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3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

ムルムーロ・デ・トロ3(トロのつぶやき3)

2010-09-09 06:24:46 | Opinion de Toro
丑年生まれのトロです。

集団の恐ろしさ

先日、家内がブログ友にコメントを書いても、上げ足取りに終始し、一人が
やりだすと、その他のブログ友も参加しだして、鶏の突き合いのように、
上げ足取ったり、出口の無い、言った言わないの話で、うんざり!!、時間の
無駄と思い即退散しましたが、家内は「個人的にはみなさんは良い人だけど、
集団になるとどうして豹変するのか解らない」と言っていました。

家内の話とこれから書く話と大なり小なり類似点があるのではと思い、思い出
話を書いてみることにしました。

「経験豊富」の話を書いたアンダルシア地方のある町の工場にいた頃の話です。
会社に挨拶がひと通り終わって、やっと自分の生活の場を確保する為、会社に
出入りしている不動産会社の紹介で手頃な住宅を探してもらいました。
住宅の下見でその家屋の持ち主が来ましたので、賃貸契約の件で不動産会社の
人間と話し始めると、住宅のオーナーは、いざ借りる人が目の前に現れて、
借りる人が外国人で、町の工場に赴任してきた人と知ると、不動産会社に
言っていた家賃を急に吊り上げてきました。
不動産会社の人も、驚いて「私の会社の信用を失うようなことを言わないで」と
抗議したがそのオーナーは元の家賃の金額に戻さなかったので、「私にこんな
ことを言っていますが、ここを借りますか」と聞いてきたので、一旦事務所に
帰ってから話をしましょうということで、不動産会社の事務所で色々な物件を
見たりしましたが、帯びに短し襷に長しで、結局は吊り上げられた所が街中で
家は広く、また会社には歩いていける距離で立地的条件が良かったので、家賃が
少し上がったても、マドリッドに比べれば三分の一の値段だったので、借りる
ことにしました。
不動産会社の社長は恐縮して、賃貸契約手数料を安くすると言い出したので、
喜んでその行為を受けました。

住む家が確保でき、水道、電気の契約を済ませ、都市ガスなどは田舎には無い
ので、ブタンガスのボンベ購入及びガス契約をするため、ガス会社の事務所に
行きました。
「すいません、ガスの契約に来ました、お願いします」と入り口のカウンター
の所から中で事務をとっている人に声をかけたら、その中の一人が立ち、カウ
ンターに近寄ってきました。
開口一番「お前さんが必要なボンベは8本だ」と言われて、マドリッドでは、
都市ガスで生活していたので、一瞬ボンベ8本と言われても何が何だか解らな
かったので、一般家庭で一ヶ月使うガスボンベの量はどの位かかるのか聞いたら、
2本あったら十分だと言われたので、「どうして私には8本だと言ったのか?」
と聞きました。
初対面の客に「お前」と呼ばれ、カチンと頭に来ている上、8本と言われたので、
かなり頭から湯気が出ていたと思います。
どうして8本なのかの質問に対して「あなたは中華レストランをやるのだから
8本と言ったまでです」と言われ唖然としました。
「おい、おい、私は中国人ではなく、日本人だよ。」
「中華レストランを作りにこの町くんだりに来たのではない!!」
「この町には日本人が働いている工場があるだろう!!」と事務員達に聞きま
したが誰一人として、即座にその工場の名前を言えませんでした。
もじもじと隅の方で女性事務員が、他の事務員に小声で工場の名前を言って
やっと皆さんが判ったようで、見ていて呆れてしまいました。

こんな小さな町の人間は、工場が何を作っているのか、町にはどんな人間が
外国から来て住んでいるのか、日本の有名なメーカーの名前が書かれたレッカー
車が行き来しているのにもかかわらず、興味の無さ、無関心さに、驚きました。
ガス会社の事務所は町には一箇所しかなく、契約はこの店でするしかないので、
こんな小さな町ですから、どんな人間が契約に来るか、何が起こっているか、
くらいは分かってもいいのではと思いましたが、結局彼らには「私は中国人、
中華料理のおっさん」で片付けられました。
腹が立ったので、ドアを蹴っ飛ばして帰ろうと思いましたが、炊事にはガスが
いるので、しようがないからガスボンベは2本で契約して、帰ってきました。

町の中心から工場まで歩いて15分から20分くらいで行ける距離にあり、
町の人たちが夕方になると散歩コースで必ず歩く道の先に工場はあります。
工場は町とこんな近距離にあるので、ガス会社の事務員にされた屈辱的な事は
もう無いだろうと思っていましたが、住んでいるうち、ガス会社の時と同じ
ように「中国人」「中華料理のおっさん」の洗礼を、その後、町で買物なんか
してる時に、何度も受けました。

