あの日見た群青を探してる

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オーストラリア  その1 ケアンズにはもう行かない

2020-02-23 06:39:00 | 旅行
「ケアンズのどこがそんなに好き?」
その頃毎年ケアンズを訪れてた私に、ケアンズ在住Pちゃんは
お茶をすすりながら尋いた。
ケアンズはビーチこそ持ってないが、少し郊外に行けばビーチもあるし
亜熱帯のジャングルもサンゴ礁もとびきりの美しい自然が全て備わってる町だった。
「花、植物いっぱいの街並みかな」
ケアンズの町は海岸沿いに芝生のエスペラネード公園の大木を主として、
美しい花々や椰子の木々が囲み
グリーンシーズンと呼ばれる6月は事さらに
それぞれ広いガーデニングされた庭の住みやすそうな家など眺めながら
植物園のような公園の街を
何時間見て歩いても飽きなかった。
日本がバブル前夜のこの頃はケアンズはまだ人口6万人ほどの
ゆったりとした地方の田舎町だった。

当時パークロイヤルホテルはこの街のシンボル的なホテルで
コロニアル風の瀟洒な建築は古き良き時代のケアンズの歴史を物語っていた。
イギリスの流刑地だったこの国は
ホテルでも当地のご婦人達がその名残りで
ハイティーに集まり、ミートパイや生クリーム付きスコーンと紅茶を楽しみ
何時間も何時間もお喋りして午後を過ごしていた。
高い天井に大きな扇風機がゆっくり貿易風を送る。
この優雅でゆったりとした時間の流れは
慌ただしい仕事、競争、エコノミックアニマルと言わしめる
日本での毎日に悲鳴を上げていた私が、
どれ程この地を愛していたか語る最大の理由だったかもしれない。

その頃私が住んでいたのは辺鄙な離島で
Pちゃんはその片田舎街に週一通ってくる英語の先生だった。
最初会った頃は金髪碧眼でキレイな子だった気がするが、
私は彼がオーストラリアに帰る少し前に英語を習い始めたので
その後の付き合いの方が長く
残念ながら会うたび太ってて髪が薄くなっていったPちゃんしか
思い浮かばない。………。

「夕食どうするの?電話して」
西洋では夕食を一人で取るのは変人らしい。
その為には多少嫌いな相手だろうと午後から会った人は離さない。
海岸沿いのエスペラネード通りには
お洒落なバーやレストランがアフター5を賑わしていた。
私はここで公園越しに海を見ながら
ハッピーアワーのシャンパンと生牡蠣を食べるのが楽しみだったが
女性が一人だとコールガールと思われるらしい。
私は旅行に行くにも食事に行くにも
オトモダチはいなかった。
Pちゃんは私が何処にいても、街が狭いので探し当て
食事を一緒に取ってくれた。
ホテルマニアきっかけにもなったポートダグラスのシェラトンミラージュホテルや
その名の如く夢のように美しいパラダイスパーム、グレートバリアリーフ、グリーンアイランド等
色々案内してくれたしお世話にもなった。
シドニーやゴールドコーストに行っても、
旧友を訪ねてケアンズまで足を伸ばしたし
彼が日本に来た時も、東京から飛行機とフェリーを乗り継ぎ
あの僻地まで訪ねて来てくれた。

オーストラリア人はジェントルマン?と思うのは早計だ。
彼らは若い時期、一軒の家を数人でシェアして住んでいる人が多い。
「今、日本人の子もいるから家に泊まって良いよ、」とPちゃん。
オーストラリア移住も考えていた私は、2、3日彼の家に滞在する事になった。
日本人シェアメイトK君は優しくて気が利いて、長シャワーのマイクさん達と
楽しいお茶の時間を過ごしていた。
大酒飲みのPちゃんのお部屋にみんなで入ると
ドアの手前のカーペットに大きな人型のシミがあった。
「これ、なんだと思う?」
オーストラリアは銃社会だっけ?と考えて
「人が撃たれた跡?」
真剣に答えると、K君の顔に緊張が走る。
  「吐いたの」  ギャーハハ、
大声で腹を捩らせて笑うPちゃん。
…そう、そんな感じのヤツ。
大酒飲みだとあんな大ゲロ吐くんだろう。

