ものずき烏の無味乾燥?文

ブログ発想 LP/LD/CD コレクション作業 進行中。ジャズばっかしじゃないかと言われたら身も蓋もない。

坂口弘:あさま山荘1972

2005-04-21 | 書籍 の 紹介

『あさま山荘1972』 坂口弘 彩流社

さまざまな事柄を考えさせてくれた著作である。昨年2月に赤羽のBで1冊105円(計315円)の揃いで入手した。
立松和平が自分の作品において、無断で長文の引用をしていまい、訴えられたことは報道で知っていたが、職業作家が参考にするような、"あさま山荘"事件の犯人側の手記本が、たった315円であるのに驚いた。この書籍は今でも、大型書店の社会学専門書コーナーでまだ定価(1900円×3+税)で売られている。

何故にBでこの値段に設定したかを想像してみた。Bの経営者が、政党まで所有する宗教団体の信者(会員)であるらしいという事は、2チャンネルで知っているので、この本は自分の信ずる教団の思想信条に反する左翼本として、最低価格で早めに処分しようとしたのではと、思った。この程度で済むのなら30数年前(藤原公達「...会を切る」)の時のように出版妨害まで突き進むのことはなさそうである。左翼本であろうが右翼本であろうが出版した本は、それなりの命を持っているものなのだから、焚書までは行かんで欲しい。

"あさま山荘"事件の当時は、社会人になったばかりで夜勤明けに仲間と宴会をしながら、TVのライブ中継を見ていた。その時点では一種の思想犯が体制に反抗していると眺めていたが、事件後に発覚した猟奇的ともいえる多くの殺人に、戦慄した。その犯人のひとりが、反省の意味を込め執筆したのが、この手記本である。
好きで読もうとした本ではなかったが、315円という価格の設定で、著者なり出版社なりが気の毒になったのである。フィクションのホーラー小説を読むよりは、恐怖が味わえるというものである。
仲間を総括の名のもとに、殺戮するという行為は、殺人に至らなくても、大なり小なり一般の組織でもありえるのではなかろうか、人間の嫉妬という本能をどのように抑えるかということである。
子母澤寛『新撰組始末記』をたまたま読んでいてから、この3冊を読んだのであるが、新撰組の構成員と連合赤軍の構成員の年代が同じで、仲間を殺戮するという行為も同じであることが、なにか共通している。NHK『新撰組』の描き方が、違うじゃないかと感じたのはわたしだけだろうか。

わたしの分類では、現代史の範疇に入る手記本である。韓国や中国では、歴史認識がどうのこうのと、暴動まで起こして問題にされる。わたしが学校教育で受けた歴史とは、江戸時代に入るかどうかという時点で済んでしまっているが、韓国・中国では現体制の黎明期からが、歴史というものらしい。
歴史をすぐに役立たせるには、現代史から逆に古代へ遡ったほうが、東アジアでは有効と考えると、結果から原因を突き止めるという、論理的に難しい犯罪調査のようになってしまう。
(論理が成立しないときは、自己は棚に上げて、犯人を作って責任転嫁をする。)
戦前の歴史教育は、今のように社会科の一部門としての歴史ではなく、独立して歴史科として存在していたと、坂本太郎の文庫(「菅公と酒」p148 中公文庫1982 "国史として独立"。または「史書を読む」のどちらかで知った。
どこかで提案されているように、東アジアで歴史教育の共同研究をするのであれば、歴史科の格上げをして、近・現代史のウェイトを加えることになるのではなかろうか。
そうなると、現代の政治家なり経営者なりの主導者は、生存中に自分の業績なり罪を清算することになり、生きて裁きを受けることになる。庶民のわたしとしては、望ましいことになるのだが...見守りましょう。
坂口弘『あさま山荘1972[上]』彩流社 1994/01/20 7刷
      『あさま山荘1972[下]』彩流社 1994/02/25 6刷
      『続あさま山荘1972』    彩流社 1995/05/20 1刷

2005/04/21 ものずき烏

飯嶋和一:雷電本紀

2005-04-19 | 書籍 の 紹介
飯嶋和一雷電本紀』(1994)
考証が中途半端じゃない、と感じた時代小説である。
Bで何気なくめくってみて、書き出しの「いきのよいのは、焼け死んだ犬猫に群らがる烏ばかりだった。」に惚れて450円で入手し読み出した、わたしにとって初めての作家である。
内容は表題の示すとおりで、江戸時代に活躍した力士、雷電の話。、かたりべとして、市井の商人(助五郎)が登場する。
浅間山の噴火による飢饉とか江戸の火災など史料を踏まえた、展開である。著者の初めての時代小説とのことであるが、内容が充実していて通俗時代小説のように生半可ではない。
どのくらい事実に基づいているかは判らないが、8割程度は史実ではないだろうか。
かといって、一般読者に疎外感を与えるような古文書の引用はないので安心して読める。
わたしにとって、つらく感じたのは相撲の取り組みの実況風の記述であった。
TVで格闘技の放映がよくなされている昨今、文章だけで記述されるのは、正直つらかった。
作者とわたしは、同年代である。この年代でこれだけの考証を踏まえて、時代小説の書ける作家はまずあるまい。いままで飯嶋和一を知らずにいたのを恥ずかしく想う。
飯嶋和一『雷電本紀』河出文庫 2004/05/20 2刷