しかし、あれだけ無関心の町の人々だと思っていたが、ある日を境に、手の平を
返したように町全体が「いつも工場に関心があって、町には無くてはならない、
切っても切れない工場だ、我等の愛する工場だ!!」と蜂の巣を突付いたように、
異口同音に叫びだし、町の人達が豹変したのには驚きました。

工場に勤めて3年目にさしかかろうとした時、朝早く、夜の帰りは遅い毎日の
連続で、その日も夜の9時頃帰宅した時、電話のベルが鳴っていたので、慌て
て取った。
聞こえてくるのはマドリッドにいる取締役の上司から「おいトロ、そろそろ
マドリッドに帰って来いや」と言われて「いつからですか」と訊ねたら「そろ
そろ荷物を整理して待機していろ」という答えに、マドリッドに帰れると喜び
ました。
会社の極秘事項で、工場で生産された高級ファイブドアのバンタイプ車を全て
工場外に出すオペレーションをトップダウンの極秘命令を受けていたので、
3週間で4千台の車の移動を完了させる事、とリミットが言い渡されていました。
このオペレーションを始めてから、2千台を運んだ頃に、会社の労働組合の
幹部達が私の机にやって来て「トロさんが今やっているオペレーションは
不正行為であり即刻止めるべし!!」と抗議されました。
車が工場から出る時には、インボイスが発行されて、各車の売り先が決まった
車しか工場を出ることが出来ない、という決め事があるのでは、と言われました。
「全くその通りです、しかし新しい物流システムを導入しようと輸送網と物流
拠点を充実する為に動いているのだ」と説明しました。
しかし彼らは猜疑心が強く、ああだ、こうだと難癖をつけてくるので「会社の
大事な営業部門のオペレーションに口出しをしないでもらいたい」と、一応
私は彼らより役職が上で、私にアポを取らないと簡単には彼らが会えるような
役職にいた訳ではないので、アポも取らず、ズカズカとやってきたので、
いくら労働組合の幹部とはいえ、「礼儀はあってしかるべきだ!!」と言って
帰ってもらいました。

会社の中では、その日を境に、セニョール・トロは車をフランスに無断で
売っているとか、工場から新車がドンドンなくなっているから、何か企んで
いるとか、話に尾ひれを付けて、話が大きくなって、私は彼らにとっては
大悪人の存在でした。
3週間かかるか、かからない内に、4千台移動完了が出来たことを、上司に
報告たら、上司は「そうか良くやった、ご苦労さん、色々工場の連中が騒いで
いたのは知っている、気にするな」と言われ、ねぎらいの言葉を頂きました。

そのオペレーションが終了して2~3日経ってから、会社はリストラ交渉が
労働組合と決裂し、日本の株主はこれ以上投資は出来ないとして、会社更生法を
裁判所に申請することになりました。
日本メーカーは最初は小株主としてスペインの工場の運営をしていくつもりが、
いつの間にか工場を維持するため投資を続けていたら、株100%に近い単独
大株主にさせられてしまっていて、かなりの額の投資を長期にわたりして
きましたが、設備投資までその金が回らず、人件費と退職金に消えてしまいました。

今は解雇が簡単になり、企業側にとって嬉しい法律が出来ましたが、以前は簡単に
首切りはできず、経営者側はいつも泣かされてきました。
ですから、社員は会社側が提示してくれた退職金次第で会社を辞めるか、会社に
残るか交渉して決める訳で、頭の良い社員はその退職金を会社と交渉して更に
吊り上げて、吊り上げるだけ吊り上げてその金をもらって会社を辞めるので、
ちょっとした家が買える金額を、役職もない一般社員が手に入れることが出来
たと言われています。

日本の会社からすれば、全くふざけた話であり、いくら投資しても、砂に水で
何も残らなかったと、日本から出向の経理部長のぼやき話を聞いたことがあります。
五千人以上いた社員を半分にして、会社を立て直して再起を図ると提案したが、
労働組合との話し合いは決裂して、残る手は会社を、倒産させるか、支払い
一時停止という会社再建するための会社更生法を裁判所に申請し受けてもらうか
の二つに一つの選択になってしまったのです。