メチャ世話になったよ。…💢でも
「Y.Kさんの電話番号知ってる?」
Y.Kさんは私の田舎で一緒に英語を習ってる知人だ。
「知らない」
「えー、声聞きたくない?」
Pちゃんはわざわざ日本の電話局でY,Kの番号を調べて電話し始めた。
「もしもし、元気〜?」
私はイヤな予感がしてキッチンにまわった。
「今、ここにMさんがいるよ」
ひいいい〜、コイツ、田舎に一年も居て田舎がどんなか知ってるくせに!!
「Mさんにかわる?」
ブンブン首を振る私。
「今ね、ダイドコロでうろたえてる、ギャハハ〜」
嬉しそうに笑うPちゃんの声はダイドコロで響いていた。
その日の夕刻、Pちゃんは再び電話番号を調べて
別の英語の生徒に電話かけた。
どちらも私の知人だ。
ひと通り何やら喋り終え
受話器を置いたPちゃんは嬉しそうににんまりとほくそ笑み、
『ねえねえ、今の電話で 「Mさん、そこに泊まってるんだってー?」
って聞かれた。ウワサ広まるの早いね〜」』
…終わった…
「人のウワサを気にする奴はクズよ」
Pちゃんはギャハハ〜ッとさらに大声で涙して大笑いしてた。
昼ごろ電話してたのに、もう町中ウワサは広まってるんだ。
夫はわかってくれるが、また恰好の悪評が渦巻くだろうよ…。
アンタの国みたいにジョークが通用する土地じゃないんだよう…。
その頃国際電話高いのに
経済的損失より嫌がらせの快感の方が優ってんだ。
でも会うたびお笑いよろしく身体全体の面積は広がって
お腹の脂肪をダボダボさせて踊るPちゃんは憎めなくて
ケアンズに行くたび
多少   なヤツでも
夕食時は探しあっていた。

「パークロイヤルホテル、日本資本に買われたんだって!」
日本がバブル期に移ると
この地のシンボル的ホテルや、
彼らが誇るサンゴ礁のグリーンアイランドもパラダイスパームも日本の会社に買収された。
幾度となくその地に通い、彼らの心情を察すると
私には居心地の良い場所ではなくなって行った。
日本人はお金持つとこんな事しか思いつかないのか?

Pちゃんからパーティに連れて行ってもらった事がある。
どっかの社長が従業員を招いて開いてるパーティで、
まずクルーズ船で2時間ほどかけてフィッツロイアイランドに向かう。
パーティは船の中から始まっていてシャンパングラス片手に
それぞれに着飾った人達がくつろいでいた。
貝殻で出来た白い砂浜に到着すると
島のホテルでガーディンパーティが始まる。
映画のようなステキなセット、
音楽の合間に波の音が耳を誘い、椰子の葉陰に星空が広がる。
日本人の私は、こんなパーティ一生に一度も行けると思ってなかった。
映画のワンシーンのような雰囲気に面食らっていた。
言いにくい私の名前を、会う人誰もがちゃんと覚えてくれていて
グラスを片手に私に言った。
「人生の最大の喜びは、好きな人とワインを飲んで、語らって、語らって、語らって」

幸せな国民…
オーストラリアは不景気って聞いてたけど
生活は何て恵まれてて豊かなんだろう、
その頃経済大国と言われていた日本人は
働くので精一杯で、こんな人生の楽しみを知る者は
どれ程いたか。
他国の誇りを買い漁る金はあるのに、
ワインをおごる気はないらしい。…。
語らって語らって…って、…そんな時間のある人もほぼいない。
「こんなパーティ、日本じゃなかなか行けないけど、
この人達一年に一度くらい連れてきてもらえるの?」
と聞いたら
「え、週一だよ」

あれから何十年も経ってバブルも弾け
日本の経済はずっと停滞したままだ。
大企業は余った金を内部保留して
未だ国民をパーティには招待してないようだ。
相変わらず日本人は働きづめの生活で
西洋のような恵まれた生活とは程遠い。
でもお金だけ求めていたあの時代より人々は豊かに感じる。

ケアンズにはもう行かない。
パークロイヤルホテルが日本人の手に落ちた時思った。
でも、あの時のように
敵意と嫉妬と反発が混ざった眼差しで睨まれ
世界中で日本車がハンマーでぶっ叩かれたり焼かれたるするより
日本人は、貧乏でも
世界の人々から愛される今の方が
きっと居心地が良いんだろう。

