![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/05/1663fde9ac442ff453fe343147efe4a6.jpg)
踏切を渡るときに見た竹田駅の方向
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黄色の線に沿って、番号順に歩きます。
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踏切を渡ると、寺町通りに来ました。
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お寺が並んでいて、綺麗な水路が流れていました。
白壁の寺と、水路で、落ち着く景色をかたちづくってっています。
最初に左側にある善證寺です。
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慈雲山 善證寺(ぜんしょうじ)
1334年に、対岸の金梨山のふもとに開創。
1625年の火災で消失し、1652年にこの場所に移転したそうでした。
1706年に現在の本堂を再建立し、門前の石橋には享保17年(1732年)の年号が刻まれています。
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寺町通を歩きます。
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すぐ隣には、常光寺がありました。
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常光寺の石橋は、宝永4年(1707)に架橋で、但馬で最古の石橋
本堂
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この寺は、竹田城の初代城主の太田垣光景の菩提寺でした。
1594年に開創し、1610年に現在地に移っています。
太田垣光景 石塔
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ここからさらに寺町通りを北へ歩きます。
常光寺の隣りには、勝賢寺がありました。
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本堂
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この地は、赤松広秀公の家臣の平位善右衛門屋敷跡とされています。
境内には、第九代城主である桑山重晴の長男、一重夫妻の五輪供養塔があるそうです。
寺町通りにそう小さな川の流れ
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一番最後の寺は「法樹寺」
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本堂
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本堂の裏側には赤松広秀の供養塔があります。
(寺には、赤松広秀愛用の膳、お椀があるそうです。)
赤松広秀は1562年に、播磨龍野城主赤松政秀の子として生まれ、16歳で龍野城主となります。
後に、秀吉の家臣となり、四国征伐等の戦功により、1585年に竹田城主となりました。
竹田城の最後の城主です。
文人としても優れ、領民から慕われる武将でしたが、”関ヶ原の合戦”で西軍にくみしたため敗北します。
その後、鳥取城攻めで城下に火を放ったとされ、鳥取の真教寺で自刃しました。享年39歳でした。
供養塔を探しましたが、うまく見つけることができませんでした。
境内の外へ出て、寺町通りをさらに北へ歩きました。
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(通りの右側にありました。)
この通りから、竹田駅が見れます。
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もうすぐ、”駅裏登山道”に到着します。
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登山口に来ました。
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