会社の内容はさて置いて、本題に戻りましょう。
このリストラするかの話が出始めて頃、今まで騒がしくなかった町が、そわそわ
してきたように感じ始めました。
ある朝、会社に出勤途中、いつもの通り道の公園を通り抜けようとした時、
見ず知らずの、高校生くらいの青年が立ち止まり、じっと私を睨み「日本人の
糞ったれ」と大きな声で怒鳴られました。
今まで「中国人」または「中華料理のおっさん」でしたが、今度は「日本人の
糞ったれ」呼ばわりされるようになりました。
私は労使問題がこれから起こることを知っていましたので、そんなに驚かな
かったのですが、町で買物をする時は、今まで愛想が良かったお店のおばさん
やおじさんの態度が変わり、店に来る客も私の顔を見ると、こんな奴に物を
売るのか、と店のおばさん、おじさん、おねえさんに言い出す始末です。
今まで工場に殆ど無関心だった町の人が、変れば変ると驚くことばかりでした。

この町も、もうそろそろ潮時かと思っていた矢先、夜中の3時、電話が鳴り
止まないので、日本からの電話かなと思って目が覚めました。
ベッドから飛び起きて、電話に出ると、日本から出向の工場長からで、
「トロ君、今すぐ荷物をまとめてこの町を出る事が出来ますか」、
「はぁ、今すぐすか、一応、上司から荷物はまとめておけと言われていましたので、
身の回りの物はまとめてあります。」
「では、この町を5時に出発しますから、用意してください」
と言われて、2時間しか時間がないので、身の回りの品しかバッグ詰めること
しか出来ませんでした。
5時に家を出て、それから町から100Km離れたドライブインで日本人出向
社員と落ち合い、マドリッドでミーティングがホテルであるので、そのホテル
に落ち合いましょうと集合時間を決めて皆と別れました。
工場長とドライブインで朝食を取りながら、電話のお礼とどうして5時に出発
したのか聞きました。
「それは、工場が6時から仕事が始まるので、工場が始まる前に、町から出た
方が無難だと思ったから、今日付けで、会社更生法適用申請書を裁判所に提出
する日だから、工場に日本人がいると馬鹿な奴らから危害でも受けると大変
危険ですから、退去した方が得策かと思い、連絡しました。」とコメントを
聞きました。

マドリッドの本社事務所に、支払停止の会社更生法適用が承認され、裁判所から
管財人に任命された弁護士がやって来ました。
弁護士は一度会社に来ただけで、後はその弁護士事務所で事務処理が行われ、
毎日、管財人の弁護士に購入及び支払いの承認申請用紙を作成し、午後6時頃に
なるとその書類を弁護士事務所に持っていき承認を受けました。
管財人にOKのサインをもらえないと、支払いも購入も出来ない、お金は一銭も
使えない不自由な時がありましたが、会社に残った営業部8人は、工場でピケを
張って工場の中にある車を一台もださないように見張っている労働組合の連中の
給料を払うため、朝は日が昇らない、暗いうちに出社し、夜は真夜中に帰宅と
いう、馬鹿げた労働をしていました。
国内に分散した、4千台の高級車を販売店に運ばせる仕事と、工場は閉鎖され
ていますから、スペイン国内に売る車をヨーロッパに移した、特にフランスに
移した車を運んできて、販売店に搬入していました。

我々営業部8人の侍(スペイン人も含みますが)、朝早く夜遅く、会社再建に
心血を注いでいる時に、工場のピケ組みは、工場閉鎖した上に、今度は車の
不買運動をし始めて、凡そ常識では考えられない事をやるのには閉口しました。
我々は社員の給料を毎月口座に満額振り込むために、汗水たらして働いている
のに、労働組合員は正反対の不買運動をして、会社を救うどころか破滅させる
運動としか思えない活動をしていました。
地方新聞はそれを煽って、更に過激にさせて喜んでいました。
本当に会社にいる労働組合員かと疑うような見た事の無い人間が、マドリッドの
本社ビルの周りをうろつき、会社の硝子全て投石で割られてしまいました。
我々は中にいてそれを眺めているしか方法が無く、投石の件を警察に訴えたら
翌日機動隊が会社の周りに車を止めて、物々しい風景になっていました。