10年後、たまたま南太平洋クルーズでケアンズに旅行友ヤツと寄港した際
Pちゃんのオフィスを訪ねた。
資源国オーストラリアは好景気に沸き、
Pちゃんは従業員の給料を時給2500円程払ってる、と大変そうだった。
日本人はもう少し戦って労働に見合った収入を勝ち取って欲しいと願う。
久々のケアンズはカジノが出来て、エスペラネード公園は味気ない近代的なプールになっていて
発展した都会になってた。
「水が1本500円??」
絶好調の景気のドル高もあって
グリーンアイランドもパラダイスパームもポートダグラスも案内しなかった。
「あんたのケアンズはもうないんだよ」
ヤツは高い水を飲みながら、優しく言った。

今はもうあの離島には住んでいないし
昔のように1人で旅行に行って1人で食事しなくても
旅行の連れも出来たので、また他の地方のひなびた田舎町を探して
ハッピーアワーにシャンパン飲みに行こう。











バリ島  クリヤヨガ自主合宿   その3

2020-02-04 20:14:00 | 旅行

「ビーチに行こ!
バナナボートやバドルサーフィン出来るみたいだよ」、Y。
「やだ」「メンドイ」ウチら。
(…そう言えばヤツはアジアでは沖縄の離島以外海に入らないな…)
ヌサドゥアではホテルにこもって
ジムでアーサナをしっかり1時間半、
椰子の木の下で瞑想や呼吸法など行って
とても気持ちよく過ごした。

ウブドに移るとアグン山麓の深い渓谷のホテルで
小鳥のさえずり、川のせせらぎ、木漏れ日の中
早朝の散歩〜呼吸法〜瞑想〜アーサナ、合間マントラと
日々のサーダナをこなして行けた。

ウブドはバリ島の中部にある農村地帯で
ライステラスに覆われた小さな村だが
お洒落なカフェや雑貨屋、多くのホテルが並び
通年観光客で溢れている。
バリ舞踊やガムランなど当地の文化に触れる機会も多い。

「ガムラン見に行こ」Y。
「やだ」「メンドイ」ウチら。
いつもの旅行スタイルと変わらず、水や食品の買い出し以外
ほとんどホテルに篭っていた。

ウブドはヨギ、ヨギーニにとって
過ごしやすい所だ。
街にはヴィーガンのレストランや
ヨガのスタジオも多い。
何よりフルーツが安いので
パパイヤ、マンゴー、ドラゴンフルーツなど
毎日の食事はフルーツ三昧。
ここなら無理なく誰でも菜食で過ごせる。

私はこの時期ドリアンが楽しみの一つだった。
3カ所くらい、ドリアン売り行商のおばちゃんに目星つけてて
(おばちゃんは私の事知らないだろうけど)
5、60000RPに値切って
ベランダでスタッフに見つからないようにこそこそ食べる。

ウブドは山奥の田舎町だったのに
ここ数年ですっかりお洒落な街になって
外灯もついて、道も可愛らしい模様の舗装されて行って
昔馴染みの見すぼらしいお店はすっかり見かけなくなって行った。

いつ行っても満員のバリ料理のお店。
去年は店長を取り合ってるらしい美人のお姉さんと
仕事仕切ってるバリバリの逞しいお姉さん。
相変わらず大繁盛の店は
今年は店長と美人はいなくなっていた。
逞しいお姉さんに軍配が上がったみたいだね。

道端のドリアン売りのおばちゃんも
来る都度化粧をするようになって行って
(それがメチャ似合ってなくて 笑)
年々化粧濃くなって行って
今年はドッキリか!位のドギツさになっていた。

バリに来ると、ほぼ全食野菜やフルーツで過ごしたり
汗を大量にかくので、
いつもこの時期ここで体重を調節できる。
肌もしっとりになる。
ヨガとデトックスで身体がキレイになるんだろうな。

ヨガでうつ病が治ったと言う話はよく聞く。
根性のない私が8年もクリヤヨガの勉強続けているのは
身体の気持ち良さと心の気持ち良さを
体感してるからだろう。
クリヤヨガに出会ってなければ私は、周りや家族に甘え
思い通りに行かないと恨んだり、自分を哀れんだり、
以前のように恥の多い人生を歩んでいただろう。
精神的に強くなった。

今は一人で生きていける。
こんな風にしっかりと自分の足で立って
周りに感謝しながら暮らしていけるのは
クリヤヨガの恩寵とつくづく思う。

3人ともどこに所属してる訳でもない。
Yはアシタンガヨガのインストラクターだし
ウチらはクリヤヨガの本やDVDでアーサナと呼ばれるヨガのポーズを練習したり
本著者のカナダ人の先生主催の研修に参加して、(1〜3年に1度?くらい)
瞑想や呼吸法もひと通り研修で習ったものを続けている。