2005/04/19 ものずき烏
(参考)
2005-07-15 飯嶋和一:始祖鳥記

中村彰彦:名君の碑

2005-04-11 | 書籍 の 紹介
中村彰彦『名君の碑(保科正之の生涯)』 文春文庫 2001/10/10

 奥州の名君と云えば、上杉鷹山がまず出てくる。保科正之は初代の会津藩主であるが三代目以降は松平を名乗っているので知名度の全国レベルでは多少マイナス。
わたしの蔵書では、貞享改暦の支援者として『澁川春海の研究』(西内雅)に保科正之が登場してくる。貞享改暦に会津藩の安藤有益による「宣明暦」研究が大きなベースになった事は想定できる。春海の改暦成功には、碁による権力への接近とか土守神道の利用が功を奏したと言えるのである。同時期には算聖と言われる関孝和も改暦を図っていたが、春海の成功に対して、研究だけで終わっている。
 こんな前提の知識で、中村彰彦『名君の碑』を読み進めました。秀忠の側室の子として生まれ、高遠の保科家に養子となり、異母兄である家光の目にとまり会津藩を創設することになるのですが、端的に言ってしまうと、幕府という体制の確立に尽力した人物となってしまいました。
正之の生涯につきまとう、正室の側室への嫉妬は、生前の秀忠正室から側室への毒殺、そして正之正室から側室子女への毒殺と繰り返します。この体験が「会津藩家訓」の「婦人女子の言、一切聞くべからず。」の一文として残されます。この一文、正論ととらえるか否か暫し保留。
側室子であることの体験は、同じく家訓に「面々依怙贔屓すべからず。」に顕われているのではと想うが、正之の生涯は、恵まれていたのではなかったのだろうか。家光の人を見る眼があったればこその地位である。そこは名君と呼ばれる人物であるから、熟知したうえで奢らない。「足るを知る」を旨としている。地味な人物となってしまうのである。
 実は『名君の碑』の前に、中公新書の『保科正之』と『保科正之言行録』の二つの評伝は読んでいたのだが印象が薄いのである。鷹山であれば「なせば成る......」とか「してみせて......」とかの発言で記憶に残るのであるが、ちと惜しい。
わたしが期待した貞享改暦の話は、山崎闇斎が正之の晩年に登場するだけで出てこない。
正之は養子から会津藩を創設し、鷹山は養子で上杉藩を中興した。どちらも没後は神社に奉られている。
正之の「藩家訓」が、幕末の会津藩の行動として顕われるとするのが、史家や小説家の手法(定説)となっているようである。保科正之から松平容保まで会津藩では思想心情で大きな変化はなかったことになるのだが、こんな時代だったのだろうか。
『名君の碑』は一般向けの小説となるのであろう。いままで読んだ中村彰彦の小説では『遊撃隊始末』が以前に紹介した「からす組」と関連していて面白かった。しばらく中村彰彦を物色してみようと思う。

2005/04/11 ものずき烏

狩谷棭斎の考証学

2005-04-02 | 書籍 の 紹介
西洋の単位系が入る前に使われていた日本の度量衡を調べたのが狩谷棭斎である。
秦の始皇帝が車軸の長さを決めたり文字を規格化して中国の統一を行ったのは有名な業績であるが、漢の時代、度量衡の定義に音まで持ち出したのは時代が先行しすぎで「漢書」の律暦志を難解にしている。現代の物理学であれば音で度量衡を定義するのも可能なのであろう。
狩谷棭斎は江戸時代に、考証学と云う手法で度量衡を解き明かそうとしている。この考証学というやつは、参考文献がやたらと出てくる。中国の考証学なら、そもそも初めから知らないから、そんなもんだろうで済むのであるが、日本の考証学であるからして、日本は元より中国の文献まで登場してくる。いやはや読者(わたし)の知識のなさが痛感させられるのである。おかげで上巻の3分の1程度しか読んでいない。
何ゆえに、こんな難解な本を購入したかと問われれば暦法の理解のためなのである。直接に暦法に関わる内容ではないのであるが、暦法の定数の定義に「漢書」相当に音律とか度量衡が登場することがあるから、まあ手元に置いておけば読む本がなくなったときに頁をめくることもあるだろうという気休めなのである。
CGS、MKS単位系のありがたさが実感できる度量衡の話である。
狩谷棭斎(著) 冨谷至(校注)
『本朝度量権衡攷1』 東洋文庫 537   1991/08/09
『本朝度量権衡攷2』 東洋文庫 546   1992/03/10

2005/04/02 ものずき烏
かりやえきさいえきの漢字が文字化けする。
で表示している"えき"の漢字は である。
入力できるのに表示が化けるのが、気に入らぬ。
FireFox, Netscape (EUC-JP) でOk。InternetExproler (EUC) でNG
... gooブログ と InternetExprolerの場合? ( → 保留 )


水路部:こよみ便利帳

2005-03-29 | 書籍 の 紹介
春分の日、秋分の日を算出するだけならこの書籍で十分である。月を含めて太陽系の天体位置計算ができる。年・月・日でのユリウス通日を与えて、級数展開された計算式を解くだけで天体の位置が求まる。