労働組合員は法律を知っている知恵者がおり、機動隊が手足が出せないギリギリ
の所でデモをやり、会社の出勤時間と同じように、バスで朝の9時に着いて、
午後の5時まで、太鼓叩いたり、歌を歌ったり、タイヤを燃やして煙がビルの
方向に行くように、風向きをみてタイヤに火を点けたりして一日を過ごします。
我々はえらい迷惑で、狸や狐ではないのに、毎日煙でいぶりだされていました。
機動隊は何も出来ず、只デモ隊と睨みあっているだけの状態でした。
新聞は地方紙から、飛び火して全国紙に記事が書かれるようになり、毎日それら
の新聞記事を見て、腹を立てていました。
会社の労使問題なのに、全国紙に煽られ、いつの間にか日本人が悪いという事に
なり、工場にピケを張り、不買運動して、今度は縁もゆかりもない養護学校の
生徒を引っ張り出して「会社閉鎖反対、首切り反対、我々の生活をどうしてくれ
るのか」と書いたプラカードを持たせた写真を、新聞の一面に載せたりして、
いつの間にか憎き日本人、工場閉鎖の原因は日本人と、話のすり替えも甚だしい
ことになってしまいました。、
アンダルシアの民謡で有名なセビジャーナスのリズムに合わせて、歌まで出来ました。
タイトルが「売春婦の子供、日本人!!」Hijos de puta Japoneses と日本人を愚弄するにも程が有ります。
とうとう日本国大使が事態を重く見て、スペインの一つの企業の労使問題で、
日本人全体がこのようなに非難され、愚劣な言葉を浴びて、蔑まれなければ
ならないのか、余りにもひど過ぎるという事で、抗議文を全国紙一ページに書く
という事態にまで発展しました。
日本国大使が抗議文のお陰で、過激な新聞の記事は掲載されなくなりました。

あれから20年程経ち、何度も考えていますが、私が工場の町に行った時は
「そんな工場がこの町にあるの」と無関心でいた町の人達が、自分達が直接
火の粉を被るような、経済的にダメージを受ける労使問題が勃発した事で、
手のひら返したように、打って変わり「おらが町の工場、町にとっては一番
大事な工場」と叫び、それまでは彼らには我々日本人を「中国人、中華料理の
おっさん」でしか認識できない連中が変れば変ると、集団の恐ろしさを知りました。
日本から工場に出向して来た社員は、単身赴任が殆どで、まれにアパートを
借りて生活する人も中にはいますが、殆どホテル住まいをしており、そのホテル
は日本からの長期出張者の常宿でもあり、マドリッドから出張の際、会社に指定
されているホテルでもあります。
そのホテルは、観光地でもない、辺鄙な田舎にあるにもかかわらず、一年を
通して殆ど満室の状態で、日本人客様々にもかかわらず、労使問題が勃発した
時、そのホテルのオーナーは一番最初に日本人に対して反旗を翻しました。
その話を後で聞いて耳を疑ったほど、オーナーの行動が信じられませんでした。
集団の中では、人が変り、豹変し、群集心理で判断が狂ってしまうのでしょうか。

このアンダルシアの苦い経験は、時々脳裏に浮かびますが、いまだに頭の中で
整理が出来ていません。
「中華料理のおっさんシンドローム」からなかなか脱出ができません。

トロ拝

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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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人種差別? (ari)
2010-09-10 14:51:16
トロさん、初めまして!私は以前、ジュネーヴに住んでいたことがあるのですが、滞在初日に政府代表部の方から、中国人や韓国人と間違われそうになったら、「私は日本人です」と、きちんと伝えると現地の人が大事にしてくれるからとアドバイスを受けたことを、何となく思い出しました。

でも、”中華料理店のおっさん”も、必死に海外で頑張っているのですから…。

シンドロームから早く脱却できるといいですね。(笑)
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すみません (ari)
2010-09-11 13:33:23
トロさん、すみません。どうも私、トンチンカンなコメントを投稿しまったようで。「~のおっさん」という言葉ばかりが頭の中に残っていたのが原因です。それにスイスがあまりに平和な国だったので、切迫した危機の状態にうとくなっていたみたいです。ひとくくりにヨーロッパといっても様子が全く違うんですね。大使館が抗議文とは本当に大変危険で不愉快な事件だったに違いないですよね。本当にすみませんでした。トロさん、ひろみさんも、お身体に気をつけてお過ごしください。
返信する
Unknown (taro)
2010-09-12 08:50:32
長ったらしい文章で、何がおっしゃりたいのかよくわかりません。
結局、あなたは計画倒産するに当たり、在庫を違法によそへ移し、会社の損害を最小限にとどめた功労者になったということですね。
労働組合が怒るのも無理はないでしょうね。私だった許しませんね。
返信する
ariさんへ (トロ)
2010-09-12 16:27:27
ariさん
コメント有難うございました。
昨日の友は今日は敵と言うことでしょう。
無関心な町が、工場の労働問題で、手のひら返したように関心ある町になった、変わり身の早さには驚かされました。
お金を出して、会社がつぶれないようにと、必死で支えてきた日本の自動車メーカーは、感謝されて、お釣りが来るくらい頑張ったのに、感謝の「か」の字も無く、敵視されました。
多かれ少なかれ、町に住む労働者の生活を保障をしてきた会社にもかかわらず、日本企業に反旗を翻したのです。



