とても、いいドラマでした。
翔くんが出ているから、絶対に観ようというのが当初の一番のモチベーションだったことは確かなんですけれど、観ているうち、ひきこまれてしまって。当時のいろいろな気持ちを思い出したし、またサブタイトルにもある通り、記者の人達がこういう惨状にカメラを向ける時の気持ちとか、もういろんな思いが伝わってくる作品だったと思います。
私自身は、もともと東京だし当時も東京に住んでいましたが、小学校の頃一時西宮市に住んでいたり、神戸は何度も訪れたことがある場所だったので、他の地域より親近感もあったと思います。そして、当時上の子が生まれてまだ0歳児だった頃で、命というものにとてもナーバスだった時期でもあったと思います。(この95年は、震災もだし、4月にはサリン事件も起こって本当に不安なことがたくさん起こった年でした)
冒頭のコンビニの監視カメラの4分割の映像、あの当時繰り返しみたので一気に記憶が蘇ってくる感じでした。
ドラマが時系列で進んでいっているので、当初どのくらいの被害かよくわからなかったのが時間を追うごとに惨状が明らかになっていって、被害の大きさ、見覚えのある場所の信じられないような状態をテレビ、新聞でみて、ただただ呆然とした気持ちになっていたことを思い出しました。ご近所で当時仲良くしていただいていた方がご夫婦とも神戸出身で、ご主人がご実家に連絡がつかないとすぐにリュックをしょって様子をみに出発し、その後ご実家は損壊したけれど家族は無事だったというお話をきいてほっとした記憶とか。私は全然当事者ではないけれど、それでもいろいろ思い起こされるのだから・・まして関西圏、被害の大きかった地域にいらした方は複雑な思いでごらんになったのだろうなと思います。
そして、ドラマのこと。
報道の意味っていうことを、改めて考えさせてくれましたね。
<災害の中で、情報があるということの意味>
ああいう大災害の真っただ中にある中で、たとえば「○○にいけば水の配給がある」といった実用情報は当然欲しいだろうけれど、全体の被害がどのくらいでとか・・そういうもう少し大きな視点の情報って当事者は切羽詰まった時にどの程度必要なものなのかなあって思っていたんですよね。でも、観ながら全体についての情報が得られるっていうのは、自分の今の状況を認識する上にはやっぱり必要で、自分の状況(良くても悪くても)を把握できるということは、安心感につながるのかなってみていて感じました。
そして、大惨事の中で、当事者に情報を届けるのって本当に大変なことだということを再確認。
そして、その惨事の中で、それぞれが自分自身の仕事を全うするっていうプロ意識(これは、もちろん今回の新聞関係者に限らず、お医者さんをはじめすべての職業に通じることなんですが)、そのおかげでみんなが徐々に平常にもどっていけるだという事実も改めて再確認。
<被災者にカメラを向けるということ>
これね、前々から思っていたんですけれど、「カメラ向けるくらいなら助けるのを手伝えよ」とか、「人の不幸にカメラを向けるな」とか、撮る方も撮られる方も絶対に思うと思うんですよね。カメラを向けられる方も辛いし、向ける方も辛い。
ドラマの中でも、小藤さん(吹石一恵)も三津山さん(櫻井翔)も、その部分で葛藤してました。
その中で、これが一つの答えだなって感じたのが、先輩の金居記者(萩原聖人)が母の遺骨を拾う少年を撮る場面。
はじめ母親とはぐれたのかと思ったら母の遺骨を拾っていて、それがわかって、この場面を撮らなければと思った時、金居さんの言葉使いも態度も一変しました。相手の心に踏み込むことになるんだから、そこには相手に対する敬意の気持ちが絶対に必要なんだっていうこと。
なぜ悲惨な状態、不幸な状態をとるのか。そのまま放っておいたら風化していってしまう現状を多くの人に伝えるため、後の時代に残すためにっていう使命感は大切ですよね。そしてそれに加えて取材対象に対する敬意の気持ちって持っていないと、傲慢なひとりよがりに陥ってしまうんじゃないかと思います。
編集局長(内藤剛志)が三津山に言っていた「人間を撮れ」っていうこと。これいろんな意味があるとは思うんですが、被写体をモノではなく、人間と認識して撮ることで、そこに「敬意」とか「共感」とか被写体と通い合う心が生まれてくるのかなって思いました。
自分もお父さんを亡くされた、論説委員長の三木さん(山本圭)の社説もよかったですね。
あと、忘れてはならないのが、京都新聞の役割。
困った時に、相手の気持ちを汲みながらサポートしあえる存在、単に思いの強さだけでなく、それを周りでバックアップしてくれる存在があって、ああいう困難な中新聞を出し続けられたんだなって思いました。
新聞販売店の話も同様です。
そして、最後に新聞が最初は被害のひどさを伝えていたのが、途中から希望に焦点をあてて取り上げるようになっていったこと。
これによって、どれだけ人々の気持ちが前向きになっていったか、これこそが地域密着型の地方紙ならではと思います。
ただ、これは一つの事態もとりあげる側面によって見え方が全然違ってくるということのいい例でもあって。
これは、良い方向に作用していっている話だけれど、情報をコントロールすることにより人の気持ちをいかようにも持っていけるいい例でもあるわけで。受け取る側は、気をつけなきゃなりませんよね。
ドキュメンタリードラマって、ドラマ部分が何かわざとらしく浮いてしまったり、バラバラ感があったりすることが往々にしてあるように思うんですが、今回のものは、ドキュメンタリーとドラマ部分が上手く融合されていて違和感がなく自然にみることができました。
震災について、歴史の一つとしてしか認識がない息子達にも、これはちゃんとみせようって思いました。
櫻井翔くんの、ナレーションが良かったなって思います。
「神戸新聞の7日間」公式HP
これは、本当に良かったね~。
内容もすごく良かったですね。当時は次々に情報は増えていくけど、更新更新ばかりで繋がらなかったり、遠くから見てる私達も情報に振り回されるばかりで、ただただ壮絶な印象しかなかったのですが、実際の当事者はこんなだったのかと初めて実感しました。
そして、こんな等身大の翔くんがすごく見たかったぁ。翔くんをキャストに据えてくれた方、ありがとうって感じですよね。できればもっと見ていたかった。2時間って短いですね。
タルタルさんのおっしゃるように、ドキュメントとドラマ部分が本当に上手く融合されてて違和感なかったですね~。
災害等の取材では、私も撮るより先に手伝っだったらいいのにって思っていました。でも認識を替えます。伝える方もつらいけど、伝えなければいけない重要任務なのだと思ってみるようにしますわ。
これ、本当によくできていましたよね。
当時、関東在住だったのから外からそれこそマスコミの情報を通して眺めている感じだったけれど、時間がたつごとに、どんどん惨状が伝わってきていて。渦中にいた人達はこんなだったんだなあって、改めて感じました。
>そして、こんな等身大の翔くんがすごく見たかったぁ。
本当に、このキャスティングにはありがとうですよね。
>災害等の取材では、私も撮るより先に手伝っだったらいいのにって思っていました。
そうとりあえず思っちゃいますよね。でも、撮る人がいるから、外にいた私達にも伝わってきたわけだしね。またそれを見てボランティアとか、動こうと思った人達もいるんだものね。
でも、そうはいってもその時の被写体との対し方って本当に難しいだろうなって思いました。