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支流からの眺め

富士山(8)仏教と山岳信仰

 仏教は公伝(欽明天皇代)後に皇族等に広まったが、同時に古来の神道とも共存した。例えば、法隆寺は瀧田神社を、東大寺は手向山八幡宮を鎮守社とした。同様に、山中で修行を行う仏僧が古来の山中の遥拝所や社に寺院を設けた。こうして、仏教と山岳信仰が山という共通の場で融合した。

 同時に神と仏が同一視されるようになった(本地垂迹説)。即ち、仏や菩薩(本地)が姿を変えて出現した(垂迹:足跡を垂れる)のが神とされ、権(かり)に現れた姿と見て「権現」と命名された。森羅万象に神性を認める自然観が、仏教で権威付けられた訳だ(後日、神が上位とする説も神道側から出た)。

 庶民の山への信仰心も仏教から影響を受けた。例えば、薬師岳、観音岳、地蔵岳、阿弥陀岳、釈迦ヶ岳、大日岳、蔵王山、至仏山、大菩薩嶺など、仏教に由来する山名には枚挙に暇ない(権現岳は修験道の、神山、荒神山、神明山、妙見山、八幡山、明神岳は神道の、鳳凰山、仙人岳は道教の影響)。

 一方、仏教も山岳信仰から影響を受けた。高僧の多くは山中で修行している。教団としても、浄土真宗や時宗は白山信仰や熊野信仰と結びつくことで勢力を拡大した。修験の山伏は民衆に寄り添って救済に当たり、その際に仏教の儀式や知識・教義を用いた。このことが仏教の普及や土着化を促進した。

 日本三大仏教寺院も山中にあり、山岳で修行し、神道とも関係が深い。延暦寺(天台宗の総本山)の創始は延暦7年(788年)とされ、それは最澄が比叡山中に籠り草庵を営んだ時だ。山麓にある日吉大社は寺の鎮守社で、地主神の大山咋神を祀る。千日回峰行などの山岳修行が今も残っている。

 金剛峯寺(真言宗の総本山)のある高野山(山岳というより高台)は、弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から下賜された。そこは古来の地の神を祀る丹生都比売(にうつひめ)神社の社地だった。空海も得度前に山中で修業し、天台宗と真言宗は修験道や山岳信仰の形成や発展に深く関与した。

 時代は下がり、弘安4年(1281年)には日蓮が久遠寺を甲斐の身延山に開いた。ここは日蓮宗の信徒が地頭であった地で、山中に寺院を開いたのは、山岳信仰というより鎌倉幕府から身の安全を図るためだった。現在も日蓮宗の総本山で、七面山を含む広大な山域が聖地となっている。(続く)


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