前号から続く
金剛山(葛城嶺)は、若き日の役小角が修行した山だ。天智4年(665年)に一言主(ひとことぬし:賀茂氏の祖先)を鎮守神とし、五眼六臂(5個の目と6本の腕を持つ)の法起菩薩を祀る金剛山寺(転法輪寺)を建て神仏習合の霊山とした。法起菩薩は伝来仏ではなく、役小角が感得した独自の仏だ。
伊吹山の神は伊吹大明神(多多美彦命とも)で、伊夫岐神社(近江)と伊富岐神社(美濃)で祀られる。白猪や大蛇の姿で現われヤマトタケルに深手を与えた神だ(近在の豪族か)。役小角が別当寺(弥高寺と大平寺)を建立し、後に観音寺と長尾寺が加わり伊吹四大寺として栄えたが、戦国時代に焼失した。
飯縄山には古くから神が祀られ、嘉祥元年(848年)に学問が修験霊場を開いた。天福元年(1233年)に伊藤忠綱が独自の飯縄修験を感得し中興した。飯縄権現は白狐に乗る烏天狗の姿で、多くの武将から崇拝された(謙信の兜の前立など)。高尾山薬王院、鹿野山神野寺、日光山輪王寺でも祀られている。
戸隠神社は地主神を祀る九頭龍社に始まり、飯縄山と同じ頃の嘉祥2年(849年)に修験霊場が開かれた。祭神はタジカラオと天岩戸隠れ伝説に関わる神々(オモイカネ、アメノウズメ等)だ。神宮寺(顕光寺:現存しない)は戸隠十三谷三千坊と言われ、比叡山や高野山と並び称される程に栄えた。
伯耆大山には古くから山体を崇める大神山神社があった。養老年間(720年頃)に俊方(金蓮上人)が殺生を悔み出家して地蔵菩薩を祀り、これが大山寺(だいせんじ)の基となった。9世紀には修験道の山となり、地蔵菩薩は大智明大権現とされた。後醍醐天皇の船上山の挙兵の際には天皇側に与した。
石鎚神社は崇神35年(4世紀?)の創建で、イシヅチヒコ(イザナギとイザナミの第二子)を祀った。後に役小角が開山し、8世紀に上仙が石鎚蔵王権現を称え別当寺(前神寺:今の中之宮成就社)を開いた。桓武天皇を始め歴代天皇(文徳・高倉・崇徳・後醍醐など)が納めた仏像や経巻が多数伝わる。
宝満山(古名はカマド山)は、古来その優美な姿から崇められ、大宰府の鬼門封じともされた。天武2年(673年)に心蓮が神託を受け玉依姫(神武の母)を祀り、最澄の入唐に際して薬師如来を奉納した縁で鎮西の叡山とも目された。後に集合し英彦山とも繋がる修験霊場を成した。(続く)