日本に限らないかもしれないが
瞑想をするだけで、あるいはヨガ関連の方法を教えるだけで
法外な金銭を要求するヨガ商法も数多いようだ。
ヨガの究極の目的が自己実現と理解するなら
賢明なヨガ実践者は法外なお金払って他力本願的なモノには関わらないだろう。
(あくまで相手からの要求ではなく、こちらから支払う分には問題無いが)

アシタンガヨガであれクリヤヨガであれ
それぞれだが基を辿れば同じ原理に辿り着くので
遅くまでヨガ談義に花が咲いたり

Yが怪しい占い師訪問ツアーを売りつけられたり
ヤツが子供を抱えた女性に一カ月の収入分位あげたり
ネコに餌をやって部屋の前で毎日数匹のネコににゃーにゃーねだられたり
色々あったけど

今年も幸せなヨガの合宿だった。







バリ島  クリヤヨガ自主合宿その2

2020-02-03 18:36:00 | 旅行
最悪のメンバーって言い方が酷いかは
読んでから判断を仰ぎたい。

まず出発の空港。
(ちなみにチケット取れなかったワンオクロックのコンサートの日だった。)(泣)
寒い中待ち合わせ、遅刻するかな💢 
しかも現地で予定外の島に飛ぶかもしれないから、
前日電話で何度も荷物のサイズと重量を確認して
「わかった、」って言ってたのに!
当日、見事に重量もサイズもオーバーのスーツケースを持ってくるY。

シンガポール経由でデンパサールに乗り継ぎ時間は一時間しかなかった。
その間、乗り継ぎ便の搭乗口を確認して
急ぎ移動しなければならないのに
あわや、締切か、って時間までトイレに行ってたヤツ
到着して、イミグレーションで
滞在期間18日って何度も確認したのに
間違えて別室連れてかれたY。
パスポートの自動読取機でただ規定通りに
パスポートを置くだけなのに15回失敗して
他国の人の最後列に並んで、2時間後出てくるヤツ。
ングラライ空港に着くまでにこれだ。
バッグ忘れたり、迷子になったり、どっか閉じ込められたり、
レストランでも「寿司」「ステーキ」「ロブスター」
「マッドクラブ」「生ハム、サーモン」
「あの…あんたら…菜食って………」
「ヨガの教えで闘っちゃダメって言うし〜、テヘリ」
……………………しかも
どんだけ食うんだコイツ!
さんざ高いモノ注んで、人の分まで食ってしまいやがって。
「え〜、残したのかと思ってえ…」
…最悪でない訳がない。


空港からヌサドゥアのホテルに行って
まずはリゾート地でゆっくり地ならし。
今年はザ、ムリアを選んだ^_^
ウチらの研修は、何せ根性なしの集まりなので、くじけないため、
最初ステキなリゾートホテルを4〜5日とって
その後中級ホテルで1週間程、段々修行?に身を入れて
最後に仕上げを安ホテルで地獄の特訓を制す!
………………………予定だ。

日常心がけてる
禁酒、禁煙、禁欲、菜食、
禁酒、って…禁酒だけは…
酒呑みはこの中で私だけだが、
辛いんだよ〜〜!
モチロン、ヨガの研修に来てるんだから、わかってるッツ!
ただ、
来る時シンガポール航空のトランジットキャンペーンやってて
何と!1人20S $もらえて…(^。^)
空港内しか使えないし時間なかったし、
みんな良いって言うし…
贅沢に60S$でヴーヴクリコのシャンパン買っちゃったんだ〜!
なんだろうね、ホラ、こんな良いホテルに来て、
こんな良い酒があって…
みんな、かーちゃんから教わらなかった?
良い事があったら乾杯しなさいって。

「とりあえず、今日は移動日だったから、明日から頑張るから」
…ゴメンね、初日から私だけ修行くじけて…、と
景気良くポンッと栓を抜くと
シャンパングラスは3コ並んでる
??
「乾杯〜!」
ジャグジーに浸かって宴は始まる。
「なに?あんたら酒飲めないんじゃなかったの?」
「ばーか、こんな高い酒、飲むに決まってるじゃん」
「ばーか」

最悪以外の言い方あるなら是非聞かせてくれ!