わたしは級数展開された式を機械的に解くのを好まず、精度は落ちるが処理は幾分速い、三角関数で組み立てられた天体位置計算(斉藤国治「古天文学」)が好きである。
精度を必要とするときは、この本の計算式を使う。

暦計算研究会とは、海上保安庁水路部に組織されるグループである。
暦計算研究会『 こよみ便利帳 』
        恒星社厚生閣 1985/4/5 2刷
暦計算研究会『新こよみ便利帳』
        恒星社厚生閣 1991/4/5

2005/03/29 ものずき烏

佐藤政次:暦学史大全

2005-03-28 | 書籍 の 紹介

佐藤政次(編著)『 暦学史大全 』 駿河台出版社 1977/01/20


史料という物は、掘り起こさねば人の目にはふれないし、歴史という物は、常に見直さなければ、後世に伝えられない物なのであろう。
好事家が、資料を収集し編纂した書籍である。薮内清、小川清彦、桃裕行、渡邊敏夫、上田譲、前山仁郎 などなどの論文が6~7割含まれている。
神田茂の自宅に日参して、暦の資料を書き写したと聴いたこともある、印刷所も含めた意味での、大変な労作である。
オリジナルの論文が入手困難であるときに、役立つ便利な本であるが、引用には十分な注意を必要とする。
なおこの『暦学史大全』は、同編著者の『日本暦学史』を拡張したものである。

2005/03/28 ものずき烏

渡邊敏夫(暦・天文学者)

2005-03-24 | 書籍 の 紹介
「日本の暦」
 『天文学の応用』鈴木敬信(編)恒星社厚生閣 1958/02/28
「江戸時代の天文観測技術」
 『天文学の歴史』薮内清(編)  恒星社厚生閣 1968/05/30 2	
『暦(こよみ)』                恒星社厚生閣 1937/11/16
『数理天文学』         恒星社厚生閣 1973/09/15
『近世日本天文学史1通史』      恒星社厚生閣 1986/06/25
『近世日本天文学史2観測技術史』恒星社厚生閣 1987/01/15
『近世日本科学史と麻田剛立』    雄山閣出版   1983/05/10	
『日本の暦』                    雄山閣出版   1994/10/24 復刻
『暦のすべて』                  雄山閣出版   1979/11/05

精力的に日本の暦書を調査した、天文学者の渡邊敏夫である。数理に明るく戦前から暦法計算の著作がある。『日本の暦』は現存する暦書に関する唯一の著作であろう。所属していた大学(東京商船大)によるものか、江戸時代の観測技術についての著述は、他者の追従を許さない。『近世日本天文学史』は調査資料の多さに驚かされる。『近世日本科学史と麻田剛立』は、著者が戦時中に刊行した『間重富とその一家』を発展させたものである。寛政暦で採用された消長法の解説がなされている。寛政暦の制定には、麻田剛立の門下(高橋至時,間重富)があたっていて、麻田の消長法はそのまま取り入れられている。寛政暦は、西洋天文学での天体位置計算を日本人が独自に考えて、中国式の太陰太陽暦を組み立てたもので、わたしは一つの完成形と見ている。後の天保壬寅暦では黄道位置による定気を採用し暦法としての洗練さが失われてしまった。そんな意味で、わたしにとって『近世日本科学史と麻田剛立』は貴重な書籍である。

2005/03/24 ものずき烏

広瀬秀雄(天文学者)

2005-03-22 | 書籍 の 紹介
暦 (編)               ダイヤモンド社 1974/12/12
日本史小百科:暦      (近藤出版社)   1990/02/25
                      東京堂出版
天動説から地動説へ  国土社         1985/08/15 4刷
年・月・日の天文学  中央公論社     1973/05/01
日本人の天文観    NHKブックス 167   1972/10/20	
太陽・月・星と日本人  雄山閣出版     1979/03/20 2刷
東京天文台台長を勤めた、広瀬秀雄である。戦時中から暦学に興味を持ち、近藤出版の「暦」でその集大成を行った。この分野での広瀬の先学には、「日本天文史料」を編纂した神田茂がいる。古文書に関する知識も相当なもので、史料編纂所の桃裕行とも交流があったようである。内田正男「日本暦日原典」の成立には相当の支援を発揮したと想像される。
実に幅が広い。コペルニクスという西洋天文学者から物理、数学、さらに古事記、はては民俗学までと、広瀬秀雄の興味は尽きない。たしか「関孝和全集」にも関わっていたし岩波の日本思想大系(近代科学、洋学)にも関わっていた。

わたしが暦法計算にのめり込んだ期間と、広瀬秀雄の生存していた期間とが、重複していないので、コレクション数は少ないが、手持ちの著作を眺めただけでも、奥の深さと広がりが感じられる。

2005/03/22 ものずき烏

内田正男(暦学家)etc.

