ちいさなうつわや『ありすcafe 』

OPEN 11~15時
月・火曜 定休


































『鯉江良二物語』

2020-09-28 18:58:00 | 日記
ネット注文していた本が届きました。

『鯉江良二物語』
 梅田美津子・著
 生活の友社・刊



先月6日に敬愛する鯉江良二先生が亡くなりました。

この2ヶ月ほどはあまりにバタバタな出来事が続いたので、ものごとを深く考えることに蓋をして暮らして来てしまいました。
信じたくないことや悲しいこと、怒りの感情などは特に。

この本が届くことで、現実にしっかりと向き合わなければならなくなることがわかっていたので、本を開くのがとても恐かったです。

2002年の初夏。
モニュメント製作のために望来に滞在されていた鯉江先生。

その直前にNHKテレビで先生のドキュメント番組を観て、「なんてすごい人なんだろう!」と衝撃を受けていた私は、
「あの鯉江先生が、雲の上の存在だと思っていた人が、なぜ望来に?」と、信じられない思いでした。

お会いできるのはとても光栄なこと。
でも、恐い人だったり気難しい人だったらどうしよう・・・とドキドキしていましたが、誰に対しても(近所の小学1年生の男の子にさえ)分け隔てなく丁寧に接してくださる優しい方でした。
まるで、朝ドラ『スカーレット』に登場した「ふか先生」のように。

製作の拠点が私がありす以前に仕事をしていた施設だったので、作業のお手伝いやワークショップに参加させていただいたり、清水しおりちゃんのことや、ケイコ・リーさんのことなどお話ししたりされたり、楽しく貴重な時間を過ごさせていただきました。

いつもにこにこと優しい先生でしたが、滞在中に一度だけふっと厳しいお顔をされたことがありました。

それは私が土を練る機械を使って粘土作りをしていた時のこと。

その機械は土を投入するための開口部が大きく、底には土を混ぜる鉄製のスクリューが2本。
うっかりすると手を持って行かれそうな気がして少し恐く、苦手な機械でした。

その日、私の横に立たれた先生は
「あ~、土練機(どれんき)これか~。う~ん・・・気をつけてやりなさいよ。」と。
そうおっしゃった先生の右手。
中指と薬指の第1関節から先がありませんでした。
のちに、10代のころアルバイトをしていた先の土練機で失われたということを知りました。

『空に井戸を掘る』
というアルミニウムのモニュメントが完成し、先生がお帰りになる間際のこと。
先生は私の年齢を聞かれ、
「あなたの年齢からでも陶芸家を目指す女性はたくさんいる。
がんばりなさい。」
と激励してくださいました。

その当時の私は、パートナーが始めた陶芸をただ手伝っていただけの人で、自分が陶芸家になろうなんて1%も考えていなかったので、なぜ先生は私にそんなことをおっしゃったのだろうと不思議に思っていました。

それからしばらくして、パートナーがほかにやりたいことができたので陶芸をやめると言い出し、長年続いた「コンビ」も解消することになりました。
青天の霹靂。
これからひとりでどうやって生活して行こうと迷い悩んだ時、あの日の先生の言葉がよみがえって来ました。

それまで自分で窯を焚いたこともなく、電動ろくろの経験も体験工房の利用者さんたちよりも断然少なく、なんとかできることと言ったら粘土作りだけだった私が、うつわを作ってごはんを食べて行こうなんて、無謀以外のナニモノでもないでしょう。
でも、こんな私に
「がんばりなさい。」と言ってくださった方がいた。

だから、がんばって来ました。

ありすcafeを始めてほどなく、突然鯉江先生がご来店くださり、涙型のお皿をふたつ並べるとハートになる『片想いのお皿』をご覧になり、「おもしろい!」と大笑いされ、なんと、そのお皿をお買い求めくださったのでした。ひゃ~(汗)!

ありすcafe店内には私が作った厚田粘土(100%)で鯉江先生が作ってくださった作品が飾られています。
耐火度が低いため所々膨らんでしまったりしていますが、厚田100%の土で焼き上がったただひとつのこの作品は私の宝物です。


今日は1日仕事をお休みして、先生の物語を読んでいます。
懐かしい思い出と感謝の気持ちと共に、
これまでの私
これからの私
を見つめ直しながら。

鯉江先生、
ほんとに雲の上の人になってしまわれたのですね。
おいしいお酒、たくさん飲んでくださいね。



ありがとうございました。


















コメント
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