この場所は、鉄門跡(くろがねもんあと)になります。
昔の絵図によると、櫓門が設けられていました。
鉄門という名称から推測すると、門扉には鉄が貼り付けられていたのでしょうか?。
向こうに大書院が見えます。
大書院の入り口に来ました。
ここまでで、相当の時間を浪費したので、入って見学する時間がありません。
大書院の裏の方へまわりました。
内濠内の石垣に座って大書院の裏側を見ています。
この場所が二の丸で、右手の奥が本丸です。
1609年、徳川家康は、松平康重を関東の笠間城から丹波国八上城に移し、そこで新城の築城を命じました。
大坂の豊臣氏をはじめ、西国の諸大名の押さえとするためだったと推測されます。
縄張りを担当したのは、城造りで有名な”藤堂高虎”でした。
城は、内濠と外濠を持っていて、外濠の外まわりは一辺約400m のほぼ正方形で、東、北、南の門には、”馬出”を設置して守りを固めていました。
(馬出は、城門前の濠対岸に設けられた小さな郭です。)
右手の奥の方が、天守台のあった場所かも?……。
二の丸内を少し歩くと、城で一番大切な井戸がありました。
井戸の中を覗いてみました。
井戸から見た大書院
失火により失われていた大書院は、平成12年に復元されました。
これから、「河原町妻入商家群」の方へ行こうと思います。(今は15番の大書院)
鉄門跡を通って、右に曲がり内濠沿いに歩きました。
この先の方を右に曲がります。
見えているのは、東外濠です。
この外濠沿いの道を歩きました。
なにか、意味ありげな石碑?…………。
ハスのたくさん浮かんだ南外濠へきました。
このハスを見ながら、少し休憩します。(城の外濠の南東のコーナーのところです。)
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