2005-03-21 | 書籍 の 紹介

内田正男、能田忠亮、コンピュータ

「日本の暦」                        
 『暦』広瀬秀雄(編)        ダイヤモンド社 1974/12/12
『暦の語る日本の歴史』      そしえて       1978/03/01
『こよみと天文・今昔』      丸善           1981/12/25
「日本の暦法」
  『天文学史』中山茂(編)    恒星社厚生閣   1982/01/25
『暦と時の事典』            雄山閣出版     1986/05/05
『日本暦日原典』            雄山閣出版     1975/07/10
『暦と日本人』              雄山閣出版     1976/02/10 2刷
『暦のはなし十二ヵ月』      雄山閣出版     1991/12/05
広瀬秀雄、前山仁郎、桃裕行による宣明暦の研究は、前山仁郎の物故により頓挫しかけたのであるが、内田正男の努力により『日本暦日原典』として結実した。この暦日表は従来使用されていた『三正綜覧』の不備を補い、まさしく原典としての存在価値を高めている。桃裕行亡き後、古典籍による施行暦日との照合は内田正男により継続されており、その成果は『日本暦日原典』の改版(現在4版)に反映されている。先学の成果を踏まえての堅実な研究であることが、書籍リストからうかがえる。その分、新しい研究テーマを想起することは少ないが、日本の暦を考える上での基幹文献といえる。

内田正男の代表的著作は言うまでもなく『日本暦日原典』である。ところがこの著作、新刊では時々、在庫切れを起こすのである。わたしが捜し求めたのもそのタイミングであった。神保町で探しあぐね、見付けたのが池袋の八勝堂書店である。第3版が出ていた時期であったが初版であった。暦法計算には初版で十分であると判断し、高価であったが入手した。その本に挟まっていたのが右図の読者カードと名刺。新城新蔵門下で、薮内清の先輩にあたる人物である。能田氏がお亡くなりになり、遺族が蔵書の整理をして関東に流れたものと思う。古書店でこんな物にまで価値を見いだし値段を付けたのではあるまいし、まあ、面白い物が挟まっていたものである。次に能田忠亮の著作を挙げる。なお代表的著作としては「東洋天文学史論叢」がある。
『暦と迷信』               英進社       1949/04/25
「天文年代学」
 『天文学の応用』鈴木敬信(編) 恒星社厚生閣 1958/02/28
『暦』                         至文堂       1958/06/20
『漢書律暦志の研究』復刻版     臨川書店     1979/02/15
 薮内清(共著)

『日本暦日原典』に話を戻す。初版には次のような附録が添付されている。以降の版には無いと思う。事実4版を手に取ったが無かった。円形の計算尺によりヒントを得たと思える干支と暦日の換算具である。OKITAC 5090D のプログラミングで苦労をなされた著者のアイデアと想うが、漢字も画像も音も使える今の環境なら如何に、『日本暦日原典』を作り上げたのであろうか?
なお『日本暦日原典』を購入する際には、必ず最新版をお求め下さい。暦日編の古典籍との照査は勿論、暦法編においても微妙な改訂が行われています。



2005/03/21 ものずき烏

(2005/03/20)復刊ドットコムで『暦の語る日本の歴史』の印刷所情報を求めていたので提供した。

山田慶児(科学史家)

2005-03-20 | 書籍 の 紹介
山田慶児『授時暦の道』-中国中世の科学と国家- みすず書房 1980/4/20

「薮内清」の読書傾向は、その後継である「山田慶児」へと繋がっている。表題のはそのなかで一番好きな書籍である。ただし、わたしが求めている暦法の計算までは出ていない。中国暦法の最高傑作「授時暦」とその周辺のお話である。
中国の暦法は、皇帝の権威の象徴としての意味を持っている。日食が朔日に起こらなければ、天より統治を委託されている皇帝の不徳とされ、暦法の草案者は処分される。これは、清朝が滅ぶまで続く。明末に西洋天文学が参入するまで授時暦は大統暦と名を代え、最長の施行期間を誇っている。この授時暦は本邦に伝わり渋川春海の貞享暦に改訂されている。
この書籍で直接、授時暦にかかわるのは3分の1程度であるが、中国における暦法の位置づけが唐代から詳細に文献を挙げて説明されているので大変参考になる。

下記に、集めてしまった山田慶児の書籍リストを掲げる。(6) はぜんぜん理解できず。(8)、(9) は過去に雑誌などに執筆したものを集積したとの事であるが、(8)のアルミニュウムに関する記述は、その後中国で発掘の状況が発表されているので、訂正すべきであろう。
( ..薮内清『科学史からみた中国文明』NHKブックス406 1983/02/01 )
1.朱子の自然学                    岩波書店         1978/04/10
2.中国医学はいかにつくられたか    岩波新書 新赤599 1999/01/20
3.星界の報告 ガリレイ             岩波文庫 青906-5 1976/10/18
    山田慶児/谷泰(訳)
4.復元 水運儀象台                 新曜社           1997/03/15
    山田慶児/土屋栄夫
5.中国の科学 世界の名著(新装版)12 中央公論社       1988/09/20 2刷
    薮内清/大矢真一/川勝義雄/橋本敬造/山田慶児 他
6.三浦梅園   日本の名著(新装版)20 中央公論社       1984/02/20
    山田慶児(解説)
7.混沌の海へ                      朝日選書 207     1982/06/20	
8.制作する行為としての技術        朝日新聞社       1991/09/25		
9.本草と夢と錬金術と              朝日新聞社       1997/03/25

2005/03/20 ものずき烏

平山清次:暦法及時法

2005-03-17 | 書籍 の 紹介
暦法及時法』改定増補版 昭和十三年八月二十五日発行 定價二圓三十錢
著者  平山清次
發行者 土居客郎
印刷者 石上文七郎
發行所 東京芝区南佐久間町二ノ四 恒星社
發賣所 東京市麹町区六番町六   厚生閣

