goo blog サービス終了のお知らせ 

ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

ロマンの旅 山形 その4

2019年09月29日 | 旅行
”ロマンの旅山形”のツアーの二日目に入りました。





昨日の晩は、バイキングの夕食が最高でした。

何を食べたら良いのか迷いました。

(食べたいものがありすぎて、…………量をそんなに食べることが出来ない年齢になっているので。)

豪華なものがいっぱいあったのですが、結局一番良かったのが「芋煮」でした。


温泉も素敵でした。

山形はどこの町に行っても温泉があるようなところだそうです。


今日は二日目で、朝早くから「立石寺」に行きました。


宿から約1時間で立石寺に到着します。





まず、「根本中堂」に向かいました。








この立石寺では、一番上まで行くには、1000段以上の石段を登らなければいけません。


決められた90分の時間で、一番行きたかった「五大堂」まで行けるか不安でした。

(五大堂は、よくテレビなどでも出てくる岩に突き出したお堂です。)


目の前に見えてきたのが根本中堂です。





根本中堂の正面まで来ました。





山寺(立石寺)は、860年に比叡山延暦寺の別院として「慈覚大師円仁」により創建されます。

東北を代表する古刹として現在も人々の信仰を集めています。


この根本中堂は1356年に、山形城主の斯波兼頼が創建しました。

入母屋造りで銅板葺きの内陣には鎌倉時代の一本彫秘仏本尊である薬師如来坐像が安置されています。

国指定の重要文化財でブナの建造物では日本最古を誇ります。


1200年前に比叡山延暦寺から移された「不滅の法灯」が堂内で今も灯されていました。

(1521年の兵乱により、法灯は消失しますが、1543年に延暦寺から再び分灯されます。)


自分の身体の悪い箇所を触ると治ると言われています。








私も像の心臓をよく触りました。


堂内の風景








これから、上の方にある堂に向かって歩きます。


芭蕉の句碑と清和天皇御宝塔





(奥の方にあります。)



出羽国山寺総鎮守 山寺日枝神社





亀の甲石





亀の形をしたこの石は古来より延命長寿の………………。





道の反対側に松尾芭蕉と曽良の像がありました。








1689年、奥の細道で訪れた芭蕉は、当初は山寺に立ち寄る予定はなかったようですが、人々の勧めにより足を運びます。



念仏堂





「ころり往生阿弥陀如来」とあります。

(それぞれの人の寿命が来ると、ながわずらいすることなく苦しむことなく極楽浄土にお迎えくださる阿弥陀如来として昔から信仰されている仏様です。)


鐘楼があります。








ここから一番上の五大堂まで、本格的な登りの石段にさしかかります。






ここで、少し休憩します。




ロマンの旅 山形 その3

2019年09月26日 | 旅行
かみのやま温泉で宿泊するホテルの周りを観光している途中です。





武家屋敷群と城への分岐点にいます。

ここを右に行くと城に行けます。





城への道を歩きます。

知らない土地へ来て、初めて見る風景はいつも楽しみでした。


上の地図の、月岡神社と上山城の間の道を歩きます。

ちょうど、城の裏をまわって、行く感じでした。


途中に足湯に入れる場所ががあり、いかにも温泉町だと思いました。(しかも、城のすぐ近くの公園にです。)


上山城(月岡城)の正面に来ました。





南北朝時代の天童頼直(最上氏の祖 斯波兼頼の孫)の子「上山満長」が上山に配されたことに始まります。

この後、伊達、上山、最上がここをめぐって争います。


城が、一番存在が大きかった時には、本丸に三重の天守や各所に櫓門がありました。

月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として有名です。


時代の流れと共に、目まぐるしく城主が入れ替わりますが、最後に藤井松平家が封じられ、その後明治維新まで藤井氏が当地を治め、10代信安(3万石)の代まで居城としました。