バリ島  クリヤヨガ自主合宿    その1

2020-02-03 02:18:00 | 旅行




スティーブン・ジョブスが彼のスマホに
唯一入れていたと言われる
パラマハンサ・ヨガナンダ氏の
「あるヨギの自叙伝」を読んで
著者のひたむきな情熱に感銘を受け、
ウチらがクリヤヨガを始めたのは8年ほど前だ。
ビートルズや海外の政治家や実業家の中にも
実践者は多いと聞く。
カナダ在住のクリヤヨガの指導者主催
パドリナート巡礼の各国からの参加者も思いのほか多かった。

パドリナートの巡礼で
(詳しくはおそるべしッツ!インド編で読んでね)
我らがお師匠サマ的存在S氏は朝4時から呼吸法やアーサナを実践してた事を
ヤツは目撃していた。
「東大卒だから完璧主義なんだよ、きっと」
「ウチらマジ、ムリ」
日本人の巡礼参加者はお坊さんやヨガの指導者、翻訳家であり出版社社長など
様々で皆相当熱心だったが、地方に住む場違いっぽいウチらは
東大卒の人とか見るのも初めてだった。

帰国後。根性のない地方組。
暑いの寒いの体調悪いのと言っては
すぐ情熱が萎んでしまう
その情けない現状に危機感を持ち
劣勢を奮い立たせるべく
私とヤツと別のヨガ仲間Yは
アーサナで集まったが寒くて
コタツでゴロゴロしながら
この体たらくに思い倦ねていた。

煎餅を頬張り、ヤツ
「寒くて続かないなら暖かいところに行けば良いじゃない」
       ( by アントワネット パクリ)
ナ〜イス!アタマいー!

こうして
「エーゴ苦手なんで〜」
って奴らと
日常会話程度の心許ない英語力の私の
冬期ヨガ自主合宿は始まり
今年で3年目になる。
今回はバリ島だ。

「イズデス ア ファーストクラス?」
「オー!ノオー!イッツエコノミークラスッツ!」
CA に絡む、ケーハクなY
人の言う事聞かない私と
アタマがお花畑のヤツ。
最悪のメンバーだ。




インドネシア  コモド島ー2

2020-02-02 13:36:00 | 旅行
インドネシア  コモド島-2

コモド島は世界でも稀なビーチを持っていた。
赤珊瑚と白珊瑚が混ざって出来たピンクサンドビーチ。
世界中のダイバーが憧れるも
そのアクセスの悪さから立ち入る事の叶わないうつし世の楽園。
その美しいピンクのビーチは島の船着場から近い場所にあって
この頃はまだ海に入る事が出来た。

この海は本当はこの世のものじゃないはず。
…つじつまのあわないことを口走りつつ
手付かずの汚れのない透明な水に足を踏み入れ、海に入っていく。
全身が徐々に清められてゆくように感じた。
…こんな透明な海…見たこと無いなあ…
昨日潜ったギリ島でも世界でここしか見られないという
珍しい青サンゴ礁に興奮したけど、人も多くて、
この海ほど特殊な感じではなかった。

バラクーダ、悠々と浮かぶナポレオンフィッシュ、カタクチイワシ群、
熱帯の色鮮やかな魚影、100万匹のロウニンアジコ、
魚の群れはやがて一面をみるみる群青の世界に染めていく。
青に覆われていく青だけの世界。
私の身体は、全く別の次元の世界に飲み込まれて
その世界を漂っている錯覚に駆られた。
それはかって無い不思議な感覚だった。
一瞬なのか、どれほどの時間なのか、
私は海の中なのか、或いは宇宙なのか、
自分なのか、今なのか、永遠なのか…。
限りも無く、区切りも無く、
果てしなく漂う魂のような…。

私はコモド島の海で群青と一体になった事がある。

「ウミヘビ見ました」
「私も見た!いたよね、ウミヘビ、危険じゃないのかな…?」
!!!危険と言えば
「ピンクサンドビーチにドラゴンいましたよね」
「何頭か見たよ、‥ドラゴンって泳げるんだよね」
………………………

海に熱い想いを寄せる‘ヤツ“に
昔チヨノと行ったピンクサンドビーチの話を何度も話した。
「うわー! そんな魚の群れ、まだ見たことない。見たい〜」
シドニーからシンガポールに向かうクルーズの途中、
寄港できるコモド島はその旅の目的だった。

やっと思いが叶うと思って上陸したら 
もうピンクサンドビーチには立入る事が出来なくなっていた。
せっかくここまで来たのに、
あの美しい魚影を見せる約束が果たせずひどく残念に思えた。

「世界中探せば見つかるよ」
私はこれからも生きていくから
きっと旅を続けて
いつか、あの日と同じ群青を見つける。

「うん、ビマは腐る程ある」