戦前の本で珍しかろうと思うので奥付を書き写してみた。麹町区とは今の千代田区であり、芝区とは港区なのだがなぜ芝区には"市"の字が抜けているのかわからない。本文にもページの順が逆になっている箇所があり、読んでいて文がつながらないので不思議に思ったこともある。読むだけでなく、いたるところを眺めると当時の出版とか時代状況が覗けそうで興味深い。当時は出版が統制品扱いで印刷用紙なども認可を得ないと入手出来なくなりつつあったように聞いている。終戦直後の暦法関係の本も持っているが、その用紙たるや藁半紙でその藁が浮き上がっていて補修してからでないと頁がめくれそうもないくらいひどいものなのである。それに比べたら用紙の質はそれほど悪くなく製本もしっかりしている。大正時代に出版された本は、函に入っているにもかかわらず天金と云って本の上部(小口)に金箔処理されている物まである、大正はひとつのバブル景気だったのではと思ったりする。( この金箔は本を立てて置いたとき埃が積もるので、息を吹きかけて埃を取り除くためにあると云う。 ) 古本( ブックオフにはない古本 )はこんな面白さもある。参考までにこの本の購入価格は2500円(叢文閣書店1992/12/08)。雑談はこの辺で〆。

暦に関する疑問はこの一冊で十分だと思える戦前に発行された、一般向けの図書である。著者は東京天文台職員で太陽系の小惑星の研究で業績がある天文学者である。暦法の研究は京都帝大と東京帝大で盛んに行われたようである。京都は清朝が滅ぶときに羅振玉とか王国維が参入したくらいだから中国天文学が盛んになった。東京帝大には旧幕府天文方の資料が身近にあったので暦法の研究が行われた。平山清次は天文学者であると同時に暦法学者でもあった。元:授時暦の講義が「明治前日本天文学史」に掲載されているが、授時暦から本邦初の暦法である貞享暦に進む予定であったのではと思う。暦・天文学者の平山清次は、世界標準時を取り決める国際会議にも出席している。そんな理由からかこの本は、現行の太陽暦の改暦問題とか、古代の時刻制とか、夏時間の考え方まで書かれている。説明するのも面倒なので目次を列挙します。
/ 太陽暦 / 太陰暦 / 支那暦とギリシャ暦 / フランス共和暦 / 暦法改良案の分類及び評論 / 世界暦 / 週について / ロシヤの週制 / 日本に行われたる時刻法 / 月と時 / 常用時の改良に就いて / 時間の現在 / 二十四時通算法の可否 / 時の話 / 付録1、命数法の可否 / 付録2、尺貫法を保存せよ / 付録3、度量衡と暦の改正
もちろん時代が時代ですから、現代にそぐわないこともありますが、暦とか時の考え方は平山清次のこの「暦法及時法」に尽きると思います。

没後50年以上を経過し著作権も消えてしまい、戦後復刻もされないようです。わたしがTURBO Pascalで暦法計算のプログラムを作っていて停滞したとき、勉強の意味でこの本をタイプ入力しました。全文の見直しができたら、平山清次の同郷の好で青空文庫にでも提供しようかと思ったりします。

なお、日本に行われたる時刻法は橋本万平『日本の時刻制度』、斉藤国治『古代の時刻制度』と研究が受け継がれました。

2005/03/17 ものずき烏
(2005/04/04)
まだ2ヶ所未入力がありますが、平山清次『増補版 暦法及時法』 は、タイプ入力してあります。

ニコラス・ヴィルト:PASCAL

2005-03-16 | 書籍 の 紹介
1.『アルゴリズム+データ構造=プログラム
                            PASCAL』
   Niklaus Wirth(著)片山卓也(訳) 科学技術出版社 1979/12/15
2.「プログラム言語Pascal」
   和田英一                      共立出版bit誌  1976/04/01
3.「算法入門・Pascal文法」
   森口繁一/小林光夫/武市正人    共立出版bit誌  1978/06/01
4.『翻訳系構成法序論』
   Niklaus Wirth(著)筧捷彦(訳)   近代科学社     1990/02/10
5.『アルゴリズム+データ構造=プログラム 2版
                             Modula2』
   Niklaus Wirth(著)浦昭二/国附方久史(訳)
                                 近代科学社     1990/09/25

プログラムっていうのはこうやって作るんだ!と納得したのが ( 1 )『アルゴリズム+データ構造=プログラム』である。
これ以前から、業務でFortranとかアセンブラーという言語で、プログラムを記述していたのだが、この本とPascalでプログラマーの意識が目覚めた。

工場の一部門でコンピュータを業務としていたのだが。"でたらめな人事"で、プログラムはともかく、工場の本業すら知らぬ、というよりも肉体労働を軽蔑している、神経質なのか妙にときどき声が裏返る、金切り声の男が係長で就任した。この男、言っている表面的理屈は判るのだが、「己が召集した会議で議事内容が理解できず、居眠りを平気でこく」ような、実体を伴っていない男であったので、わたしのストレスが溜まりに溜まった。結局この男と衝突し、技術部長(兼務)から子会社に追放された。
( ..ここで課長という職位は登場していないが、これも工場嫌いか、月に一度会議と称して訪れるだけの本社部門と兼務で、占有スペースを持っていた工場のコンピュータ部門は、ド素人の係長がお山の大将という異様な状況だった。 )

