あひる町の住人~兼業画家ライフ~

兼業画家をしています。高知在住。にゃんず・釣りやギター・ハシビロコウネタ、など、悲喜こもごもの土佐日記です。

彦太郎じいちゃんの竹とんぼ

2015年07月15日 | 【わたくしごと】

夏の特別企画
彦太郎じいちゃんの竹とんぼ



私と似たタイプの祖父がいました。
2003年、老衰で亡くなった『彦太郎じいちゃん』 99歳でした。

髪の毛はふさふさで男前な死に顔でした。

群馬に住んでいた祖父は 、物静かで無口。親戚が集まってワイワイ話しているのをじっと見守るひとでした。

おばあちゃんは私が生まれた1967年に他界し、38年間ずっと祖父はひとり。
思えばいつもさびしそうでした。


僕はじいちゃんの亡骸に語りかけるように
思い出の『竹とんぼ』の話をしました。

親戚は「そんなことがあったの」と驚き、涙を流しておりました。

今回はそんな話を綴ります。




【じいちゃんとのはじめての会話】


僕の幼少の頃は無表情で無口…なにをしてもけだるい毎日。
そんな小学生の私の唯一の楽しみが1年で数日間ありました。

それは『夏休み、彦太郎じいちゃんの家に行く』ことでした。

軽井沢の隣の町の松井田という場所。
「彦太郎じいちゃんの家」は
自然がいっぱいで、森と川に囲まれた家。



うるさいくらいのセミの鳴き声。
毎日、近くの碓井川で釣りと水浴び、セミとりカブトムシとり。



東京の私の家とは比べ物にならないほど涼しく広い家。

やさしく無口な彦太郎じいちゃんと
私をめちゃくちゃかわいがってくれる若いおばさんとおじさん。

・・・大好きな田舎でした。


夏休み、家族で一緒に車で群馬まで行き 2日間滞在。
そして両親と妹は家に帰っていき、僕だけがいつもぽつんと田舎に残りました。

田舎に来れば、約一ヶ月間親から離れて暮らす私の自由なオアシス。
もちろん宿題も持ってきていません。

親が迎えに来なければいいと本気で思っておりました。


子供の頃は夏が永遠に感じられましたよね、なんて贅沢な日々だったのでしょう。


・・・そんな群馬の夏休みが楽しみでした。


彦太郎じいちゃんとの会話は一切ありませんでしたが、
いつも遠くで見守ってくれているのがわかりました。

きっと川遊びの時も、こっそり見ていたかもしれません。


幼心にも「じいちゃんと何か話したいなぁ」 という気持ちはありましたが、
もともと僕も人と話すのは苦手で、何を話していいかわかりませんでした。

結局、何年間も話せず夏は過ぎていきました。



そして、ある日・・・・夢中でセミ取りをしている私に
彦太郎じいちゃんが声をかけてきました。

『・・・・竹とんぼって知ってるか』


祖父と会話をするのは初めてだったのと、「竹とんぼ」のことを考えて
小学生の僕は、胸がどきどきしました。

コクリとうなずくのが精一杯でした…



【飛ばそう! 】


「竹とんぼ、一緒に作ろうか」

しゃがれた声でじいちゃんは言いました。
とてもやさしい声でした。

じいちゃんが縁側を指差したので
僕はちょこんとそこで座って待っていました。


近くの竹林に行き、大きな青く太い竹をバッサバッサと切り、小分けにしていました。



それを縁側まで持ってきて、スパーンとナタで真っ二つにしました。
私はその手際の良さがあまりにカッコよくて見とれていました。

「よく見ていろよ。おまえも作るんだからな」

じいちゃんは手際良く大きなナタで
竹を小さくしていき、同じ長さにしたあと
小刀でしゃかしゃかと無言で削っていました。
そのとき青い草のにおいがしました。

・・・あっと言う間に竹はペラペラの薄い板になりました。
じいちゃんはさらに小刀で削りこんでいきます。
私は瞬きもせずそのしなやかな動作に見入っておりました。

一枚の板に左右対称の斜め切り込みが入りました。
極限まで薄く削りこみ 竹とんぼらしくなっていきました。

真ん中にキリで穴をあけ
細く削った柄をつけて完成。

そして、じいちゃんは立ち上がりました。

「見てろよ・・・ほれ!」

じいちゃんは両手で竹とんぼを挟みこみ
勢い良くプロペラを回して手を離しました。

『ぶーんっ!!』

竹とんぼはまっすぐ上に向かって
飛んでいきました。
ありえないくらい高く青い空へと・・・


じいちゃんがはじめて声かけてくれたのと
目の前でそれを作ってくれたことが
うれしくてうれしくて感動していました。
目がうるうるしていたと思います。

僕は悲しくて涙は流すことはありませんでしたが
嬉しいと涙がでることになっているようです。



竹とんぼを持ってみると、驚くほど軽く青竹のいい香りがしました。
僕はその美しい竹とんぼをいつまでも飛ばしていました。


『作ってみるか・・・』
私はウンウンとうなずきました。

じいちゃんは小刀の使い方を教えてくれました。
初めて持つ刃物が怖かったのですが 、なによりじいちゃんが一生懸命教えてくれたので うれしくてしかたありませんでした。

しかし、いざ自分で作ってみるとどうしても薄く削れません。
左右対象にもなりません。

僕の作った竹とんぼは
飛ばしてもすぐにぽろりと地面に落ちました。
作れど作れど飛ばない竹とんぼ・・・でも夢中で作りました。


そんな不細工な竹とんぼを見ながら
じいちゃんはいままでにみたことのない笑顔で
「よくできたな、えらいぞ」
と言って、頭をなでてくれました。



物心ついてから、自分で何かを作って褒められたのは初めてだったかもしれません。
ここまで強烈に記憶しているくらいですから。


その後はしばらく
『彦太郎じいちゃんの竹とんぼ』を見ながら
毎日竹とんぼを作っていました。



夏休みが終わる頃には僕が作った竹とんぼも『ぶん!』と、よく飛ぶようになっていました。
セミの声と遠く青い空、青竹の匂い・・・今も鮮明に浮かぶ思い出です。









この体験が私のものつくりの原点かもしれません。
いまでも僕は器用ではありませんが
この体験によって自分でものを作る喜びを知ることができました。

とはいえ、自分の息子にはまだまだ一緒に何かをしていないなぁと気づかされました。
今年の夏は一緒に何かできたらと思います。



※長文読んでいただいてありがとうございます。




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