の出現から現在まで27億年(!)くらいをかけて用意されたものであると、いまの科学では言われています。
なんだかわれわれの勝手にできるかのようにふつうには思われているこの酸素大気が、こういうかたちで吸えるためには、ものすごい地球環境と生物進化の歴史の積み重ねがあるわけですね。
だから、ぼくらのちょっとした短期的な便利さのためにこれを破壊してしまうのは、自分の首を絞めるような気がして、ぜひやめたいと思うのです。
まあといあえず必要最小限ということで。いちいち目くじらを立てていたらキリがありませんし、つらくなるだけですから…
しかし、しょうがないとは思うのですが、たとえばクルマ。
人一人が移動するのに何十リッターのガソリンを浪費するのはどうかと思ってしまう。
でもそういう消費生活をするのが当然の権利のように思われていて、これは難しいなと思います。
地球環境をなんとかするためには、そういう本質的には錯覚だけれども常識的にはじつによくわかる当然の権利意識、つまり心の動機やら欲求やらの側をなんとかしていく必要があるのでしょう。しかしどうやって?
前述の恐怖心の抑圧ということから考えると、環境の危機をいくら叫んでみても、状況をよくするのにほとんど実効性がないのではないかと思われてしまいます。
だって、自分が現にそうやっているとおり、聞きたくない情報は一般的に人の心に入らないですから。
また、実際に世の中そういうことになっているように見えます。
やっぱりそういう「当然の権利意識」が自明の前提として営まれている教育を、何とかする必要があるのでしょう。
権利とはそれを成り立たせているいろんな条件に配慮することによってはじめて享受できるものだということ。その条件のためには権利はとうぜん制限されることがありうるということ。
そこがおさえられていないと、権利要求がただのワガママの自己弁護になってしまうのに一歩もかからないということになってしまう。
しかし現状自分がやっていることはバスの配車。大量の軽油の使用の上に成り立っているわけですね。
ウーム…どうしたものか。
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灯油が切れてしまったのでめんどくさいけどガソリンスタンドまでポリタンクをかかえて行ったところ、18リッターで1350円。なんだソリャ?
地球環境のため、そして灯油を買いに行くのがめんどくさいため、温風ヒーターは最低温度に設定してこの冬二回目の灯油購入。
いや、びっくりでした。去年は900円くらいで「高えな」とか思っていたのに。世界情勢がわれわれの家計を直撃するというのをちょっと実感した次第。
それにしても、これはかなり偏屈なように聞こえると思いますが、地球環境を考えるとなるべく化石燃料の使用は抑えたいもの。でも寒いのはイヤだし、ジレンマですね。
というのは、このぼくらが生かしてくれているこの酸素大気は、生物進化の歴史の中で、酸素発生型光合成生物の出現から現在まで27億年(!)くらいをかけて用意されたものであると、いまの科学では言われています。
なんだかわれわれの勝手にできるかのようにふつうには思われているこの酸素大気が、こういうかたちで吸えるためには、ものすごい地球環境と生物進化の歴史の積み重ねがあるわけですね。
だから、ぼくらのちょっとした短期的な便利さのためにこれを破壊してしまうのは、自分の首を絞めるような気がして、ぜひやめたいと思うのです。
まあといあえず必要最小限ということで。いちいち目くじらを立てていたらキリがありませんし、つらくなるだけですから…
しかし、しょうがないとは思うのですが、たとえばクルマ。
人一人が移動するのに何十リッターのガソリンを浪費するのはどうかと思ってしまう。
でもそういう消費生活をするのが当然の権利のように思われていて、これは難しいなと思います。
地球環境をなんとかするためには、そういう本質的には錯覚だけれども常識的にはじつによくわかる当然の権利意識、つまり心の動機やら欲求やらの側をなんとかしていく必要があるのでしょう。しかしどうやって?
前述の恐怖心の抑圧ということから考えると、環境の危機をいくら叫んでみても、状況をよくするのにほとんど実効性がないのではないかと思われてしまいます。
だって、自分が現にそうやっているとおり、聞きたくない情報は一般的に人の心に入らないですから。
また、実際に世の中そういうことになっているように見えます。
やっぱりそういう「当然の権利意識」が自明の前提として営まれている教育を、何とかする必要があるのでしょう。
権利とはそれを成り立たせているいろんな条件に配慮することによってはじめて享受できるものだということ。その条件のためには権利はとうぜん制限されることがありうるということ。
そこがおさえられていないと、権利要求がただのワガママの自己弁護になってしまうのに一歩もかからないということになってしまう。
しかし現状自分がやっていることはバスの配車。大量の軽油の使用の上に成り立っているわけですね。
ウーム…どうしたものか。
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私もなるべくたくさん着込んで我慢するのですが、結局は寒さに負けてヒーターのスイッチをぽちっと押してしまいます。
やっぱり「自分」はかわいいもんで、なかなか自然環境のことまで考えられないんですね。
修行が足りないっす。
「分かっちゃいるけどやめられない」
この意識、なんとかしたいものです。
環境問題って、怖い上にたしかに痛い。それについてなにか語ったりするときに、どうしても自分の生活が省みられてしまうからです。そのことに真剣に直面して悩んでたりしたら、何をするにもそこら中にいわば地雷が埋まっている状態で、社会生活がもちません。なので私もごまかしごまかし生きてますけど、だいたいみんなそんな感じじゃないですかね。みんながそうだからといって、正しいということじゃないんでしょうけどね。
ヒーター、灯油が切れてそのままにしていたら(地球環境を考えてではむろんありません。めんどくさくて)すごい寒くなってきました。うう…
なんて、自分は具体的行動を起こしていませんが・・・
最近は、レジ袋を極力もらわないようにしています。
焼け石に水かぁ・・・
政府が、国民に現実の危機的なデータを提示すれば、国民の意識も変わるんでしょうけど、現実的ではないですよね。政府も見て見ぬ振りが現状なんだと思います・・・。
バスの配車、自己非難なさらないでくださいね。キレイごとではなく、立派に市民の人たちのお役に立っていると思いますよ。