コンピュータも与えられずたったひとりでシステム化をやれと云う、困った状態に放り込まれたのである。干されたも同然であるので、自前でBASICの走るパソコン(PC8801)を購入し、小規模の技術計算などをこなしていた。技術計算でも使い易く作るにはそれなりにプログラムが複雑になるので、PASCALの勉強を始めた。処理系はUCSD Pascalを、これまた高額で導入した。追放を受けた前職場にはbit誌のバックナンバーが保存してあるのを、書庫整理までしたわたしは知っているので、"番人"が唯一の仕事と心得た"口先男"の嫌がらせ を受けながら、bit誌( 2,3 )を持ち出しコピーをとった。
そんな苦労と執念と、投資とがあって、プログラミングに開眼した。子会社でパソコンが好きな高学歴の若手が、わたしのBASICコーディング作業を覗き見してから、「こうやってプログラムを組むのか!」と感想を述べたときは、満足感を覚えてしまった。

これで唯物論者のわたしが、Pascal信者になったのである。( 4 )は、必要が無かったがヴィルト教授を信奉しているので購入した。( 5 )も同じく購入したが、失敗したと思っている。言語がPascalからModula2に変わっただけで内容は同じだった。たった一人でヴィルト教授が設計したのがPascalであるが、その処理系のエレガントさは、抵抗なくわたしに浸透した。その後継言語として設計したのがModula2である。パソコンで走るFTL Modula2というのも入れてみたが、そのときの実業務での必要性というのもあるのか、マスターはできなかった。いまDelphiを使い始めたが。Modula2を多少でも使っていたらオブジェクト・プログラミングも容易に馴染めたような気がしている。
UCSD PascalはTURBO Pascal移り、わたしの頭での論理思考言語となった。いまそのTURBO Pascalは、DelphiのObject Pascalになろうとしている。

子会社に放り出されたわたしは、そこでよその工場向けのプログラム開発まで引き受け完成させたが、子会社の本業とあまりにも、職種が違いすぎていて、理解してもらえなかったので、飛び出した。
その直後、"口先男"はわたしの在籍した子会社に飛ばされた。プログラムのメンテナンス(消費税導入)で一度再訪したが、"口先男"には出会わず、顔なじみの同僚に"口先男"はこんな奴よと、言い触らしたのだが...既知の事!であるようだった。
それから3年後、わたしが育った本体の会社は先物為替で1500億円の差損を出したと公表した。ときに副社長は、"でたらめな人事"を行った責任者であった。
( ..このときの新聞スクラップをもっているが、通産省天下りの社長と同席した副社長が大きな写真に2人で、犯罪者のように写っている )
やっぱりね!とかざまーみろ!と言ってもみたいが、わたしが育った会社で愛着もあり複雑な心境になった。在籍した子会社は出資元の似たような子会社に吸収され、名前は消えた。本体は同じく出資元の本社に、身を寄せていて、人事から購買まで一括で管理されているようである。

この本を見ると、Pascalを学習していたときの嫌な思い出まで記述しないとまとまらない、ブログの投稿記事なのであります。
"口先男"とか"でたらめ人事"はいたるところに存在しているようです。それを放置しておくと、わたしが育った会社と同じような末路があると、ひとつの寓話として解釈くだされば、幸いです。( 悪貨は良貨を駆逐する。 )
ニコラス・ヴィルト:PASCAL と、それに無関係な、個人的なお話でした。

2005/03/16 ものずき烏

歴代天文律暦等志彙編

2005-03-13 | 書籍 の 紹介
「歴代天文律暦志彙集 六」               中華書局 1976/03
   (第二部分 律暦志 宋書至隋書)
「歴代天文律暦志彙集 七」               中華書局 1976/07
   (第二部分 律暦志 旧唐書至新五代史)
「歴代天文律暦志彙集 八」               中華書局 1976/07
   (第二部分 律暦志 宋史)
「歴代天文律暦志彙集 九」               中華書局 1976/08
   (第二部分 律暦志 遼史至元史)
「歴代天文律暦志彙集 十 」              中華書局 1976/08
   (第二部分 律暦志 明史至附録五行志)

中国歴代王朝の歴史は司馬遷の史記以降「正史」として後継の王朝で編纂されている。現在時点では中華書局で刊行している「正史」のシリーズが校注が詳細で評価が高いようである。中国史の学者さんでも24史とか25史といわれている全てを通読することはないと聞いている。歴史を知るには編年体で記された「資治通鑑」という書籍が良いそうだ。初の「正史」である司馬遷の史記は史伝体という編成をとり以降の「正史」はそれにならっているので、分野別の編成ともいえるものになっている。
( ..30年ほど前に史記の翻訳本を何の気なしに読んだ事があるが皇帝と取り巻きのお話だけだったような記憶がある。その後、司馬遼太郎「項羽と劉邦」がベストセラーとなり。なぁ~んだ、あの話か!と知ったかぶりを言った。 )