午前9:00から16:45の開館で、すでに閉っていました。


ここから、月岡神社に向かいます。


月岡神社に来ました。





ここから、先ほどの城が、木々の間から見えました。





月岡神社の拝殿です。





月岡神社の御祭神は、藤井松平家の利長公と信一公だそうです。

もちろん、松平家は徳川家康につながる名門の家です。

藤井村(愛知県安城市)に住んでいたことから藤井松平と言いました。

利長公は、藤井松平の始祖です。

2代目の信一公は、家祖として武勇の誉が高く、群雄が割拠する戦国時代に家康とともに信長に仕え、「桶狭間の戦い」に参加します。

その後も徳川援軍の将として、「姉川の戦い」、「長篠の戦い」、「小牧長久手の戦い」などの戦いに常に参加して、武功を挙げ勇将・猛将として天下に名を轟かせました。


私も歴史小説が好きでよく読みましたが、そんなすごい武将がここの御祭神とは驚きました。


そんなことを知ってか知らずか、二人の女性がお参りされていました。





境内にあった凄い松です。





ホテルの周りに素敵な場所がありました。(このウォーキングには充分満足です。)


ホテルに戻ります。





ホテルのロビーからガラス越しに見たお庭です。














このホテルは武家と関係があるのでしょうか?…………、素敵な鎧、兜が飾ってありました。








ちょっと良いなあと思ったのは、ここらあたりの方言を書いた書道作品です。













これから、温泉に入ってゆっくり疲れを取り、夕食です。




ロマンの旅 山形 その2

2019年09月23日 | 旅行
蔵王からバスで約2時間かかって、1日目の宿の「かみのやま温泉 仙渓園月岡ホテル」に到着します。


添乗員さんから、「ホテルの周りにも素敵な武家屋敷や城がありますので、よかったら見てください。」という話があったので、部屋で少し休んでから観光に出かけました。

(午後の5時ぐらいです。)





月岡ホテルを出発して、まっすぐ武家屋敷に向かいました。


最初の「森本家」です。





先祖は丹波国多紀郡大雲郷出身です。

代々藩主の随伴役が多く、寛永3年(1706)に、上山へ定住しました。

文久年間(1861〜1863年)以降、現在の屋敷に移動したと言われています。








森本家は個人所有のため軒先きのみ見学ができました。



森本家の付近から、武家屋敷のある通りを遠望した眺めです。





左側すぐ先に「三輪家」が見れます。


三輪家の前に来ました。





閉館のようです。(開館時間が9:00から16:45の文字が見えます。)

ちなみに、市所有で屋内見学が可能だったのですが残念でした。


門の間から軒先きを撮影します。








三輪家の初代の飯田小助は、豊前国(現在の福岡県東部と大分県北部)の中津藩奥平氏に仕えていた飯田一翁の二男で、1796年に藤井松平氏11代信古の家臣となります。

そして、初めて三輪氏を名乗りました。

江戸藩邸上屋敷に勤務し、後に側用人準参政となります。


ここの武家屋敷は4軒並びで残されていました。





三輪家の隣の山田家の塀越しの庭











山田家も個人所有のため軒先きのみの見学です。





綺麗な赤色の花はさるすべり…………。





最後の「旧曽我部家」です。








この家は、無償で開放されており、庭先と建物内部を自由に見学できました。


水琴窟が見られます。(確か他の武家屋敷でもあったかと?……。)





音を聞こうと試みましたが、うまく音が出ません。

やり方が悪いのだと思います。

裏にまわると、綺麗な庭がありました。




















旧曽我部家を出てすぐのところに、「仲丁銃眼黒板塀」が復元されています。








その近くに、「上山藩校  明新館」








ここから、引き返して、「上山城」に向かいます。


旧曽我部家付近の風景





さらに少し移動して





城の方へ曲がる分岐点まで戻ってきました。





ここを右の方へ行くと城に行けると思います。



ここで、ちょっと休憩しました。

ロマンの旅 山形 その1

2019年09月20日 | 旅行
”「ロマンの旅 山形」まるごと山形県ぐるり大周遊 ”というテーマのツアーがありました。(読売旅行)

私たち夫婦はこれに参加することになります。





9月の初めに、朝早く伊丹空港から旅立ちます。





搭乗ゲートの前の風景です。

10年以上ぶりに飛行機に乗ることになり、少し、緊張しています。

(搭乗手続きが少しめんどくさいですね。前はもっと簡単だったような記憶があるのですが?…………、記憶違いかも?……。)