日本企業が工場再起を手助けしていなければ、工場はとっくの昔に倒産して、社員達は路頭に迷っていました。
田舎者の排他的な考えでは、外から入ってくる会社や外国人には、無関心、知らない、知りたくない、のでしょう。
ですから、日本企業に恩義を感じる事も無いから、日本人は労働者の敵とエスカレートして簡単に口から出るのでしょう。

本当に彼らの考え方には驚かされるばかりでしたが、排他的な田舎者考えは、日本人のメンタリティーでは到底理解できないのでしょう。
トロ拝
返信する
Unknown (トロ)
2010-09-12 18:52:07
コメントありがとうございました。
表現するのは難しいですね。
簡単に表現ができれば短い文章にまとめられたのですが、だらだら長い文章を読んでいただきましてありがとうございます。
別に計画倒産を手伝ったわけでもなければ、功労者云々の話を書いたのではありません。
日本企業が投資して、株と交換してきて、何時の間にか、筆頭株主になり、比率が100%近くになり、これ以上お金が出せない状態になったのです。
金食い虫の放蕩息子に愛想が尽きたように、勘当された息子は、自分で何とか再建しようとやっただけです。
私が移動させた車は、社内の決まり事に反していたようですが、権限の無い社員たちが勝手に外に出せないと言うことで、担当幹部は移動する権限は持っていましたし、また違法行為では有りません。
会社を救おうとしている時に不買運動をする労働組合ですから、私は管理職側の目線で会社を再建しようとしましたが
会社再建をしようと努力する会社側に、反旗を翻して、不買運動をする労働組合員達は、再建に協力するのではなく会社を倒産に追い込む行動をしたのです。
その不買運動の連中も、会社再建中でも、満額給料を受け取ることがで来たのです。
労働組合は工場にピケをはり、車が一台も外に出せない状態の中、みんなに給料を払えて、再建計画が進められたのは、taro さんが「許せない」と言われている、車を移動させたことでみんなが救われたのだと思います。

5000人の社員を2500人にリストラしないと、会社運営ができないので、労働組合と人員削減など、会社運営の話し合いをしたのですが、なんの歩み寄りもできず、決裂したので、会社側は「債権者へ支払停止」の会社更正法を裁判所に申請したので計画倒産ではありません。
債権者に支払いを一時的に停止して、累積している借金の何割かを債権放棄してもらうための会社更正法で、同時に早期定年退職をしたい社員や定年に近い社員、別の仕事をもう一つ持っている人( 農業、オリーブ園経営者)を優先的に辞めてもらい、1500人くらいの人数になりました。
後1000人は、労働組合が首切り反対で、労使問題は解決できませんでしたが、会社は債権者の減額債権放棄で会社再建ができ、日本企業は当初の考え通り、小株主でいたかったので、80%近くの株は、アンダルシア州政府に1株1円で譲渡して、筆頭株主からは手を引きました。

韓国やその他外国の企業が、この工場を買収するという話はあったようですが、実態を知って、買収をやめたようです。

労働組合と労使問題の件で決裂した状態の会社ですから、アンダルシア州政府に筆頭株主となってもらい、労使問題を解決しともらおうとお願いしたようです。

アンダルシア州政府は、EU(ヨーロッパ連合) からかなりの金額を借り入れをしていますので、4~5年前に、EUから筆頭株主が公的機関の場合、付加価値税免除は出来なくなると通達を受けたようで、免除されなければ、競合との販売に負けるので大変だと騒いでいたが、その後どうなったか知りませんが、まだ会社は存続しています。




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これは失礼しました。 (taro)
2010-09-12 19:33:14
いやはや、失礼しました。会社の極秘指令で工場外へ運び出すと言うので、てっきり計画倒産だと勘違いしました。おまけに「まったくその通りです」と組合幹部の抗議に返事をしたのだから、これは違法を認識していると思ってしまいました。
まったく失礼な事を言いました。
あなたは上司の命令を忠実に実行しただけで、サラリーマンとしては当然ですよね。
今は解雇が簡単に出来、企業にとってはとてもうれしい時代です。
ようやく日本的な雇用慣習も姿を消し、いつもそれに泣かされてきた経営者にとっては願ってもない良い時代になりましたね。
今後ともがんばってください。
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