この「天文律暦志彙集」は中華書局の「正史」シリーズから天文志と律暦志を抜き出して編集したものである。但し第一部の天文志にあたる一から五は入手していないので、この記事は「律暦志彙集」の紹介となる。
( ..なにぶん発行1976年であるので全巻揃えるのは難しいと思う。これを入手したのは内山書店で七、八、九。山本書店で六、十 全て古本、1冊あたりの単価は6~700円。 )

暦法の記載されている史書にはこのほかに「史記」の天官書と「漢書」及び「後漢書」の律暦志、それから「清史(稿)」が存在するがこの「天文律暦志彙集」には含まれていないと思う。また北朝系の暦法は(唐)「開元占経」にみられる。

この5冊に記載されている暦法はつぎのとおりである。
宋書」景初暦、元嘉暦、大明暦
魏書」正光暦、興和暦
隋書」天保暦、甲寅元暦、天和暦、大象暦、開皇暦、大業暦、皇極暦
旧唐書」戊寅暦、麟徳暦、大衍暦
新唐書」戊寅暦、麟徳暦、大衍暦、五紀暦、正元暦、宣明暦、崇玄暦、欽天暦
宋史」応天暦、乾元暦、儀天暦、崇天暦、明天暦、観天暦、紀元暦、統元暦、乾道暦、淳煕暦、会元暦、統天暦、開禧暦、成天暦
金史」重修大明暦
元史」授時暦、庚午元暦
明史」大統暦、回回暦

2004/08/18 ものずき烏

※母屋から移し変えたコンテンツです。
中国史の桑原隲藏は、漢文ばかり読んでいると馬鹿になるといったそうだが頷ける。
それぞれの暦法で定数を呼ぶ名称がばらばらなのである。暦法の草案者は自己主張するつもりで自分の好きな漢字を選んで定数を呼んだのだろう。
深入りは禁物。ご用心ご用心。くわばら桑原。
なお正史は台湾のサイト漢籍電子文献で全文読めるようであるが、わたしの場合どこに自分の読みたいのがあるか探すのに苦労するから、今の所この本の方が簡便である。
(2005/03/13)

斉藤国治(古天文学)

2005-03-12 | 書籍 の 紹介
飛鳥時代の天文学                 河出書房新社 1982/07/20
星の古記録                       岩波新書     1982/10/20
古天文学                         恒星社厚生閣 1989/03/05
古天文学の道                     原書房       1990/05/24
古代の時刻制度                   雄山閣出版   1995/04/05
宇宙からのメッセージ             雄山閣出版   1995/12/20
古天文・暦日の研究 小川清彦著作集 皓星社       1997/08/15
定家「明月記」の天文記事        慶友社       1999/01/20

斉藤国治の著作に出会ったのは、地方の工場で勤務していた頃である。労組の書記長からハンドヘルドPCで交代勤務と日勤の平均労働日数を求めたいのだが教えてくれないか。春分・秋分の日は容易に求められず官報で翌年分が公示され決まるという。将来の春分・秋分はともかくとして過去の春分・秋分でさえ記録を探すのが面倒なのである。そんな折、東京出張がてら探した本が内田正男「こよみと天文・今昔」(丸善)と斉藤国治「星の古記録」(岩波新書)。前書には春分・秋分の問題が多少触れられているが、措いといて2時間を要する帰りの汽車内で読みふけってしまったのが「星の古記録」である。わたしにはあまりなじみの無かった天文学が日本の古典(「明月記」)と結びついている。面白い。

その後、わたくし的にはいろいろありまして斉藤国治の著作とは疎遠になっていたのでありますが、再会したのが「古天文学」(恒星社厚生閣)。BASICパソコン時代のマニアはすべてパソコン雑誌に掲載されているソースを打ち込んでプログラムに親しんだのでありますが、この本はまさしくその流れ。巻末に著者のF-BASICソースによる天体位置計算がそのまま公開されているではありませんか。プログラマーであるわたしが見て決して綺麗な記述とはいえませんが主目的である天体位置計算には間違いがありません。計算の結果は本文で解説して下さっている。天体位置計算には球面三角法というこの分野でしか使わないのではないかともいえる数学が登場します。渡辺敏夫「数理天文学」という専門書も持っていますが、BASICになじんでいるわたしには斉藤国治「古天文学」が最高!
昔、学校の先生が言ってました本に書き込みすると古本で売る時安くなるので書き込みはしないでノートに書き写すんだと。わたしの「古天文学」には沢山の書き込みがあります。(..ただしマンガはありません!へたですから)

斉藤国治コレクションに最近追加したのが画像の「飛鳥時代の天文学」。「星の古記録」と同時期に刊行された「古天文学デビュー作である。探したがなかなか見つからなかった。赤門の前に大山堂書店という科学史を看板にしている古書店にあったのだが欲しくても4000円を超えていたので買えなかった。入手したのは神保町の原書房店頭ワゴン(1000円)。(..このお店なかは魑魅魍魎の世界だが店頭ワゴンには掘り出し物がある。わたしの餌場のひとつである。)

2005/03/12 ものずき烏
( 原書房が2つ登場してますが、前者が出版社、後者が易と浮世絵の書店 )

薮内清(中国科学史)