ここの窓の外の空港風景





いよいよ、飛行機に乗り離陸しました。





下の風景は、まだ空港の近くです。高さはだいぶん高くなっているとおもいます。








雲の上にきました。





雲が綺麗です。





伊丹空港から仙台空港まで約70分かかりましたが、感覚的にはあっというまでした。


着陸です。





着陸後





ひさしぶりに飛行機に乗ったので、子供のように楽しみました。


これから、山形県をまわる団体バスに乗り込みます。





ツアー参加者の人数は31名です。



仙台空港から、最初の観光地の「蔵王」に向かいました。


私と同じぐらいの年齢の人が多くて、楽しい雰囲気です。


高速道路を使って、約1時間半ぐらいで、蔵王ロープウェイの近くに到着します。


さきに、蔵王センタープラザで昼食を済ませ、これからロープウェイに乗ります。








ここ蔵王山麓駅から、





ツアーの全員がこのワゴンに乗れました。





ロープウェイのワゴンの中からの風景








この下は、冬には樹氷が綺麗だそうです。






樹氷高原駅で山麓線のロープウェイを降り、さらに山頂線に乗り換え、地蔵山頂駅につきます。



ここの展望台からまわりを見た風景です。











この付近を散策できるようです。











「蔵王地蔵尊」を見にいきました。


高山植物を大切にしましょうの標識が…………。











むこうに、「蔵王地蔵尊」が見えてきました。





地蔵尊の前に到着





ロープウェイの地蔵山頂駅から100mのところにあります。

標高約1660mの高地に鎮座するこの地蔵は、高さが2.34mです。

1775年に造立されました。

完成までは37年もかかりましたが、不思議なことに建立後は遭難者が少なくなり、「災難よけ地蔵」と言われているそうです。

(祈願すればあらゆる願いが叶うとのことで、旅の無事をお祈りしました。)



集合時間までまだ余裕があったので、「自然植物園」を見にいきました。

(一週は時間的に無理なので、途中まで行って、ひき帰そうと考えました。)





高山植物を発見











ここから見た遠くの山の風景








再び高山植物











開運の鐘








集合時間が近ずいたので、ロープウェイの乗り場に急ぎます。


帰りのロープウェイの中からの風景








周りの山が綺麗に見えます。














蔵王山麓駅に戻ってきました。


「馬橇(ばそり)」の展示があります。








昭和の初めころより、スキー客や湯治客を乗せて、半郷(表蔵王口)から蔵王温泉まで2時間半もかかり登ったそうでした。

そりの中にアンカがあります。

(暖をとりながら移動したのでしょう。)

バスが通るようになるまでの冬季の唯一の交通機関として、澄んだ鈴の音と共に親しまれたそうです。


山麓駅の外に、すでに、少しの紅葉が見れました。





この赤は、「ナナカマド」だそうです。






今は、午後3時ぐらいです。


ここから今日の宿の「月岡ホテル」(かみのやま温泉)に向かいました。












姫路市網干 古い町並みを歩く その7

2019年09月17日 | 旅行
龍門寺の大門の前にいます。





これから、山陽網干駅に戻ります。





(⑦番のところにいます。)


黄色の線に沿って番号順にウォーキングしました。


駅へ戻る途中に「旧網干銀行」によろうと思います。



揖保川にかかる「本町橋」まで行くまでに、「浜田西屋台蔵」がありました。





灘のけんか祭りは有名ですが、姫路はどこも祭りが盛んです。

立派な屋台蔵です。



ここからしばらく歩いて、本町橋を渡り、揖保川沿いを戻っていくと、「網干商工会館」の前を通りました。





(地図のB地点です。)


これを右にまがり、「旧網干銀行」に向かう通りに入ってくると、レトロな洋館に出会いました。




(地図のE地点)


こちらは、和の素敵なお家です。









そうこうしている間に、網干銀行にやってきました。(地図の⑨番です。)

龍門寺から45分かかりました。


でも、あの大正時代の煉瓦造りの洋風建築は見ることができません。





取り壊されることなくレストランとして再生されることは貴重な試みだと思いました。


この辺りは「橋元町商店街」のほぼ中央あたりですが、シャッターが閉まっていました。

(休みでしまっているのだといいのですが?…………。)





レトロな洋風建築の雰囲気がただよっています。(地図のF地点)


商店街を通り、駅へ急ぎました。















山陽網干駅へ戻ってきました。





今日の1日は、午前中に妻鹿を周り、午後に網干の古い町並みを見学できました。

1日の総歩数は25000歩でした。



これから播州赤穂まで帰ります。