2005-03-09 | 書籍 の 紹介
暦法の計算をプログラムで作成しようとしたとき「計算方法」が記述してある書籍は、内田正男『日本暦日原典』(雄山閣)に載っている論文が唯一のものと思います。
他に桃裕行『著作集7』(思文閣出版)がありますが宣明暦に限定されています。
前者でも元嘉暦、麟徳暦、大衍暦、五紀暦、宣明暦に限られています。
以降の貞享暦、宝暦暦、寛政暦、天保(壬寅)暦は古書を探し暦法を吟味しなければなりません。
宣明暦の解法については江戸時代に会津藩の安藤有益『長慶宣明暦算法』という古書籍が存在し、それを元に東京天文台の広瀬秀雄・前山仁郎と史料編纂所の桃裕行がそれぞれで解析されていました。その成果が『日本暦日原典』です。
桃裕行によって行われていた古文書暦日による補訂作業は内田正男に引き継がれ『日本暦日原典』の改版(現在4版)に反映されています。

さて麟徳暦、大衍暦、五紀暦の朔日の確定には太陽と月の補正が行われていますがその研究『隋唐暦法史の研究』を行っていたのが薮内清( 1906..2000 )です。
次の書籍リストは都度収集し通読したものです。
中国科学史の第一人者でしたので顕彰の意味でも業績の集大成が望まれます。
 1. 「中国の暦」
     『暦』広瀬秀雄(編)           ダイヤモンド社 1974/12/12
 2.『中国の数学』	           岩波新書 青059 1991/10/18 2版
 3.『中国の科学文明』	         岩波新書 青759 1974/03/20 3版
 4. 「紀元制の歴史」
     『元号を考える』鈴木武樹     現代評論社	1977/02/28
 5.『天文学の歴史』薮内清(編)     恒星社厚生閣   1968/05/30 2版
      新天文学講座12
 6.『支那の天文学』	          恒星社         1933/10/15
 7.『中国の科学と文明:天の科学』  思索社	        1991/09/20
      J・ニーダム (日本版監修) 新装版	
 8.『中国科学の流れ』            思索社	    1984/02/27
      J・ニーダム (日本版監修)	
 9. 「中国暦とその思想的背景」      
     『万有こよみ百科』暦の会     新人物往来社   1973/11/14
      歴史読本のち『暦の百科事典』に転載	
10.『中国の科学』世界の名著12新装 中央公論社     1988/09/20 2版
11.『歴史はいつ始まったか』	      中公新書590	 1980/10/25
12.『中国天文学・数学集』          朝日出版社     1988/04/10 2版
      科学の名著2 (監修)	
13.『中国の科学と日本』	        朝日選書109	   1978/04/20
14.『科学史からみた中国文明』     NHKブックス406    1983/02/01
15.『中国の天文暦法』改訂増補版   平凡社	        1990/11/20 
16.『天工開物』訳注	          東洋文庫130    1972/04/10 7版
17.『中国の印刷術』             東洋文庫315    1977/09/26
      カーター (日本版監修)     〃  316    1977/10/26
18.『墨子』	                      東洋文庫599	 1996/04/08
      (訳注,平凡社古典全集の新装)
19.『漢書律暦志の研究』 復刻版    臨川書店	1979/02/15
      能田忠亮・薮内清 共著
20. 「西洋天文学の影響」
     『明治前日本天文学史』新訂版 臨川書店       1979/10/01 
21.『隋唐暦法史の研究』増訂版     臨川書店     	1989/11/10 
22.『中国古代の科学』             学術文庫1654   2004/04/10
23.「夢ノ代」(注)『富永仲基・山片蟠桃』
      日本思想大系43           岩波書店       1973/08/27

暦法計算については (15) 『中国の天文暦法(改訂増補)』が決定版です。
(21) の巻末には英文でインド系「九執暦」論文がのっています。
計算まではどうもという方には (11) 『歴史はいつ始まったか』が良いと思います。
暦計算に興味がない方にお薦めするとしたら (16) 『天工開物』を揚げます。明代の技術書なのですが江戸時代に日本で普及し1940年代に薮内清が翻訳と解説を行い、今は里帰りして中国で研究が盛んのようです。

なお前山仁郎(1913..1963)の文章に触れることができるのは学協会誌以外で (5) 新天文学講座12だけと思います。
暦法計算の観点から早世したのが惜しまれる内容です。(..プログラムの仕様書であっても使えそうな至れり尽くせりの記述内容です。)

2004/06/06 ものずき烏

※母屋から移し変えたコンテンツです。(..書籍リスト (22) は新規追加、(23) は追記。)

Yabuuchiと名付けられた天体があるという。
わたしは見たことはないが薮内清に教えを受けた後輩が命名機関に申請したものであろう。薮内清は天文学から中国科学史へ進んだ人なのである。きっかけは同様に天文学から中国の古典まで精通したした新城新蔵(京都大学総長)に誘われたことのようだ。
わたしが興味をもって読んだ書籍には数多くの薮内清 門下の名が見受けられる。( ..山田慶児/宮島一彦/矢野道雄/川原秀城/橋本敬造 みな一流の学者さんである。)
Yabuuchiという天体はずっと存在し続けるし、薮内の業績も伝え続けられることだろう。
惜しむらくは、中国科学史などというマイナーな分野でなく、同年代の湯川秀樹のように先端分野に進んで頂いていたらと思うのはわたしだけだろうか?
(2005/03/09)